白昼の逃避行、自由を求めて別居を決行する

2021年6月30日(離婚成立:195日前 / 別居決行:当日)。
5時半頃から元夫が起きて出社準備をしている様子を、私は別室で伺っていました。
6時20分、いつもの時間に玄関のドアが閉まったのを確認した瞬間から行動を開始しました。

荷造りは時間との戦い

子ども部屋に隠していた引っ越し業者のダンボール箱を組み立て、荷造りを開始しました。
この日は第3子を学校に送って行くのは、休校だった第2子に頼みました。いってらっしゃいと玄関から第3子を見送る。もうこの家に戻ってくることは無い。それを知らずに出発した第3子。

帰宅は放デイの送迎ではなく、今日は私がデイまで迎えに行くことにしていたのですが、車が帰る場所がいつもと違う家だったら、どんな反応をするだろう・・
第4子は「帰る時は新居の方だよね?」と私に確認してから出て行きました。

子ども部屋やあまり使っていない部屋は事前にかなり荷物を減らしていましたが、リビングやキッチンにはそれなりの量の搬出したいものが残っていました。食器はほぼ私の持参物。どれも残していきたくないので1枚ずつ丁寧に包んで梱包するしかありません。
早朝から荷造りを開始し、送迎から戻った第2子にも荷造りを一緒にしてもらいましたが、終わりが見えず焦りました。

最初は喋りながら作業していたのですが、そのうち余裕が無くなり無口に。お昼に差し掛かり、お腹が空いたという第2子に、食事なんかしている暇は無いときつく当たってしまい、険悪な感じになってしまった時も。
結局、お腹が空いたピークを通り越してしまって昼食抜き。それくらい余裕が無かったのです。13時に引っ越し業者が到着するのに、まだ荷造りが完了していなかったからです。

引っ越し業者に助けられて無事に搬出

13時ちょうど、インターホンが鳴りました。引っ越し業者はマンションのエントランスやエレベーターを既に養生してスタンバイしていたようです。
まだ荷造りは終わっておらず、途方に暮れていたのですが、作業員が箱詰めを手伝ってくれました。そして要領よくダンボール箱の山やピアノ、家具が運び出されて行きました。
予定通り、15時には搬出が完了しました。

荷物が消えた家。帰宅した元夫がこの光景を見たら、どう思うでしょう。私だったらまず理解が追いつかず、次に家族もいなくなっていることに気付いたら絶望を感じると思いました。
最後に置き手紙を玄関の目に付くところに残し、玄関に鍵を掛け、郵便受けに鍵を入れて、マンションを後にしました。

結局、管理会社へは何も連絡を入れず、この日を迎えました。
最後にマンションの管理人に会ったので、「予告もせずの突然の引っ越しとなりすみません、お世話になりました」と言うと、全てを悟ったかのように「いろんな事情があると思うので大丈夫です、私は何も見なかったことにしますから」と。
今日、引っ越しの予定なんてあったかなと思ったくらいなので、心配はしなくて良いですよ、と言ってくださって気持ちが軽くなりました。

近所すぎる新居へはすぐに到着。すぐに荷物の搬入が開始されました。エアコン工事の業者も来て、取り付けが始まりました。全てが順調に進み、17時頃には完了しました。
そして第3子を放デイに迎えに行き、連れて帰りました。「今日からここで4人で暮らすことになったから」と伝えました。
1回だけ第3子をここに連れて来たことがありました。滞在時間5分程度だったのですが、その時のことを覚えていたらしく、第3子も何かを悟っていたようでした。

家族団らんの時間から、恐怖の夕食の時間へ

ダンボール箱だらけの家の中で、家族4人で夕食を取っていた時のことです。ダイニングテーブルを囲んで食事をするなんて、いつ以来か分からないくらい久しぶりのことで、これが正常な光景なんだと嬉しく感じたのを覚えています。

時間は19時を回ったところ。そろそろ元夫が帰宅する時間です。まずは手紙を読んでくれるだろうか?きちんと読めば、電話など掛かってこないはず。と願っていましたが、そんなことは無く、電話がかかってきました。
置き手紙に、連絡してきても無視すること、今後は全て弁護士を通しての話になること、を書いたのですが、やっぱりかと思いました。それまでの楽しい家族団らんの時間は一気に凍りつきました。

私はひたすら無視します。着信音を切っていても、スマホの画面には着信が立て続けにやってきます。恐怖で動悸がしてきました。子どもたちも動揺していました。
第2子が「着信拒否にすればいいじゃん」と言っても、もう頭が全然回らず動けず。第2子に代わりに設定してもらい、やっと着信の嵐は無くなりました。

次はメールの嵐です。「どこにいる?」「帰ってきて」「自分が悪かった」「話をしよう」そんな内容でした。
どこにいるかなんて答えるつもりも、帰るつもりも、微塵もありません。話し合った結果、帰ろうという選択肢がある家出なら、荷物ごと消える必要は無いのです。

自分が悪かった?今さら何の話をするの?
私がこれまでにどれだけ話をしてきたと思っているのか。それを「うっせーな」と適当に聞き流して、きちんと向き合ってくれなかった。まともに話になんてならなかった。
自分が悪かったというのも、何が悪かったのか本質を理解した上で言っているとは思えませんでした。事の重大さに焦りを感じて、とりあえず謝っておこうと思っただけだろうと思いました。

元夫からのメールもひたすら無視し続け、通知が来なくなったところで気持ちを切り替え、就寝の準備を始めました。
このダンボール箱まみれの新居の中でも、いつも通り明日はやってきます。
明日もいつもと変わることなく、子どもたちを無事に学校へ送り出し、私も出勤しなければならなかったのです。

後にこの日のことを「独立記念日」と呼ぶようになりました。この時は心身ともにそんな余裕はありませんでしたけれどね。


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