ラン履歴書
プロフィールにはマラソン、まるでランニングnoter?みたいになっているのに、今だに走ることにふれていなかった。
簡単に私の陸上人生について振り返ってみる。
・幼稚園〜小学校
幼稚園児のときから男子含め、同級生の中で頭ひとつ大きかった。
田舎の学校で人数が少なかったこともあり、女子の中ではかけっこや持久走で1番だった。
野球チームに入っている男子を追いかけていた。
ライバルは空手をやっていた男の子。
小学5年生の持久走大会、ライバル視していた空手男子と並んで走っていた。後半、抜こうとするとじゃまをされ、私もまんまとそのじゃまに引っかかり、2人で蛇行しながら走った。結局、最後まで抜くことが出来ず、負けた。
初めての悔し涙。
これをきっかけに、小学生のランニングクラブチームに入る。
陸上競技のスタート。
・ランニングクラブ
もともと何かスポーツをやってみたいと思っていたところで出会った陸上。
他にも習い事をしていたので週に2回ほどだけ。
たまたま同じ学年の子が多かった。他の子たちは小さい頃から走っているし、毎回練習に参加していて速かった。
オーラがあり、同級生なのに怖かった。が、憧れでもあった。多分、初めての憧れ。
周りより練習量は少なかったが、少しずつ走れるようになった。
小学生でも駅伝大会がある。
チームからはタイム順にA,B,Cのチームをつくって出場していた。
私はAの補欠かBの主力メンバーだった。
小学生最後の駅伝、Aチームの子が習い事で私はAチームのメンバーに選ばれた。
嬉しさと緊張。どちらかというと、迷惑かけてしまうという不安のほうが大きかった。
タスキをもらい、とにかく一生懸命に走った。
前にいた人を抜いたような、抜かれたような、、、
はっきりとは覚えていない。
ただ、次の子にタスキを繋げたとき涙があふれた。
走りきれた安心感、充実感、結果への不安、いろいろな感情でぐちゃぐちゃだったことは覚えている。
泣いていた私に同じメンバーがかけよってきてくれた。「速いやん!」「おつかれさま!」「ありがとう!」そんな嬉しい言葉を憧れていた子たちにかけてもらった。さらに涙。
結果、チームとしては2位🥈
個人でも区間2位か3位。はっきりと覚えていないが、良かったのは確か。
小学校最後の駅伝、最後の大会でいい経験ができた。たぶん、走っているときはゾーンに入っていたと思う。初めて身体も心も楽しい、嬉しいと感じた走りだった。
陸上競技、駅伝の本当の楽しさを知った日になった。
・中学校
縁あり、片道2時間かけて私立の女子校に通う。
中高一貫校。この学校の高校陸上部は県ではトップ、全校でも上位レベルだった。
もちろん中学校も全国レベルなんだろうとワクワクしながら陸上部の体験に行った。このときすでに、高校では全国駅伝で走ることをイメージしていた。
中学校の先輩も卒業すれば、みんな高校でも続けるのだと、、、
しかしその思いは一瞬にしてひっくり返る。
部室まで案内してくれていた3年の先輩に「高校でも陸上されるんですよね?」と聞くと「そんなわけないじゃん!高校生は別次元だよ!私たちが入れるようなところじゃないよ〜」「ちなみにうちは最近同好会から部活に変わってめっちゃ弱いよ」
「えっ?」
私の心は絶望だった。
もともと速いタイムをもっているわけでも、強い選手でもないが、イメージだけは全国大会で走っていた。
ただ絶望したが、心のどこかでまだ諦めてはいなかった。
中学では長距離を専門とした。結局、タイムは小学生のころからあまり伸びなかった。
女子中学生にあるネチネチとした子供っぽいケンカを繰り返し、部活を通して心だけは成長した気がする。
自分を少し客観視できるようになった。
・高校
中学では市大会の決勝すらもいけない実力。
しかし高校の長距離は全国レベル。
ほとんどの人が推薦されて入部している。
私が一年生の代は監督が変わり、新たにチームを強化する年だった。すでに12人が推薦で決まっていて、ほとんどの子が入学前から練習に参加していた。
私なんかが入る枠はない
そう思って諦めていた。が、諦めきれなかった。
高校時代の陸上生活は、私の人生の大きな転機。
このことはあらためてnoteに書きたい。
結局、私の憧れの気持ちが勝った。
諦めなかった。諦めきれなかった。
半年の仮入部期間を経て、三年では駅伝メンバーに選ばれた。
3000mでは、3分近くタイムを縮めた。
苦しい時間の方が長かった。
でも想像していた何倍もの経験ができた。
恩師に出会えた。
私の人生が大きく変わった、大きく成長できた三年間だった。
いつ死んでもこの三年間のおかげで、自分の人生に後悔はない。
そのくらい大切な三年間だった。
・5年ぶりに走る
高校を卒業し、一年間の浪人生活を送る。
しかし、受験は大失敗。
やりたいこともなく、暴飲暴食の日々。
コロナ時期に入り、ニート生活を送っていた。
体重も当時から20キロ近く増えた。
バイトやパートでお金を稼ぐ楽しさを知り、少しずつ外に出るようになった。
いろいろありもう一度将来を考え、今のカイロプラクターを目指すことに。
カイロの勉強を通して、身体の使い方を学ぶ。
現役時代に知りたかった!という内容が多かった。
この時期に高校の恩師から連絡をもらった。
「高校長距離のチームが良くない。人数も少なくて、大変。手伝ってくれ」
喜んで手伝いに行った。合宿や大会を一緒に過ごし、新しい感情が湧いてきた。
同時にもう一度、頑張りたい、走りたい、何かに夢中になりたいという気持ちになった。
私は陸上に対して不完全燃焼だったんだ、と気づく。
大学に進学しても陸上は続けるつもりでいた。
しかし、進学しなかったから走るきっかけを失っていた。
いつかマラソンは走ると決めていたが、今まで何かと言い訳をし先延ばしにしていた。
今走らないと一生走らないなと思い、ようやく高校時代から憧れていたマラソンに挑戦することを決めた。
・初マラソン、初ハーフマラソン
マラソンを走ると決めたのは10月頃。なんとなくで3月のさが桜マラソンにエントリーした。
その前に練習として1月、伊万里ハーフマラソンを走ることにした。
伊万里ハーフマラソンでは、久しぶりの大会。あまり練習をしておらず、イヤイヤで伊万里に向かったがスタートラインに立つと現役時代を思い出す。身体に電気がはしった。
練習では走れなかったペースで最後まで走り切った。
「すごく楽しかった!」という気持ちで終わった。
すごくアドレナリンが出た。
初マラソン、さが桜マラソン。
膝を痛めて練習も出来ず、痛いまま、不安のままスタートラインに立つ。
楽しかったとは思えなかった。苦しかった。
でももう一度走りたい、マラソンっていいなと感じた大会だった。
ここまで振り返って、自分が思っていた以上に思い出があった。
自分の人生の大きなイベントであった陸上、そしてこれからも走る事を通してたくさんの経験と思い出をつくっていきたい。
こんなにかいたのに、まだまだ書き足りない。
陸上を通して感じた思いや考えがあるという事に気づいた。
noteってこういう事か!文字にする事で気づけることがある。noteっていいな〜
これからあらためて、今までの経験や気づきを綴っていきたい。