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パクり方から学ぶ物語再構成方法
幸いにして私は護身完成した為、グレンダイザーuを視聴していないのであるが、なんかグレンダイザーuは悲喜交々つーか、やはり万人ウケはしてないらしい。
てかね、私が見るにグレンダイザーuのシリーズ脚本書いてる大河内氏はどうも様々な過去作のパクリをやる割にパクリが下手な様なのだ。
上記の記事でも触れたが、テンペストをパクるならその物語構造を解析して話の骨子をパクるべきであり、キャリバンとかプロスペローとかは枝葉末節に過ぎないの。
テンペストのコアにあるのはキリスト教的な「回心と赦し」であり、後は実のところ細部が変わっていても構わんのよ。
BlueSkyでも書いたが、デッサンが下手なのに表層とか模様だけパクリ元に似せてもしゃーない。それは単純に「下手な絵」であり、描き込みする暇があるなら一回最初からデッサンやり直せって話でね……
例えば、初代ガンダムは何故にスゲーかって言うとだね、あれロボアニメの新しい基本骨格作ってるのが凄いんよ。
ガンダムってのは、なんか知らんが宇宙で民間人の少年少女が戦争に巻き込まれて「日常に回帰する」までの話なんな。
それまでのロボアニメって敵の親玉が居て、それを倒して平和になりました……雑に言えば全部これよ。でも、ガンダムは別に最後ジオン軍滅ぼしてないし、ザビ家康なんてのは別にアムロは倒さなきゃ(使命感)と考えてない。
ある意味ではホワイトベースクルーを守り切り、戦争を生き延びたらそれで良い。軍属になり兵隊やってるから出撃するし、キュピンして白い悪魔になっているが別にアムロは戦闘狂ではないからね。
で、これと同じ物語構造……バイファムもレイズナーもドラグナーも構造同じなの。言わばあれ別バージョンの1stガンダムなんよ。上手くパクるとこんな風に再構成できる。
バイファムのケイトさんは、まぁガンダムのマチルダだし、カチュアは「実は敵側の女の子」って意味でミハルやララァだわ。基本構造だけ借りてきて枝葉末節をちょいちょい弄れば別作品になる。これが上手いパクりとゆー奴だ。
暴れん坊将軍や影の軍団、水戸黄門……話の構造をコアまで解体して舞台や背景変えたら普通は別作品だと思いますわ。
上記はエドガー・アラン・ポーのアナベル・リーを「愛し愛された幼馴染の娘が天の使いにより風邪ひいて絶命する」って筋に、修験者混ぜて再構成したものだ。なお、混ぜたらヒロインは死ななくなったw
話を創作するというのは実のところ大変難しく、ある程度話を量産するなら「既存の物語を上手くパクる」のは必須のスキルだと言える。ドラえもんの長編第1作目である「のび太の恐竜」が野生のエルザから産まれたなんて話聞いた時には驚いたね。野生のエルザにドラえもん足したらのび太の恐竜か……F先生流石やな。
で、大河内グレンダイザーであるが。
表層的な要素はグレンダイザーやダイナミックプロ味とかしてんだけど、なんかこー……グレンダイザーを構成する上で欠かせない「グレンダイザーの骨格」が形成されていない感じがするんだ。
てか、シリーズ構成って話の骨格作る仕事だと思うんだが、何でか大河内がそれやると話グダグダになるんだろ? そもそも彼そう言う仕事に向いてなくない?
例えば、マジンガーZだが。
マジンガーZは大変お強いスーパーロボットなのでアレが出て来ると敵に勝ち目がない。だから敵側はコスい手を使いマジンガーZを出させない様に、或いは弱点を突いて有利に立ち回ろうとする。その敵の作戦を回避したり知恵と勇気で乗り越えて「マジーン! ゴー!」から先は処刑シーンという訳だ。作劇は如何にマジンガーを無力化するかって部分とそれを阻止しようとする味方側の部分にある。
本来はリブートとかリメイクってこんな感じに物語の要素を分解再構築して「細部は違うがデッサンやボリューム構成は同じ」ってラインで進めるべきだと思うの。昨今世を騒がせるテレビドラマにおける原作改変も、テーマ性の部分はビタイチ変えずに枝葉末節弄るぐらいなら文句は無いんだけど……「おせん」とかはいきなりグリコが板前目指して「何考えてんだこのアホ」と思ったりなんかした。あの話はグリコって言うモノを知らない現代の若者が美とか粋を学んで行く姿ってか、彼を通して視聴者がその世界の深淵さを垣間見る構造なのに……脚本書いたやつは読解力を小学校のグランドにでも置き忘れてきたのか?
水星の魔女でもいきなり終盤でスレッタとグエルがフェンシング始めるが、ガンダムにおいてフェンシングは「共にMS乗ってやり合って、MS共にぶっ壊したから拳銃やフェンシングで戦うって流れであってだな……そこで明らかになるんだけどあそこでシャアはアムロに同志になれって言うでしょ? ラスボス倒して天下泰平を狙っているのはシャアなんよ。いわゆる「ガンダム以前のロボアニメ主人公」をシャアがやり、アムロはザビ家打倒とか考えてないんだよね。シャアぶっ殺そうとしてたのもララァを戦場に引っ張り出したケジメ取らせるぐらいの意味しかないし。
もしもフェンシングシーンをパクるなら、こう言う物語構造段階でパクるべきで、グエルにクワイエット・ゼロを守らせる必然性を持たせつつ……と展開するべきではなかったか。(まぁ、話のネタ的に思想的な部分がすっからかんの大河内には無理だと思うんだが)
尚、ガンダム以降の作品で1番ガンダムのフェンシングシーンに近い作劇したのは、グレンラガンでギガドリルブレイク→ラガン・インパクトからの
「シモンとアンスパのステゴロ勝負」
だと思います。
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