猪突猛進的人生応援歌。
こどもとおとなの違いを考えてみる。
んーー。どこが違うんやろ🤔
視野が
広いか、狭いか、
もしくは高いか、低いか、
なのかなって私は思う。
だって、おとなとこどもでは考え方も話す言葉も全然違うし、まったく別の人間みたいだもの。
じゃあ、どこからこどもとおとなの違いが生まれるんだろう?
...やっぱり経験値の差かな?
おとなって、
何十年とかけて濃かったり薄かったり甘かったり渋かったり「いろいろ」な経験をしてきているのは確かだよね。もう一言で言い表せないぐらいの「いろいろ」を。
こどもは、
目に映るものすべてが珍しくて、まるで全てを見通すかのような目つきをしていて、踊って騒いで、時々へんてこなことを言い出す。
たぶん、そこに優劣はないんだ。
ただ今を生きているだけ。
そういえば、
以前よりも視野が変わったな、と感じる瞬間が最近ちょこちょこある。
不思議だな。ちょっと前までは、自分自身のことや、自分に関係することを考えるだけで精一杯だったんだけど。
過去や現在において、私自身が置かれている/置かれていた環境や、その意味を考えるようになったし、身の回りの人たちのことが前よりちょっと気になるようになった。
バイト先で出会った、勉強をめちゃ楽しんでるおばあちゃんと話したのがきっかけで、
これまで通っていた小学校、中学校、高校というのは結局どんなところで何をするための場所だったんだろう?(今の教育はだめだと思うけど、あながちだめじゃないところもあったな。うーん白黒つけ難い。)今、通ってる大学は何をするためのところなんだろう?
と、考えるようになった。
声優志望の友達と元新聞記者の先生の話を聞いて、
「声」とか「文字」って、一見何の変哲もなさそうだけど、仕事としてちゃんと成り立つだけの価値がやっぱりあるんだなー、と気づいた。
父親や、いろんなことしてるいろんな大人と(酪農家、クリエイター、落語家、教育家、なんか嫌な感じ人も含め...etc)話して、就職・採用のことや会社の仕組み、起業の考え方がほんの少しだけ分かった。
「起業なんて」「就職なんて」と文字面だけで物事を判断する前に、両方ともちょっとずつかじってみて、それから考えてみることだってできるんだ、と学んだ。あと、利用される人がいれば、利用しようとする人だってもちろんいると知った。
果たして今の19歳のわたしは
こどもなのか?おとななのか?
その答えはまだわからない。
でも、
この社会にはまだ味わったことのない新しい面白さが隠れているな、という予感がなんとなくしている。
だから、まだ今は内にこもってばかりじゃいられないな。
明日がどうなるかはわからないけど、
こんな今日のわたしを、わたし自身が応援してやりたい。