自分の位置の話

プロプリオセプター(固有感覚受容器)と言うものが、
身体の各所にあるらしい。
特に関節部分に多く、この受容器が働いて、
身体がどのような姿勢なのか認識しているとのこと。

しかし、脳がイメージする自分の動きと、
実際の動きがずれてる事は多い。

私は、か~な~りずれている。

スポーツをしてる人、ダンサーなどは、
脳内のイメージと現実の自分の動きが一致しているわけだが、
私のような運動不足の一般人はなかなか・・・

そして、年齢と共に更に一致しなくなってくるため、
怪我などが多くなってくる。
思う以上に足が上がってなくて、つまずいたりなど・・・

そんな訳で、ヨガやピラティスや太極拳など、
身体を感じるエクササイズをして、
プロプリオセプターが上手く働くように保つようにすることが、
健康な身体を保つことに繋がると考えられる。


実際の五感から得る情報以外でも似たような事がありる。
自己イメージと現実の自分とのズレだ。
少し前に歴史学者の磯田道史さんの本を読んでいたら、

歴史教科書は、政府や学者さんの願望に過ぎない。
「国民のみなさん、われわれの歴史はこんなものでした。このように思ってください」と、彼らが信じて欲しい歴史像が書いてあるだけである。

と言う文章があり、

そうか、「わたし」もそうだな!
と気がついた。

「わたし」と思っているもの = 「教科書の歴史」

自分で思い込んでいる「わたし」
人に見て欲しい「わたし」
こうありたいと思っている「わたし」
この「わたし」が「教科書の歴史」と同じように形成されているって言えるんじゃないか!っと。

そんな「わたし」は自己イメージに縛られているが、
大きな出来事があると、
その時の都合に合わせて書き換えられていく。

他の国(他人)から見ると
全然違う歴史(ストーリー)に見えたりする。

しかし、本当の自分はそこには見えてこない。

その時々の都合で作り上げた歴史に縛られて、
本当の自分が分からなくなり息苦しくなって来ると、
残存している古文書を読み解いてもらいたくなってくる。

「古文書」=「潜在意識」

これを読み解いてもらうのが、
カウンセリングだったりセラピーみたいなものだと思う。

けれども、この古文書も本当のことが書いてあるとは限らない。

その時々の一時期の思い込みが、真実となっているから。

国と言うものは概念や約束事、思い込みで構成された実体のないものだが、
「わたし」もまた、多くの部分が思い込みで構成されている。

思い込みが強くなればなるほど、
自己イメージの縛りが強くなり、実際の自分とのズレが大きくなっていく。
そのため、概念上での位置や姿勢を感知する感覚も不安定になり、
心のバランスが取りにくくなるのかもしれない。


で、プロプリオセプターに戻る。

足裏には特に沢山のプロプリオセプターがあって、
あらゆるバランスに対応しているらしい。

なので、裸足で土の上などを歩くと、
刺激されて働きが良くなったりするらしい。
足裏マッサージも良いと考えられる。


私のイメージであり妄想だが、

このプロプリオセプターはフィジカルな部分だけでなく、
概念の中でバランスを取ることに対しても、
何かしらも働きをしているんじゃないか?
と感じている。

土に触る、土の上を歩く事で、
うつ病が改善することがあるそうだ。
それは、地面の上に立つ感覚を持つことで、
身体以外の部分でもバランスを整える作用があると思っている。

一般的には、
土に触ることでセロトニンの分泌がよくなるそうだが、
これは心と体が一致した安心感から起こるものなんだと思う。

大自然の中に入っていき、自然のものに触れることもまた
身体を感じることにつながる。
人間の手が加わっていない
実体あるものに直接触れるということは、
概念で固めていた世界観を現実に引き戻し、
安心感が生まれるのではないだろうか。

国だったり、仕事だったり、人間関係だったり、
世間の通念や概念は実体のないもの。

にも関わらず実体のあるものよりも重要になっている。

実体のないものの中で、
自分の価値や立ち位置を模索し続けると、
だんだんと、わからなくなるんだと思う。
概念上の中での、自分の体勢も、立ち位置も、価値観も・・・

なので、時折、しっかり大地に足をつけると、
自動的に体は自分の位置をしっくりと感じはじめ、
実体のない概念の中で浮遊する心も体に引き戻されるのではなうだろうか。

そうやって心身は一致してくるのではないかと思う。

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