下弦の月ノ女神 第8話「ブラコンvsサディスト」
チャイムが鳴っても戻ってこない桜谷と君野。
しかし国語の先生は今回は桜谷がいると聞いて、一週間前なら授業を止めていたが、そのまま続行する。
彼女が一人で君野を支えていた時は桜谷が遅れて君野と入ってくることはおなじみの光景で、先生もそれに罰則も遅延を出すこともなかった。
なので、今回もそうなんだろうとクラスメイトたちは何も気にせず授業をうけている。
しかし、堀田だけは授業に集中できずヤキモキしていた。
ガタ
「先生!俺も様子見にいって来ていいですか!2人の様子が気になるんです!」
堀田はもう限界だったのか、そう立ち上がって桜谷と堀田の行方を追いかけたいと立候補した。
「お前どうしたんだ?…まあ大丈夫だろう。席に座ってなさい。」
と、相手にしてくれない。
桜谷への先生達の信頼度は高い。
ガラ
すると桜谷と君野が前のドアから入ってきた。
2人はいつものように先生に軽くこそこそと伝え、先生は頷くと二人の席がある窓側の1番後ろを指差した。
一見、普通の人にはなにもないように見える2人の様子だが
堀田だけには、君野の調子が下がっていることがすぐにわかった。
「堀田くん。座りなさい。」
ベテランの男の先生はそう言って座る動作を忘れた堀田に呼びかけた。
堀田もその指示に従ったが、この短時間でなにかあったのではないか?
と、不安に感じながら2時間目の休憩に入った。
「君野!」
堀田は国語の教科書を片付ける事も忘れ、
すかさず後ろの席の君野に話しかける。
すると、1時間前まであんなに元気だった君野は
うなだれて俯いている。
「…。」
まるで腹話術師の腕が入っていない人形のようだ。
今の君野にあの元気魂が入っていない。
「桜谷!お前なにかしたのか?なんでこいつこんなに元気ないんだよ!」
「元気がないわけじゃないわ。今ゆっくり真実を受け入れているだけよ。」
桜谷はそうクールに答えた。視線も合わせず、次の英語の授業のために教科書の準備をしている。
「真実ってなんだよ!!」
「やめてよ大きな声出すの。君野くんの前でみっともないわ。」
桜谷はそうため息まじりに答えたが、堀田にだけに言うその顔はよく見ると笑っている。
「こいつ…。」
堀田の足の付根におろす拳がぐっと握られる。
何だこの女!
何度言っても足りない。
しかし、その桜谷の強者の風格が堀田をさらに追い詰める。
むしろいじめっ子のように単細胞のほうが解決がしやすかったと思うくらい
なにか、ただならぬものを彼女から感じるのだ。
「ごめんね…堀田くん…。」
君野はそう泣き声で答える。
その可哀想な声に、堀田は自分の子供かのように過保護に近づく。
「どうした?なんで泣いてるんだ?」
「僕のせいで波田さんと別れちゃって…僕が堀田くんのコミュティを破壊していたのを、忘れてた。幸せを感じてる場合じゃない。僕のせいで、泣いている人もいるのに…。」
その君野の言葉に、桜谷が君野に何を吹き込んだのかを大方理解した。
「美咲とは完全に別れたんだぞ?俺は未練ないんだ!お前が大事なんだよ…!」
と、君野の手を握る。
普段ならこんな照れくさいこと言わないがそうも言っていられない。
「でも…でも…。」
「君野くんはあなたといると劣等感を感じるのよ。あなたのその周囲の人間にもね。」
桜谷がそう冷静に答えた。
いや、そんなわけない!
だって、弁当に誘った時の君野はあんなに嬉しそうだったはずだ!
「わかるのよ。私、あなたより君野くんと一緒にいるから。なんでもね。」
「知るか!!お前は現場を見ていないくせに!何を知ってるんだ!美咲と別れたこともお前は何も知らないだろ!」
キーンコーンカーンコーン…
無常にもチャイムが鳴る。
「戻りなさいよ。」
桜谷はそう冷たく突っぱねた。
「くそ…。」
自分の席に戻ってきた堀田。急いで出しっぱなしの教科書を整理している。
「何熱くなってんだよ。桜谷さんが怒るのも無理はないだろ。付き合ってるのに、そこに突然部外者がやってきておせっかいかけようだなんて…。」
藤井はそう冷静に答える。
「…けど、何かがおかしいんだよ。」
「何かって?」
「なにかだよ!」
堀田はそうムキになって、先生がドアを開けるとともに
前に向いた。
確かにあれから美咲とは話していない。
君野からみたら、確かに自分のせいだと思うような別れ方だった。
なら、ちゃんと説明しておけばよかった。俺はもう。美咲には気持ちもないし、美咲もまた未練もないから何も応答がないのだろう。
堀田はそう後悔した。
しかし、君野がその間にも桜谷に掌握されていることに気づいたのは
昼休みのことだった。
「君野。こっちで食べないか?」
堀田は君野の席の前に立ち、当たり前のように昼に自分のグループに誘い込む。
人数は美咲ともう一人減ってしまい藤井と鈴木と俺3人だ。
「え…僕も?」
すると、君野はすかさず右を向く。
君野の意思はいつの間にか桜谷の決定が必要になっていた。
「ここで2人で食べるわ。」
「桜谷、お前も入ればいいだろ。」
堀田はそうぶっきらぼうに返す。
