第24話「超人的能力」
それからと言うもの、君野はその後も5日に一回、夏休みの間は宮塚の家に健忘症で向かっていた。
ここまでくると、君野ももう抵抗する力が出ない。
あの宮塚の不気味な部屋の年季の入ったピアノ前。
宮塚は虚な目で鍵盤にうなだれる彼の顎を掴んで、いろんな角度から医者のようにみる。
健康も洗脳状態も良好だ。
ここまで彼がとけたアイスのようになっているのには僕のピアノにさらに磨きがかかったからだ。
彼を思えば想うほど、僕の力は沸るのだ。
今はその最高潮に来ている。
この項垂れた顔は、僕の栄養分だ。
これが僕が彼にする精一杯の「愛」だ。
「ねえ、吉郎。外にご飯に食べに行こうよ。」
「…。」
宮塚は君野の下唇の下に置いた指を上下に動かし、正気のない君野の口をぱくぱくさせる。
一方、彼は本当に絶命しそうな魚のようだ、
やられたいまま口をパクパクさせられている。
「そうだ!駅前のハンバーグを食べに行こう!僕が奢ってあげるよ。」
と、まるで人形遊びのように、反応もしない君野を外へ連れていく。
2人で並んで歩き手を繋ぎ、宮塚はまるで仲の良い兄弟のように1人君野にるんるんと話しかけていた。
まだ1週間前までは君野は元気だった。
しかし、その頃から取り乱していた。
何かの異変があったのか、健忘症ではない自我のある彼からの連絡が集中し、スマホが熱くなった。
しかし、宮塚はその彼の切羽詰まった内容を既読無視し、着信も放置した。
もちろん、家に来てもらうためだ。
「み、宮塚くん!僕になにかしてる?」
その一時間後、いつもは嫌がる宮塚の家に、君野は慌ててやってきた。
ここまで走ってきたのに顔面蒼白で、玄関で会うと彼は泣きそうな顔で縋るように宮塚の腕を両手で掴む。
「なにかあったのかい?」
「最近おかしいんだ…蝉の音に混じって宮塚くんの部屋の古いピアノみたいな、くすんだピアノの音が混じって聞こえてくる。僕の家のインターホンも、横断歩道を渡る時の音も、目覚ましの音も…。」
と、宮塚にまるで詐欺で騙されて大金でもとられたかの様に絶望的な顔で彼を見上げた。
「お母さんの声も、だんだんピアノにかき消されて聞こえなくなってきてる…。ピアノの音がお母さんの話す言葉を演奏するみたいに言葉を掻き消すんだよ!どうしよう…。」
「吉郎、それはね吉郎が僕を愛しているからだよ。」
「違う!僕はそんな言葉を聞きたいじゃない!お母さんの声を戻して!」
「僕は何もしてないよ。吉郎が望んだからそうなったんだ。」
「違う…違うよ…!!」
君野はそう言って泣きじゃくる。この会話の成り立たなさに心が折れてしまったようだ。
ぺたりと床に座り込み、大粒の涙を流し泣き始めてしまった。
しかし、宮塚はそれに心が動いてる様子もない。
冷めた目で見下ろした後、君野と同じ目線になって彼の泣きじゃくる顔を両手で挟み、額をくっつけ合う。
君野は涙を流しながらごくっと唾を飲み込む。
「いいかい?そのうち僕の声しか聞きたくなくなる。でもそれは吉郎がお母さんの声を聞かなくてもいいって思ったからなんだよ。僕のことが好きだから他に誰にもいらないって、心では思い始めているんだよ。」
その言葉に君野は無理にでも首を横に振る。
「僕の声はこんなにもクリアに聞こえる。だって僕は吉郎を愛してるし、君も僕を愛してるから。」
と耳元で囁く。
君野はそんなことを1週間前からずっとされ続けている。日に日に日常を少し音のズレた不気味なピアノの音に支配されていくことに、気力を奪われていった。
そしてお昼を誘われ、宮塚の近所のファミレスにいるこの日にはもう、何をしても無駄だと思ったようだ。
「ほら、なんでも好きなの食べなよ。」
「…。」
君野は無言でメニューを見ている。
もう、自分から何かを話そうとしなくなったようだ。
宮塚は思う。
僕の能力は偉大だ。もっともっと大きくすれば、たくさんの人を操ることができるはずだ。
きっとの世の中だっていい方向に変えることができるはず。
だが、この能力は…
「お待たせしました。」
注文した料理が届く。
君野の前には熱々の美味しそうなハンバーグが置かれた。
「後でパフェも頼んでいいからね。甘いの大好きだもんね。」
と、宮塚が1人ウキウキで答える。
「ほら、食べていいよ。」
そう言うと、ようやくその手がカトラリーへ。
君野は美味しいとも言わず、ハンバーグを冷ましながら口に無言で運んでいく。
宮塚はコーヒーを飲みながら、自分のハンバーグにフォークをさす。
