映画「アルキメデスの大戦」の感想
映画「アルキメデスの大戦」を見た。
予想していた以上に素晴らしい映画でとても驚いた。
正直、全く期待してなかった。
なので、ブログに感想書く事もないだろうって思っていたが、
感動しまくりで帰ってきた。
好きな人には申し訳ないが、山崎貴監督の映画が好きではない。
それなのに、予想外に感動してしまい自分でもビックリしている。
好きではないのに何故見に行ったかと言うと、
微妙に、戦艦萌えなとこがあるため
動いてる大和が見たい!と言う思いが強かったからだ。
と言っても「艦これ」ファンって訳ではない。
戦艦好きなのは、たぶん、
もう亡くなった祖父の影響なのかもしれない。
祖父は戦前、造船の仕事をしていたらしい。
超下っ端だと思われるが、戦艦「武蔵」の造船にも関わったとのこと。
その為、初めての戦場は兵隊としてではなく、海軍の軍属としてだったそう。
(船の整備とか修理とかする人らしい)
ニューギニアの方で、物凄く大変な思いをしたらしい。
祖父以外はみんな死んだそうだ。
その後は陸軍に兵隊として召集され東南アジアへ。
子どもの頃から、時々祖父と映画を見に行っていた。
祖父と一緒に見た最後の映画は、イーストウッドの「硫黄島からの手紙」。
祖父の弟が硫黄島で亡くなってるので、(九州の方は多いらしい)
色々思いがあったと思うが、「硫黄島からの手紙」は祖父から好評価を得た映画だったと勝手に感じている。
(アメリカ人が作ったからか賛美や美化した部分が少なく、史実に近い映画なのではないかと私自身も思っている)
なので、戦争時代の映画を見ると、
「じーちゃんはこの映画を見てどう思うだろう?」
って考えてしまう。
「アルキメデスの大戦」は?
たぶん、ダメだしされると思う。
戦艦大和と戦闘シーンの再現は凄かったけれど、
時代の空気感の再現がちょっとゆるい。
現代人目線が強い映画なのだ。
祖父には面白くないかもな、と思った。
実際には分からないけれど・・・
この映画は、今までにない切り口の、新しいタイプの日本の戦争映画だと思う。
菅田将暉君演じる主人公は、数学の天才であり若くして日本とアメリカの国力の差を熟知していた。
戦争をバカバカしいと思っていた。
当時の日本人のもつ常識や思い込みの外にいる人物だ。
その視点があるので、戦後以降に生まれた私たちには返って当時の日本を理解しやすい作品になっている。
予告を見た時点ではあまり興味を惹かれなかったが、本編を見てるうちにドンドン引き込まれて行った。
そして、ぐぐぐ〜っと引き込んでおいて、後半は大どんでん返しがやって来た。
この大どんでん返しの部分が上手く出来てないと、台無しになるところだが、
キッチリ作ってあって俳優陣の演技もとても活きていた。
素晴らしかったと思う。
当時の世界情勢や日本の事が分からず、
戦争に行かなければいけなかった人達も辛いけれど、
滅びの道に突き進んでいることをよく分かっていながら
目の前の最善に取り組まなければならない人たちもまた、
辛いものだな、って思った。
全然違うタイプの映画なのに「風立ちぬ」が思い出された。
現代への警鐘も含まれてるように思う。
あと、余談で・・・
現実問題として戦争体験者はどんどん減って来ているが、
最近になって事実が明らかになってきてる情報も多い。
今年の夏、NHKで放送されたドキュメンタリー
「全貌 二・二六事件~最高機密文書で迫る~」が、かなり凄まじかった。
新事実が沢山出ていただけではなく、ピリピリ来るくらいの緊張感を伴った、
良いドキュメンタリーになっていた。
まだまだこれからも新しい事実が出てきそうな気がする。
戦争経験者による体験談もそうだ。
今まで自分の体験をけして語らなかった方達が、90歳を過ぎて初めて口を開くようになってきており、初めて聞く、あの時代の話が沢山出て来ている。
言葉にするの辛いくらい悲しい体験をしてしまうと、心を守ろうとする蓋が溶けるまでに、70年以上かかってしまうってこと。
戦後すぐは美談にされてた事も、実はそうではなかったと、
生々しい事実としてよみがえってきたりしている。
事実は想像を超える悲惨なものだったり。
300万人の日本兵が亡くなったと言われる太平洋戦争。
実質、戦いで亡くなった方は100万人くらいだろうと言われているそうだ。
残りの人たちは餓死と病死。
当時のエリートたちによって作られた、
ずさんな作戦や計画に殺されたようなもの。
当時の感覚で言う「名誉の戦死」ができた人は小数派なのだ。
「アルキメデスの大戦」でも、
エリートたちによる「新型戦艦建造計画会議」なるものの様子が
何度か出て来くるが、見ててフラストレーションが溜まるものだ。
エゴと利権と感情のぶつかり合い。
これが彼らの現実を見る目を曇らせていたんだろう。
最近のネット上の炎上とか見てると、理論的、合理的な話し合いができないのは
今も昔も同じなのだな、って思う。
国家レベルでもそう。
頭の善し悪しは関係ないようだ。
人は物事の一面しか見れないし、全体を把握することはできないものだと思っている。そこを理解し、せめて、意識的に違う角度から見ようとしないと、相手や物事どころか自分の事すら見えて来ない。
ずっと後の時代になり歴史となって、やっと全体を把握できるようになるのだ。
その為、歴史はそこを感じとったり学んだりする、素晴らしいツールでもあると思う。時代が変わっても、情報が多くなっても、人の心のメカニズムは同じだし、同じ事を繰り返したりするものだから。
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