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ここ一週間、お腹に一発KO食らってましたがなんとか立ってます。

「言われるうちが華」「頼まれるうちが華」

これまではこの言葉にあまりピンと来なかったのだけれど、最近その意味が少し分かってきた気がします。


お腹に一発KOを食らう🥊

この数日間、色んな人にわたし自身の今後の展望や、立ち上げたい事業について壁打ちしてもらっていたんですよね。

最初は意気揚々と話すんです。
「今まではこれをしてきて…」
「今こんな活動をしていて…」
「将来はこんなのを目指してて…」

でも、返ってきたのはこうでした。

「実際、何がしたいの?」
「本当にやりたいと思ってる?」
「目的意識を持たないとぶれるよ。」
「他人の目線で物事を考えてない?」
「今までの肩書きを気にしてない?」

同じような問いを何度もぶつけられました。

久々に全身がカーッと熱くなるぐらい、悔しかった。

振り返れば、
次から次へと目の前に出てくる仕事だけに取り組んで、そんな今の状況に大体満足して、結局、自分の将来とちゃんと向き合えてなかったんですよね。

もちろん、未来なんてはっきりしないんだから分からなくて当然。
 でも、それを言い訳に何も行動しないのは違うでしょ。


そんなメッセージを直接、お腹にぶつけてくれました。


花束は、渡す側も貰う側もうれしい💐

この出来事を通して、
人から忠告を受ける機会はものすごく貴重だと思うようになりました。

どういうことかというと、

忠告を受けるということは、
自分に期待を持ってくれているということ
だから。

相手が自分の為に時間を割いてくれる状況は、全然当たり前じゃない。
でも、そのありがたさになかなか気づきにくい。
だからこそ、このことは常に忘れないでいたいです。

あと、人から頼まれごとをされるのもすごく貴重だと思うんです。

頼まれるということは、自分が相手から必要とされているということ。
頼むということは、自分が相手を必要としているということ。

現在、わたし自身がこうしてイベント活動を続けられている理由のひとつにもこの「頼む・頼まれるの関係性」があるような気がしています。

いくら本人がすごくても、その人だけで事は成り立ちません。

本人が裁量を発揮できる役割やポジションを誰かが与えてくれて、周りの人が実行のために手を貸してくれて、今もこうして活動が続けられています。

そうやって、見えるところにも、見えないところにも、直接的にも、間接的にも、後にも、先にも他者がたくさん関わっています。

だから人から頼られることで、「嬉しい…!」とは思うけれど偉ぶったりはしません。

結局、
頼る側・頼られる側、双方に優劣がないほうが上手く事が運びやすいと思うんです。

(とはいえ、わたしも見栄っ張りなところはあるのでちょっぴり反省…。)


来年も、そのまた先も、色んな事が起こって、
わたしも、わたしの周りの環境もあっという間に変わってしまうんだろう。

けれどもわたしは、頼み・頼まれ、背中を預け・預けられのつながりを欠かさずに生きていたいです。

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