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【SUNTORY】ホワイト

日本のウイスキー史を語る上で絶対に外せない一本があります。
日本におけるウイスキー製造専門蒸溜施設として最古となる山崎蒸溜所。
その国内最古の蒸溜所にて「国産ウイスキー第1号」として製造された最古のウイスキーブランドであり、ジャパニーズウイスキーにおける始祖とも言える存在。
それがサントリー「ホワイト」です。
サントリーウイスキー最古の定番銘柄として知られ、愛称は「シロ」。
正式名称は「壽屋 サントリーウイスキー」で、後発のウイスキーが赤いラベルだったことで、差別化するために白いラベルだったものを「白札」赤いものを「赤札」と呼び、区別したことが白札と呼ばれる様になったことに起因します。
「サントリー」と名付けられた由来ですが、ラベルの中央の赤い丸が太陽をイメージし、太陽=SUN(サン)、そこに鳥井(トリイ)を付けて、サン・トリイ=SUNTORY(サントリー)となりました。
つまり最初は、サントリーというのは社名ではなく、壽屋のウイスキーのブランド名だったのです。
それほど重要なポジションにあるウイスキーが「ホワイト」になります。


1929年(昭和4年)の誕生から現在に至るまで、640mlの丸い茶色瓶に白いラベルが特徴。
初代は『白札』と呼ばれ、1962年(昭和37年)に壽屋からサントリーに社名を変更されたのと同時に白札からホワイトという名前に変わりました。
2019年(平成31年 / 令和元年)に、ひっそりと発売開始から90周年を迎えました。

2021年(令和3年)現在、製造・販売されている現行のホワイトはサントリースピリッツが製造し、サントリー酒類(二代目)が販売するブレンデッドウイスキーです。
現行のホワイトの中身はウイスキー原酒の一部に海外産の原酒が使用されているため、日本洋酒酒造組合の定めるジャパニーズウイスキーの表示基準を満たしていないワールドブレンデッドウイスキーであり、国産ウイスキー原酒を内包している「ジャパンメイドウイスキー」扱いの商品となっています。

サントリーホワイト誕生の歴史はイコール黎明期の山崎蒸溜所の歴史でもあります。
壽屋(現在のサントリー)の創業者、鳥井信治郎はスコットランドで本場のスコッチウイスキーの製造を学んだ竹鶴政孝を山崎蒸溜所の初代工場長として招聘し、1924年(大正13年)より新規事業としてウイスキーの製造を開始します。

そこで外せないエピソードが「怪物ウスケ」のお話です。

壽屋の白札(サントリーホワイト)は山崎蒸溜所の周辺住民たちから「怪物ウスケ」と呼ばれていました。
山崎蒸溜所で製造されていた白札の素となったウイスキー原酒たちですが、当時の山崎蒸溜所で何が作られているのかを蒸溜所の周辺住民には全く知らされておらず、同時にウイスキーの存在も知られていませんでした。
山崎蒸溜所に牛車が列を成して原料となる大麦を搬入し、大量の大麦が運ばれていきました。
そして山崎蒸溜所から突き出るキルン塔(麦芽乾燥塔)から煙だけがもうもうと吐き出され、何年経っても何一つ製品が出荷されないので、蒸溜所の周辺住民たちから「あそこにはウスケという、大麦ばかりを喰うバケモノが棲んでいる!」という噂が広がりました。
その頃の壽屋は赤玉ポートワインが堅調で大きな利益を生んでいましたが、何の利益も生み出さない「怪物ウスケ」を本社の役員や会社を支えていたワイン事業に携わる社員たちは「手に負えない道楽息子を預かっているような負担」を感じ、不満が渦巻いていたそうです。

その手に負えない道楽息子「怪物ウスケ」こそ「白札の原酒」でした。

当時は規模の小さな洋酒メーカーに過ぎなかった壽屋は、利益が出ない資本投下が続いていたウイスキー事業に対して社内外問わず疑念の声が多く、特に社外投資家から収益が出ないことに対する批判と風当りが強くなった背景が大きく影響し、1929年(昭和4年)に国産ウイスキー第1号となる製品を「サントリー白札」と名付けて出荷、販売されました。

