私は職場と離婚した。
感染症の感染拡大で、日本の働き方が大きく変わろうとしている。
『外出自粛』『在宅勤務』『テレワーク』…毎日のように耳にするこれらの言葉は、数ヶ月後に『三密』とか『濃厚接触』と並んで流行語大賞にノミネートされるに違いない。本来であれば、オリンピックのメダリストのキャッチーでポジティブなコメントなんかか乱立するはずの2020年なのに、パンデミックの影響はあまりにも大きい。
(あれ?パンデミックが流行語になったのは何年前だったかな?)
報道によりインフラ企業や医療現場で働く人々の献身的な労働に注目が集まっているが、スーパーやドラッグストアの店員さんも命がけで働いていることを忘れてはならない。わたしたちの生活の質は、いつでも誰かの働きによって保たれているのだ。
人はなぜ働くのか…
勤勉と言われる日本人の働き方においても『働きアリの法則』は成立する。組織の中の2割はよく働き、6割は普通に働き、そして2割は怠けているという理論だ。もちろん、『テレワーク』も『在宅勤務』も歴とした仕事なのだから、イコール怠けているわけではない。むしろ、癒やしの空間であるはずの自宅で仕事をするというのは、オンとオフの切り替えが曖昧になりストレスが溜まる苦行なのかもしれない。しかしながら、日本人の職業観においては『人のために尽くすこと』こそが最良であり、『献身的に働くこと』が美談とされる。危険な電車通勤を余儀なくされながら、現場の第一線へ赴き、昼夜を問わず、自分を犠牲にして…医療従事者への称賛を煽る報道スタイルも単純すぎやしないだろうか。日本人はリスクや負担があればあるほど、それを『やりがい』と勘違いしているのではないかと思わされる。同じように自分の身を削って働いていても、いくつかの聖職を除けば称賛どころか、ディスりとか自虐のたぐいの『社畜』というマイナス評価へと一転する。
話を戻すが、わたし自身は2割に分類される働き手だと自負している。自惚れるなと言われるかもしれないが、『2割』とは、もちろん前者の方の2割を指す。常にそこに身を置けているかと言われれば、ちょっとだけ後ろめたさはあるが、わたしより働いていない人を指折り数えることが出来るのは確かだ。
職場と離婚したのは、わたしではない。
同業者である友人からのLINE、吹き出しの中に見えた『私は職場と離婚した』の文字は、あまりにもシンプル、そしていかにもわかりやすい。
彼女もきっと2割の人間だったのだろう。離婚するからには、遡れば結婚したときがあったのだ。
就職したとき?
一人前になったとき?
満足のいく仕事ができたとき?
仕事とのマリアージュ、婚期も適齢期も人それぞれ!
今日からnoteに綴るのは、私の職業観。
すなわち、わたしと仕事との恋の物語!(遠い目)