「終わりの見えない」議論
上の記事は、12月5日のカフェゼミで行った「Cup and Earth」について書いたもの。カフェゼミ当日、多くの来場者がマイカップ持参や貸し出しマグカップを利用してくれた。みんなが笑顔でマグカップを使っている様子を見て、ほっとしたと同時に嬉しさで胸がいっぱいになった。
だけど、実はこのプロジェクトを進める過程で、ゼミ生の間では様々な議論(試練?)があったのだ。
今年の春から始めたマグカップ持参の呼びかけとマグカップ貸し出し。今回のカフェゼミでもやりたい!という思いはあったものの、一つある疑問が生じた。
それは「環境問題について何も知らない私たちがこの活動をどういう立場で続けていくのか。」ということ。
この疑問に対して、私を含めゼミ生みんなが頭を悩ませていたと思う。カフェゼミの準備期間に研究室に集まり、お菓子とお茶をはさみながらゼミ生達で議論した。
(以下こんな感じの議論)
「私たちゼミ生がもっと普段から環境問題に意識して活動するべき!」
いや、でも、
「私はただみんなでマグカップを持ち寄って会話するのが楽しいんだよ。」
うーん、、
「でも楽しいだけじゃ何も変わらない。」
「確かにそれもその通りなんだよね。」
うーん、、決まらない…
上に記したこと以外意見も沢山。みんなそれぞれの意見がある中で、「決断」を迫られる状況。正直、私は辛かった。でも、議論することはやめたくなかった。私は絶対に、このプロジェクトは成功させたかったし、「やめたい」と言う人も誰一人いなかった。
議論の末、先生が提示してくれた「ファン・セオリー」の事例などを見て、「知らない私たち」なりに楽しくちょっと地球にいいことをしよう!となった。コンセプトが決まった後も、みんなでどうやったら楽しんでマグカップを使ってもらえるか、考える → 言う → 一旦試作 を繰り返した。
その結果、ちょっと自慢できるような「Cup and Earth」ができた!
これがグループフロー?!
長岡先生はよく、「グループローを起こすためには、不断のコミュニケーションが必要」だと言っている。今までその言葉にあまりピンときた経験がなかったけど、こうやってC&Eの議論を振り返ってみると、みんなが議論に夢中になって頭をフル回転させている感覚は「不断」だったかもしれないと気づく。皆が「いいものを作りたい」って思っているからこそ、一人一人思うことはあって…。だけど他者の意見を否定はせずに、最適解を見つける「終わりの見えない議論」。(もちろん決断を下さないといけないけど。)
もしこの「終わりの見えない議論」ができていなかったら、今の「C&E」はなかったと思う。研究室にいたみんなが議論から逃げだすことなく、対話してくれたからこそ、成り立ったプロジェクト。
「終わりの見えない議論」をめんどくさいと思わずに、楽しんでみることも大切かもしれない。時にはお菓子をつまみながら、お茶を飲みながら、ちょっとジョークを言いながら、楽しんでみる場作りの工夫も必要。
きっとこの先も「終わりの見えないなにか」にぶつかるかもしれないけど、「この長岡ゼミのみんなとなら乗り越えられる」強く思う。