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アイデアノート「ひょっこりひょうたん島仮説」

1stガンダムから始まる富野の一連のロボアニメやひょっとしたら宇宙戦艦ヤマト、そして「沈黙の艦隊」は、ひょっこりひょうたん島を底本にしているのではないか仮説。

ひょっこりひょうたん島は1964〜1969年に放映された15分ものの人形劇。昭和20年産まれのワイの亡父(中高生時代は西部劇にハマってた)が大学時代にひょうたん島見たくて速攻帰宅したと語るぐらいには人気のあった作品である。
話自体はひょんな事から主人公たちが遠足に来たひょうたん島が火山噴火の影響で浮島となりあちこちに向かうというドタバタで、そこに社会風刺入れるタイプの人形劇だ。

富野はサンライズ立ち上げ当時のロボアニメではそれまでのロボアニメを踏襲して「拠点からロボが出る」プロット組んでいるのだが、ザンボット後半で主人公家族が宇宙船で移動するプロットを組み、ガンダムで「少年少女がひょんなことから生活空間(ホワイトベース)ごと漂流する話」を手がける。このプロットは永らく宇宙戦艦ヤマトをパクったもんだと理解していたが、少年少女がメインだし、ある意味巻き込まれて漂流する羽目になるという部分が実に「ひょっこりひょうたん島」に近しいのである。また、富野は若年時にかなり勉強熱心だったので「ひょっこりひょうたん島」を履修していない可能性は低い。

で、ひょっこりひょうたん島ではラストで国連から国家承認受ける代わりに……という話があるんだが、これまんま「沈黙の艦隊」で、ガンダムと沈黙の艦隊って物語の構成要素・物語の骨格が「ヤマト+ひょっこりひょうたん島」という点で激似なんではないかなと。(よりひょっこりひょうたん島メソッドを強く打ち出したのが銀河漂流バイファムなのかなと)

まぁ、そんな薄らぼんやりとした直感から「ジークアクス本編は、事故でマチュたちの住むコロニーがひょっこりひょうたん島化して月衛星軌道上(ラグランジュポイント)を漂流し、ジオンから独立する話になるんちゃうか」と頭の悪いコメントをどこぞに流した訳だ。ひょっこりひょうたん島は後に原作者の井上ひさしが「主人公たちは実は最初の火山噴火で全員死亡している」なんて与太公開してて、実に「キラキラ」とか「刻を超えた」みたいな話と親和性が高いんですわ。

一応ガンダム系の世界における「ニュータイプの行き先」としては、私は「時間の流れがない世界に到達した魂」と仮定している。

https://syosetu.org/novel/300981/101.html

世界というものは観測者がいて初めて知覚されるものであり、観測者は全ての次元に接している「原点」である。世界の姿は全く同一ではなく、観測者の位置によりビミョーにズレてたり、重なり合って存在している。この原点が不動点ではなく「動かし得る」場合に魂という「どこにも接していてどこでもない点」が一つの独立線型パラメータである「ディメンジョン(次元)」となる。

https://syosetu.org/novel/300981/133.html

次元なんだからそらまぁ不滅や。

個々人の魂が独立線型パラメータであり、全ての人は長さとか奥行き、或いは時間と等価であると認識できること、そしてそこから時の無い場所に飛び、時の流れを知覚するのがNT化なのだとしたら?

で、次に問題になるのがコレよ。

時と「とき」の違いだ。
大まかな解釈としては、時間に何かの意思が作用したものが富野時空における「刻」なんだけども、ここで「Z 刻をこえて」を富野が作詞当時のガンダム周りを意識して書いたものとして再解釈してみよう。

ワイの見立てでは、この歌詞における「刻」とは、スポンサーのゴリ押し(意志)により産まれた宇宙世紀の歴史(時間)そのものである。
大体Zガンダムって名前自体が「XYZで後がない、最後のガンダム」であり、バンダイが五月蝿いからガンダムにトドメを刺す目的で製作されたのは疑う余地もない。しかし最初は手応えあったんだけど(「もう目覚めたから」「人の過ちを見ることもあるさ」「今は見えなくても 道標は浮かぶ」)

まぁ、結果的には失敗した。

富野の企みはZZ経由で逆シャアにより実現したんだが、それでもVやらされるし、Vの時にサンライズがバンダイ資本に買収されるし。そらまぁアンタ、富野も鬱になるわ。

そもそも考えてみよ、Zの主人公カミーユにせよ、相方のフォウにせよ……若さしかない連中が「そこに残った若さ取り出し」する必要ねーべな。この歌詞の歌い手は歳を取っており、残った若さを取り出さねばならぬ状況にある。まぁ、Ζ当時の富野は44〜45歳ぐらいで今ほどジジイではないのだが、当時サンライズがマクロスにビビって集めた若手は永野護(当時25〜26)や小林誠(25〜26)、藤田一己(21〜22)など、みんなまだ20代なんスよ。そりゃあ「これが若さか」にもなりますわな!

で、この「刻」が何らかの意思により変質した時間だとするならば……妖星伝(1975〜1995)の存在が際立つ訳である。

ダンダダンにもこの作品絡んでそう

この妖星伝の最後のプロットが「意志を保つ時間」であり、全ての結末は「この意志を保つ時間という厄介者を全宇宙に知らせるためにあった」という部分なのである。確か単行本6巻辺りにはその辺の匂わせがあったので、1981年(6巻発売)時点ではその構想が世に知られている筈であるし、ひょっとするとイデオンの「イデ」も意志を保つ宇宙という意味で若干の半村良影響下にあるのかもしれない。(妖星伝の中には、この世が悍ましいのは何者かにより悍ましく改変されたからだ」という部分が割と初期から提示されている)

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純戦士のおじさん
方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!