とはいえ、3行日記なのですが、1日の終わりなどに、その日思ったこと、感じたこと、行った場所について、食べたものについて、そうしたことを書いていきたいと考えています。 よろしくお願いいたします。 冬川蒼真
03からまた間が空いてしまった。 しぶとい風邪をひいていたので、ご容赦願いたい。 さて、東京旅も2日めに突入した。 目が覚めたのは、振動式アラームがわたしを叩き起こす前だった。 二度寝をしようか迷ったものの、昨夜はほとんど水分も補給できず寝こけたことを思い出し、冷蔵庫からお茶やら水やらスポドリやらを取り出しては少しずつ飲む、を繰り返す。 そのうちに別の友人をSNSで見かけたため、DMでライヴの話やセトリが上がっていたよ、という話をした。彼は三柴理さんのファンである。
高円寺のジロキチさんを出たときには、辺りはすっかり夜だった。深夜帯、とでも呼べようか。 わたしは宿に戻らなくてはと、すぐ近くにあるJR高円寺駅まで歩いた。 ところが、なんと新宿行きの路線のほうが止まっていた……友人は「暑いし新宿からタクシーに乗るね」と言っていたので、新宿を経由していたことは間違いないのだが、困った。 「品川まで、どうやって行けますか?」 わたしは駅員さんに訊いて、耳が不自由だからメモが助かると伝えて、書いてもらえた。 仕事なんだろうけれど、都会の人もそ
そして地下にあるジロキチさんへと、我々も降りてゆく。降りたところで友人が「誰だったっけ、楽屋見舞いの人?」と気を利かせて訊いてくれたので、正直に吉田隆一さんと返事をした。無事にお渡しされたことを、ライヴ後に知る。 友人は何かのお酒、わたしはお茶をオーダー。 飲み物のコップを手に「何番の方はこちらです」みたいに案内していただいた。結構ギリギリで、真ん中くらいの席を取れたかと思う。 先着順で整理券を取るライヴとは、このような感じなのだろうか。ライヴハウスが初めてのわたしからする
東京へ行ってきた。 目的は、神林長平先生のデビュー45周年ライヴ。 14日と15日、日をまたいで。 行きも帰りも新幹線だった。品川で降りなくてはならないため、わたしは緊張していた──うっかり乗り過ごして東京まで行ってしまったら、と。しかしそれは杞憂にすぎず、新幹線の終点は品川だった。 間抜けもここまでくると、脱力ものである。 品川駅では、友人が待っていてくれた。 やや早いが、宿にチェックイン、それから荷物を預けた。さらにカフェへ行き、可愛いメニューを前にはしゃぐ(年甲斐もな
昼、本物のさすまたを見てしまった。 いったい何がそこで起きていたのかは、わたしにはわからない。さすまたはよくニュースなどで不審者を取り押さえるときに訓練をする、という内容の映像を流していたりするのを見たが、地べたに無造作もいいところに転がっているのは、初めて見た。 どうやら捕物が展開されていたらしく、パトカーがけたたましくサイレンを鳴らしつつ、すぐそばの道路を突っ走ってきた。応援の人たちなのだろう。 やがて不審者か誰かが逮捕されたようで、パトカーと護送車がこれまた走って行っ
早朝から、謎の腹痛で悶えていた。 食事は薬を飲むから食べなくてはならないが、昼は薬だけを飲んだ。 さて。 東日本の震災や、北陸の地震などはよくないが、阪神・淡路大震災なら29年前にもだし、もういいだろう、みたいな感じでネタにしている輩のnoteを見かけたので、被災者であるわたしは憤慨した。 あの地震は、わたしから数多くのものを奪っていった。許せるはずもない。 謎の腹痛はしぶとく、現在も時折、顔を出す。 このあと、内科を受診する予定だが、こんな時期にこなくてもいいのでは、と
きょうは昭和であれば、99年の9月9日にあたるそうだ。それだけである……というひと言で済ませてしまいたいところであるが、昭和の終わり、特に(おそらく)63年から64年にかけては、よくものがわからない子どもから見ても、どんよりとした空気を漂わせていた。 というのも、当時の天皇陛下(昭和天皇)がどのくらい吐血されたとか、下血までされたとかが、わざわざテロップになって出てくるくらいだ。 しかも、朝昼晩問わず、ニュースが流れるたびに。 バイタルのことは何もわからないから「そっか」と