ウイスキー製造が手探りの状況での早期商品化は鳥井と竹鶴にとって苦渋の決断でした。
出荷ができるほどに熟成した原酒は最初の年に仕込んだ1年分のみで、ブレンドで複雑な味の調整をすることができない代物でした。
操業開始から数年では貯蔵されている原酒の量も少なく、熟成度も低く、そして何より市場のニーズ等も十分に分析・把握しきれていませんでした。
更に生産ノウハウも構築途上で原酒の造り分けや貯蔵量が不足していたことなども含め、当時の壽屋のウイスキー製造の全てが発展途上であり、その中途半端な状況下で出資者の圧力により、半ば強引な形で製品化されることになってしまいました。
そこで鳥井は白札の発売に合わせて全国紙に広告を掲載するなど宣伝展開に高額を投じて拡販に注力します。
アートディレクターの片岡敏郎によって紡がれた国産ウイスキー史に残る有名な宣伝文句「醒めよ人!すでに舶来盲信の時代は去れり 酔わずや人 我に國産至高の美酒 サントリーウヰスキーはあり!」は、この時に発表されたものです。
しかし、巨額の広告費も虚しく販売は振るいませんでした。
白札はスコッチ特有のピート臭が強すぎたこともあり、当時の日本人の味覚には絶望的に合わず「焦げ臭く、飲みにくい」という不評が多数を占めます。
さらに当時の一般家庭における1か月分の平均生活費の約1割を占める4円50銭という高額な売価設定では、庶民に手が届かなかったことも事実です。
販売不振の理由は高額だったことに加え、元々の需要自体が存在しなかったことが大きな要因と考えられ、大多数の日本人は清酒やビール、あるいは焼酎といった娯楽大衆酒があれば満足で「ウイスキー?」と関心すら示されませんでした。
当時の日本においてウイスキーを嗜むのは極めて一部の上流階級に限られ、舶来品の洋酒として珍重されていた時代において、大多数の日本人には馴染みが無いものでした。
結果、壽屋に白札の返品が相次ぎ「高額な上に不味い!」と消費者から不評だけを買い、商品は売れないという大失敗に終わってしまいます。
日本人の口に合う味を求めた商人肌の鳥井に対して、日本におけるウイスキー市場の成熟度の低さを理解していなかった職人肌の竹鶴が本場流スコッチウイスキーの再現に強くこだわり過ぎた結果、あまりにも日本人向けではなかったブレンドだったため受け入れられなかったという説もあり、経営者の鳥井と技術者としての竹鶴の温度差を如実に顕現したエピソードとも言えます。

ただ、その後も鳥井と竹鶴は失敗に怖気づくことなく、その失敗で得た経験を踏まえながら、休むことなく原酒の仕込みを継続し続けました。
(1934年3月に竹鶴は壽屋を契約満了により退職)
竹鶴退職後も製造工程の改善と共に山崎蒸溜所の原酒が熟成されてきたことで白札の改良も進み、発売当初のピート臭の強過ぎた味から甘味を感じさせないシャープでキリッとした味を基本として進化しました。

 山崎蒸溜所の熟成原酒が充実していく中、ホワイトはスタンダードとしての地位をしっかりと確立し、太平洋戦争後は通称「シロ」として多くのファンを獲得することとなります。
その後も「白札」は1級ウイスキーとしてブレンドに改良が重ねられながら、ミドルクラスのウイスキーとして確固たる地位を築いていきました。
1970年代以前のホワイトの主原料はモルトとブレンド用アルコール(スピリッツ)でしたが「オールドショック」後にサントリーウイスキーの生産と主原料が抜本的に見直され、現行のホワイトは主原料がモルトとグレーン(国産原酒と海外原酒併用)となっています。

その後のサントリーホワイトは高度経済成長期である1970年代から1980年代にかけて、テレビの普及を追い風に若者を中心としたターゲット層に対して人気を持たせる抑揚ある広告戦略を打ち立てます。
サミー・デイヴィスJr.やハービー・ハンコック、レイ・チャールズなど海外の著名なミュージシャンを起用したオシャレなイメージのCMを放送したかと思えば、一転して「仁義なき戦い」や「トラック野郎」で人気を博した俳優の菅原文太を出演料1億円という超高額のギャラを提示して起用「社長さんも、大臣も、飲むときは、タダの人じゃけえ…のぅ!」と、敢えて対極的で無骨なCMに仕上げて、興味を引くことでブランドの拡充を図りました。
しかし、その後は海外のウイスキーの輸入緩和によるライバルの増加と後発ブランドの台頭と社内競合などもあり、ホワイトの販売は伸び悩みました。

連綿と続くホワイトのボトルは現在に至るまで640mlの茶色瓶で発売され続けている不変のデザインではありますが、1980年代に出荷された「ホワイトエクストラ」や1989年(平成元年)4月の酒税法改正(ウイスキー級別廃止)に伴い発売された新ホワイトで販売されていた際は緑色の瓶で発売されていた時期もあります。
1990年代にはアルコール度数を25度に落としてリキュール類として販売した「サントリーホワイト25」など亜流も発売されましたが、販売はそれほど振るわず、2000年代を過ぎた頃には需要回復に至る好材料も無いまま、すっかり目立たない存在となったホワイトは酒販店でしか入手できないほどのマイナー商品となってしまい、現在に至ります。

現在「ホワイト」というブランドはサントリーのウイスキーラインナップにおいて凄く日陰の立ち位置にあることは少し残念な現状だと感じます。
今、日本のウイスキーの良さを声高に喧伝する国産ウイスキー愛好家であれば、原点回帰の気持ちを胸にブランド誕生から90年を経過した「ホワイト」を飲んで歴史の重みを感じることも大切だと思います。


約100年という時の流れと付帯する歴史の積み重ねが我々の飲酒の選択肢を豊かにしました。
ヒストリック(歴史的)なものを大切にすることを教えてくれる「最初の1本」が世に出たからこそ、現在のジャパニーズウイスキー隆盛の時代があります。

初の本格国産ウイスキーと喧伝しても誰もピンとこなかった舶来盲信の時代に挑戦し、ウイスキーという洋酒を日本人が造り、日本人の舌に乗せた偉業。
そのジャパニーズウイスキーの原点こそ、紛れもなく「ホワイト」です。

名称:サントリーホワイト
種類:ブレンデッドウイスキー
販売:サントリー株式会社
製造:サントリー株式会社
原料:モルト、グレーン
容量:640ml 40%(現行品)
所見:国産ウイスキーの原点と言えるヒストリックブランド。