もちろん、彼も不服だ。
平和的な君野奪還のために授業中に彼なりに作戦を考えたが
思いついたのが「桜谷も仲間に引き込み作戦」だった。
彼女も入れてしまえば君野がなにも気にすることはなくなるはずだ。
「嫌。あなたと私たちは違う。」
「なんでだよ!」
「シマウマとライオンは同じ環境では生きてはいけないのよ。」
「何いってんだよ!俺らは二足歩行の人間だ!どうしても食べないなら俺はここで食べる!」
と、無理矢理にでも居座ろうとしたその時だった。
「ゆうじゅ!」
「!」
堀田が驚いて振り返ると、真後ろに美咲がいた。
「美咲!?」
「よかったわね。これで私達、元に戻れる!」
「は?」
美咲はそう言って堀田に抱きついた。
先週、派手な喧嘩があったカップルのエチュード第二幕がスタートし、
教室は再びそれに夢中になった。
「なんだよ!今になって!」
「だって!もう君野くんには桜谷さんがいるじゃない!私とやり直してよ!この瞬間を待っていたんだから…!」
と、堀田に抱きついた。
そう、美咲は諦めていなかった。
桜谷が帰ってきて再び君野を介護すれば、堀田は目を覚ましてくれると思い
この瞬間を待っていただけだった。
「…。」
その光景に君野はますます俯く。
桜谷の言った言葉が、全て魔法のように叶っていく。
「堀田くん。波田さんと【心置きなく】あっちで食べたらいいわ。私達に気を使わないで。」
桜谷がムカつくほど上品にニコっと笑う。
「美咲!俺お前のこともう好きじゃない!別れたと思ってるんだ!」
「お願い!一緒に食べて!私ともっといたら絶対に好きになるから!お願いお願いお願い!」
美咲はそう、堀田にすがりつく。
その状況に、こんなに美人な彼女をないがしろにして
桜谷が戻ってきたのにいまだ君野にかまけようとする堀田という構図は
みている観衆にもよくうつらない。
なにかそんな気配も感じた堀田は、皆のイメージで生きてきたを守るように
結局折れてしまったのだ。
藤井、鈴木のいる方に堀田は移動し、いつものメンバーにおさまった。
「…」
君野はその光景にうつむき、お弁当の小さなコーンを箸で挟んで一粒食べる。
「見てあの光景。彼には彼の居場所があるのよ。」
桜谷がそう言うと一瞬君野の顔が上げる。
そこには見た目が華やかなクラスメイトとスラッとした美人が
他のグループ席にはない光を放っている。
本当に、その光景に堀田は溶け込みすぎているのだ。
「…健忘症の足手まといの僕はもう、関わらないほうがいいのかな…。」
君野がそうポツリと呟く。
コーンを5つ食べただけで、弁当は全く減っていない。
「私が君野くんを幸せにしてあげる。だからこれ、もういらないわよね。」
と、いつの間にか、君野の「弟」キーホルダーは桜谷の手に渡っていた。
「…。」
君野はそう言われたがそのまま黙ったままだ。
静かに流れる涙を手で拭う。
桜谷は自分の意志でいらないと言わない限り壊すつもりはない。
むしろ目の前で君野が自主的に壊してくれるのを望んでいる。
「でも…でも…。」
君野は桜谷の手にあるキーホルダーをまだ取り返したがる。
自分が思った以上に、君野の中で堀田の存在が強いのだ。
なぜそうなってしまったのか?
桜谷は、健忘症の君野から堀田との馴れ初めを聞いた。
堀田と君野はアイス屋でアイスを食べた後
2人は健忘症前の占いゲームがきっかけで「兄弟」の契りを交わしたという。
堀田には亡くなった幼い弟がいて、君野がその子に似ていてるためにこんなにも突っかかってくるのだ。
「…。」
桜谷は深く考える。
そもそも
君野くんが1週間以上前の出来事をリセマラをしてない私のこと以外で、こんなに記憶が残ってるのは異常だ。
堀田くんと君野くんの関係はどうあがいても消すことはできず、兄弟のような親友になっていく未来しか見えない。
自身の「弟」と位置づけるなら、こんなことでは相手も簡単にあきらめるはずはない。
ましてや、あんなキラキラした誰もが憧れる存在の堀田くんは君野くんにとっても憧れの存在だろう。
敵は、あなどれないほど強い。
と桜谷は感じた。
一方、自分はどうあがいても君野くんの記憶に残り続けるのは難しい。
君野くんに「一生キスしないで」と言ったら、彼はどう思うか?
そんなめんどくさい彼女にうんざりするだろうし、すぐにでもきらびやかな堀田くんのもとへ行きたがるだろう。
それに、このまま記憶の維持を続けても…
そう、私達は中学生になってから全く持って関係を築けていない。
こんな外部の刺激をうけ広い社会を知ってしまったら元の健忘症前の冷たい彼に戻ってしまうのも時間の問題だ。
それだけは、絶対に避けたい。
「…。」
桜谷は唾を飲み込む。そして一呼吸するとその目をカッと開いた。
画期的な作戦を思いついたのだ。
そして君野の記憶から自分の存在が消える「呪いのキス」
君野を死守するには
さらなる残酷な悪魔になって呪いのキスを有効的に活用する必要があるとわかってしまったのだ。
続く。
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