その時だった
「君野!!」
「お。」
宮塚が小分けにしたハンバーグを口に入れると、その声がしたすぐ隣の窓に顔を向ける。
堀田だ。
この意外な組み合わせに帰省帰りの彼はびっくりしている。
なんの迷うこともなく、ダッシュでそのまま店内へ。店員の伺いも無視してまっすぐやってきた。
「おい…どういう風の吹き回しだ?」
と、その宮塚をみる顔は嫌悪と恐怖が入り混じっている。
「…。」
隣に大好きな堀田がいるのに、まだハンバーグを無言で食べ続ける君野。
「ご飯もバランスよく食べたら?」
宮塚はそう苦笑いすると
次に君野は一切手をつけてないご飯を食べ出す。
「君野?どうした?」
堀田があまりにもロボットのようにご飯だけを口に入れる動作をするので眉をひそめて見ている。
「僕はバランスよく食べてって言ったんだよ。」
宮塚はそう言うと、君野は途端にご飯を食べるのをやめる。
今度はにんじん、ブロッコリー、コーン、ハンバーグを順番に食べ出した。
「宮塚!これは、どう言うことだ?」
「なにが?」
「君野に何した?」
「なんもしてないさ。僕はただ食べ方のアドバイスをしているだけ。彼は素直にそれに従ってるだけだよ。」
「…。」
どうやら堀田は、宮塚の人間的な恐ろしい部分を知ってるのか、君野がその毒牙にかかったことを確信した。
その途端、その顔はかつて君野のいじめっ子を退治した時のような、鬼の顔になる。
「君野…こっちむいてくれ。」
堀田が君野の手からフォークを取り上げる。
彼の口元に米粒がついている。
しかし、今の堀田にはそれが見えないほど、痛々しく目が虚な君野にショックをうけた。
「堀田、僕は吉郎を愛しているんだ。吉郎も僕を愛してる。」
「黙ってろ!なあ!君野!俺がいない間何されたんだ?」
「…僕は、宮塚君を愛してるよ。」
その言葉に堀田は目を見開く。
宮塚はテーブルに膝をついてにんまりと笑っている。
「堀田、ここは僕と吉郎のデートの場なんだ。悪いが帰ってくれないか?」
「ふざけるな!また人を洗脳しようとしたんだろ!なんで君野を選んだ!?」
と、堀田がテーブルをガンと叩いて周囲の客の注目を浴びてしまう。
「雨の日に拾ったんだよ。誰も拾ってあげないから、僕が拾って持って帰った。それだけの話。」
「なんだよ拾ったって…。」
「堀田くんもう喋らないで。」
君野が下を向いたままそう耳を塞ぐ。
「なんでそんなこと言うんだ!それは、洗脳だよな?」
「吉郎が僕の声以外誰も聞きたくないからだよ。」
「そう。だからもうしゃべらないでお願い…。」
「…。」
君野がここで洗脳されていたとしても、本心ではないかと錯覚するのは彼の心が繊細だからだ。
堀田は君野の言うことに口をパクパクさせて唖然とした。
「返して欲しい?堀田。」
「!」
堀田はその言葉に、宮塚を睨む。
そして、その言葉でもしかしたらこいつは、本当は君野が目的ではないようにも感じた。
その憎たらしく言う言葉は、昔の因縁を思い出させる。
「無駄だ!どんな方法だってあんたには人を愛せない!君野を洗脳して自分の超人的能力を発揮しようとしてたんだろ!こんなの愛じゃない!お前がやってるのは脅しと支配だ!」
「どうかな。僕は本気で吉郎を愛してるよ。だから今こうしてデートをしている。ほら、見てごらん。」
と、君野の右耳にあった小さなワイヤレスのイヤホンを取り出そうと彼の耳を触る。
しかし、君野は気づいていない。
それどころか頼んだクリームソーダをずるずるとただ吸っている。
宮塚はそのイヤホンを手のひらを上に向けて堀田に見せる。
「これは、彼のスマホ忘れ防止イヤホンだよね。僕の超人能力が光ると彼はイヤホンの存在にも気づけない。どう言うことがわかる?僕がどんな音楽を流そうが、外すまでイヤホンに本人が気付けない。これが僕の超人能力の成果だよ。」
「…。」
確かにすごい。
これも洗脳の究極なのだろうか…。
と、恐ろしさをまざまざと見せつけられた。
「なあ、堀田。」
すると宮塚は徐に横に立って屈んでイヤホンをみている堀田の耳を撫でるように触る。
「っ!なにすんだよ!」
堀田がそれにゾワっとしてその耳を押さえ、乱暴にその手を振り払う。
「もう蝉の声を聴きたくないだろ。だったら、ここは黙って僕の前から消えるんだ。吉郎がいれば僕はそれでいい。」
「いい加減に…!」
その時だった
ミンミンミンミン…
と堀田の耳から大音量で蝉の声が鳴った。
「!?」
ガシャン!
