自由の道を歩き始めるまでの葛藤②~子どもの難病に無関心~

第3子は、指定難病患者です。生後4か月の時に発症しました。
指定難病は、治療方法が確立していない希少な病気です。

患者数が少ないため、情報を集めることに苦労しました。今でこそ情報発信してくれる人が増えて情報がかなり見つかるようになったのですが、当時は本当に苦労しました。

そして確立されていない治療をどう進めるのか、これは医師と親とで相談しながら常に手探りです。使える可能性のある薬や薬以外の他の治療方法について医師と話ができるように知識を身に付けておくことはとても重要でした。

元夫は、発症間もない頃は第3子の受診に付き合ってくれることもありましたが、医師と私が話している横で完全にお客さん状態。でも付き添ってくれるだけでもまだ良かったと思っています。

発病から1年半くらい経ち、元夫が仕事を休むことを渋るようになり、外来受診には私1人で行くようになります。
私は毎回、〇〇という薬は効果があまり無さそうだったので、次は◎◎に変更してみる、など受診時の内容を元夫に全て報告していました。

ところがある日、元夫は言いました。
いちいち報告しなくていい、どうせ聞いたって何も分からんし。勝手に決めたら?

私だって最初は何も分からなかった。
でも第3子を守るためにいろいろ調べて知識を身に付けてきたのに。

自分の子どもの病気に興味は無いの?
どうして何も調べようとしない?
一緒に考えようとしないのはなぜ?

そんなことを何度も訴えたことがあります。
そんな話の後、しばらくしてスマホをいじり始めるのがいつものことで、やっと何か調べる気になったのかな?と期待したこともありましたが、ゲームを始めただけでしたね。
期待した私がバカでした。

発症したのは生後4か月なのに、正式に診断されたのは3歳半。約3年かかりました。
この間、私はとにかく調べ、ある病気ではないかと予測を立てました。そして受けに行ったセカンドオピニオンの結果、やっと診断に至ったのです。

セカンドオピニオン先の病院で、確定診断を付けるために遺伝子検査を受けることになりました。
検体は、第3子本人はもちろん、両親(元夫と私)のものも必要でした。

ところが元夫は遺伝子検査に非協力的。
なぜ自分も検体採取されなければならないのかとずっと文句を言っていて、医師の前でも不機嫌そうに振る舞っていました。本当に失礼な態度を取るので、こちらが恥ずかしかったし、殴ってやりたかったです。

第3子の病気は、発達面に遅れも出てきます。軽度ですが知的障害があります。
そのため病気のことだけではなく、発達面でもフォローが必要なのですが、検査やリハビリ、進学先の検討なども全て私に丸投げ。理由は「分からないから」。

その頃、相談できる同じ病気の仲間の輪ができ始めたところだったので、何の知識も無く、頼りにならない元夫は不要だと感じるようになっていました。
「勝手に決めて」の方が1人で行動できるし、むしろ気楽でいいと思うようになっていきました。


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