気づけば、あっという間に週末だ。 来週になれば、わたしは推し作家さんや友人に会うために、チケットを携えて旅に出ているだろう。 先着順で整理券というものだから、本当に予約できるかドキドキしたし、いまに至っては「ファンレターくらい書いておくべきか」と、さらなるドキドキをかかえている(お渡しできるか不明なので、今回は書かないことにした) 旅先の写真、できたら色々とアップしたい。 映えなくても構わない、別にわたしはインスタグラマーではないし(インスタやってるけど)、それで食べてい
旅から戻ってきたら、残った全額は無理でも、ほとんどを貯金にまわすつもりだ。しかし、つもりは、つもりで終わるのだろうか。 なぜか。というのも、わたしの大好きな小説が装いも新たに復刊! となってしまったからだ。 それ自体は喜ばしい。作者の氷室冴子先生はすでに故人でいらっしゃるが、あの名作が「氷室冴子? 誰それ?」な世代の人々にも読んでもらえるのだ。 その作品名を『銀の海 金の大地』という。 日本の古代転生ファンタジー小説だ。興味をそそられた人は、是非とも沼にドボンしてほしい。
12年めの結婚記念日を迎えた。 書きたいことは、あれもこれもある。 めちゃくちゃ暑い中、祖父に証人になってもらいに行ったら、祖父はせっかく判までくれたのに、何と書き損じたときのための予備(白紙の婚姻届)を渡していて、祖父は2度も証人にさせられた、など。 だれか気づいてもよさそうなものだが、暑かったのだから仕方ない。 しかしながら、アイモビーグの副反応や疲れで傾眠がきているため、その文章は、後日したためることとする。 こちらは神経内科(頭痛外来)のはなし。 書きたいんじゃ
以前はバルス祭りが楽しみだったが、最近すっかり眠気が勝つようになってきた。 というわけで、楽しみたい人は楽しんでほしい。 わたしは原稿をやりながら愛猫を撫でくりまわし、そして寝るのだから── バルス(ぼそり)
台風にそなえ、色々と自宅であれこれしながら過ごしていた。 しかしそこは天気痛もちのわたしである。 寝て起きて活動、寝て起きて活動……結構トロトロしていて、なかなか支度は進まない。 水は何より大切だ。 かつて大地震に遭遇したことがあるが、あのときは本当に突然すぎて、何ひとつ準備などできなかった。 寒い時期のことだが、湯ではなくても、水でもないととても困ったものである。 そう、お手洗いなどに。 あの当時、わたしはまだ未成年だった。 だから大人が守ってくれていたが、いまではわ
脚の付け根をひねった。正しくは、なんと寝違えた。 こんな器用な人間もなかなか存在するまい、わたしはそう悟り、1日はテキパキ動くことを諦めた。 何しろ、学生時代にはワンバウンドしたバスケットボールで、派手に突き指をしたのだ。そしてそのあと、やはりバレーボールで華麗にアタックを決めようとして、またしても突き指した。 体育は当時、下手くそではあったが、嫌いではなかったし、テニスコートの何もないところで滑り転んで、派手な擦り傷をこさえたのも、もはやいい思い出でしかない。 早いは
西側の空、綺麗だと思ったのでおすそ分け。 今日、書けることはこのくらい。暑過ぎてあまり体調もよくないから。
わたしは酷い片頭痛もちだ。 ここから先は、食前・食中・食後に読むのは、おすすめいたしかねる。 耳慣れない名前の薬だと思う。 それもそうか、──新薬の部類に入るから、なおかつ保険適応してもそれなりに薬価も高いし、仕方ないといえば仕方ない。 わたしはこの注射を、ひと月に1回打っている。 先日、4度めを打ったばかりだ。 しかし、予防薬(本来なら片頭痛予防には使われない内服薬)を飲むのは欠かせないとはいえ、頓服である鎮痛剤を使う回数は目に見えて減ってきた。 アイモビーグ様々である