堀田が驚いて後ろのドリンクバーにぶつかる。
心臓が跳ね上がるほど、彼にはトラウマだ。
慌てて左耳に小指を突っ込んだ。
すると
カチャン
と何かがテーブルの下に落ちた。
堀田が左耳を押さえたまま、目を点にさせて呼吸を深く行う。ドリンクバーのぶつかった体勢から治れない。
「イヤホンだよ。僕のワイヤレスのもの。」
「いつの間に…?」
その堀田のおどろき様に宮塚は吹き出してしまう。
「わからなかった?僕が耳を触った時つけたんだけど。だいぶ隙があるようだね。どうやら今は僕の方が力が強いようだ。それにね。」
宮塚は突然立ち上がると堀田の服の襟を掴む。
顔を近づけると不気味にニコニコと笑いながら
こう言う
「蝉の声なんて、そんなもの流してない。」
その言葉に
堀田は目を見開いて驚いた。
冷や汗が止まらない。手や額から背中からじんわりと汗が滲み出てくるのを感じた。
俺の洗脳は、まだ解けてなかったのか?
それとも…今?
いつものキリッとした顔つきは絶望に変わる。
堀田は少し震えながら、何か言おうとするが、宮塚はそれを遮るように続ける。
「まだ近づこうとするなら、吉郎のようにお前は僕の部屋でいつの間にかピアノを弾いていることになる。大切な人の言葉が少しずつ、年季の入った音のくすんだピアノに変化するのは恐ろしいと思うよ。」
しかし、その不気味な笑顔に堀田も負けじと睨み返す。
「俺はもう、お前の洗脳にかかったりなんかしない。君野!行こう。」
と、季節の終わった花のようにしおれる君野を長椅子から引っ張り出しそのまま回収していってしまった。
「バイバイ。吉郎。またね。」
宮塚が手を振ると、君野は振り返ってそれに手を振ろうとする。
「やるな!」
堀田は慌ててその手を封じ込めて、肩を掴んで店から出ていってしまった。
「君野…。」
堀田は自分の部屋に君野を連れて帰っていた。
ボードゲームをした時の椅子に座り、堀田は目の前の電池の切れた、ロボットの様に椅子にもたれかかってうなだれる彼を見守るしかない。
「なにがあったか話せるか?」
「…。」
君野は耳を塞いだまま、項垂れたままでなにも話してはくれない。
彼の大好きなショートケーキも出したのに、反応はない。ちょっと前まで美味しく食べる彼の姿は幻だった様だ。
堀田はそれを思い出し光景に泣きそうになる。
そして、膝に手を乗せた手をぎゅっと力を入れて下を向きながら唇を噛む。
「俺、まだこの超人能力に気づく前の小学生の頃に、あいつに洗脳を受けてた。イタズラで食べ物全部蝉に見える様にされたんだ。それがものすごくトラウマだった。」
と、切々と語り出す。唇は震え、そのトラウマはまだ癒えていない様子が明白だ。
「弟がいたから、手を出されないように俺も少し協力的になったのもよくなかった。あいつを取り巻く周囲の人間で1番喰らってたから、いまだに宮塚の姿を見るだけで、具合が悪くなる。」
「…。」
「俺の家系、なぜか超人能力を持つ子供がたまに生まれるんだ。みんな、誰かを愛することでそれを最大限に発揮できるらしい。」
堀田はそう、いつものジョークではなく深刻につぶやく。
「俺も、弟が病気になってからより愛が強くなってさ、超人的能力が目覚めた。なんでもできることで精神的に強くなったんだよ。宮塚は幸いにも愛がわからない人だったから。自分にもその力はあるとはなんとなくわかっていたけど、誰も愛せないから使えなかったんだ。まさか、それがこんなことになるなんて…。」
「…怖いの?」
すると、耳を塞いでいたが聞いていたのか君野が消え入る声でつぶやく。
その言葉だけでも感情が揺れるほど嬉しいと、堀田の顔は少し明るくなった。
「ああ、怖いさ。足だってすくんでる。…どう言う理屈で愛を手に入れて超人能力を得たのか…。ものすごく怖い。俺まで取り込まれて、今のお前の様になるかもしれない…。けど支配をぶつけることが愛だなんて間違ってる!」
堀田は顔を歪ませて、歯をグッと食いしばる。
そして、ゆっくり目を瞑り、少し考えた後
精悍な顔つきで君野に近づきぎゅっと抱きしめる。
「でも俺には、守るものがある。こんなことされて怖がってる場合じゃない。俺が絶対助けてやるからな。もう、怖がらなくていい。」
「…。」
堀田の肩に無表情の君野の顔が乗る。木でできた、関節まである人形が適当に置かれた様に手も足も力が入っていない。
しかし、堀田に頭をポンと優しく撫でられた君野はその目から一筋の涙を流した。
「あれ…」
君野はトンネルの中にいた。
長いトンネルの先は、深い森の中にありそうなほど真っ暗だ。
トンネル内をたまに横についた赤いトンネルランプが不気味にあたりを照らしている。
あたりが少しオレンジがかっている。
こんなところずっといたら頭がおかしくなりそうだ。
「おかしいな…」
彼は健忘症の時のラフな格好でサンダル。さっきから歩いているのに一向に出口がない。
そのトンネル内の真上には大きな巨大な筒形のファンが二つついており、回っている。
そのファンぐらいしか自分以外に動いてるものがない。
また、一人歩いてる足音が不気味で、静けさが恐怖を駆り立てる。
「わ!まただ…!」
君野は耳を塞ぐ。
たまにトンネル全体から、クラシックの様な音楽が流れる。町内のスピーカーから流れるように音が全体に広がる。
少し音が外れ、くすんだ音のピアノはこのトンネルにいること自体を恐怖に陥れる。
それがあまりにも不気味で、君野はこのトンネルにいつからいたのかはわからないが、それが聞こえると動けずにその場に崩れて耳を塞いでしまう。
まるで怖いおばけがいるとわかっているのに目の前のトイレの個室を開けるような、そんな恐怖が音楽が流れている間、心を襲うのだ。
「っ…。」
音楽が終わると君野は歩き出す。
「もう疲れちゃった…。」
と、歩くのをやめようとした時
-君野!!-
「堀田くん!?」
と、彼の声がトンネル内に一瞬響いた。
「どこ!?どこにいるの!?僕、よくわかんないトンネル内にいるんだけど!」
と、必死に呼びかけるが、わかりやすく前と後ろしか道はないのに彼の姿はない。
「どっちからだろ…。会いたいなぁ。」
頭をぽりぽりかきながら、ただ戻るわけにはいかないと前を進むことに。
すると
「あれ?分かれ道?」
しばらく歩いていると、トンネルが終わったと思ったら目の前に左右2つに大きく口を開けたトンネルが待ち構えていた。
後ろのトンネルとは違い中は真っ暗で、トンネル上部についたランプが足場を照らす程度だ。
「うーん…。」
君野が手を組んで悩んでいると
「吉郎!こっちだよ!」
左側のトンネルの内部からそう自分を呼ぶ誰かの声がする。
「誰の声だっけ…。でも、優しそうな男の人の声だなぁ。」
不安だったのか、人がいるならばとそっちに足を進めようとした時だった。
その時
「君野くん、こっちよ。」
「え?桜谷さん?」
なんと、右側のトンネルから桜谷の声がするのだ。
「桜谷さん!!いるの?」
君野は迷わず右側へ進んだ。
そして嬉しそうにトンネルを走って彼女の姿を探す。
「こっちよ。君野くん。」
と、トンネル中央で彼女の声がした。
「桜谷さ…!!」
と、嬉しそうに君野が駆け寄ったが、その目の前の声の主に驚いた。
「うわあああああああ!!!?」
彼はコンクリートに尻餅をつき、彼の絶叫がトンネル内部で響いた。
目の前には桜谷の声で話す、一つ目で、獣のような鋭い歯を持った黒い煙の様な塊がいたのだ。
それがトンネルの天井にまで届く気球のような大きさだ。
「君野くん落ち着いて。大丈夫よ。あなたの心は私が支配しているんだから。」
「…それって大丈夫なんですか?」
「ええ大丈夫。一緒についてくるのよ。」
と、桜谷の声をした化け物は、目を細めて大きな口を開けて笑った。
続く。
今、サポートしたいと思いました? 偶然ですね。私もサポートされたいと思っていました。 いや、そう思ってくれるだけでも嬉しいです。ですがサポートしてくれたら寝る前にニヤニヤします。通知きた画面にニヤニヤしながら眠りにつきたいなんて贅沢なことしてみたいなんて思ってたりしませんよ多分…