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第27話「愛を知らないが故の支配」


宮塚が君野にキスされ、一瞬息を飲んだ。
君野が静かに唇を離すと、宮塚はまだその場から動けない。
頭の中がぼんやりしているようで、キスの感触が脳裏に焼きついて離れない。

そのまま、君野が宮塚を抱きしめた。
宮塚の胸に顔をうずめるようにして、君野は上目遣いで彼を見上げる。

「宮塚くん、本当に僕が好き?」

「…ああ。好きだよ。」

君野はその答えを確かめるように、彼の背中にそっと手を添えながらつぶやいた。

「それなら、僕や堀田くんを支配したり、洗脳したりするのはやめてほしい。僕だけを、まっすぐ見ていてほしいんだ。」

宮塚は戸惑い、君野の言葉の真意を測りかねているように、無言で見つめ返した。

「…吉郎だけを?」

君野は静かにうなずく。

「そう。宮塚くんが洗脳している時、僕は君の心が見えないんだ。ただの恐怖しか感じない。君の愛が見えないから、すごく怖い。」

宮塚の表情がわずかに曇った。心の奥を刺すような言葉が、いつもの自信に微かなひびを入れていく。君野がさらに続ける。

「僕がいくら忘れても、誰かが僕を思ってくれているって感じる時、すごく安心するんだ。でも、宮塚くんに会うといつも孤独を感じる。僕が恐れるのは、君の心に愛がないからじゃないかな?」

宮塚は目を伏せ、

「…孤独…」

と繰り返した。その言葉は、自分に向けられたものなのか、それとも君野に向けたものなのか、彼自身もわからない。

君野は宮塚の肩に手を置いたまま、顔を上げる。

「支配じゃなくて、心から僕に触れてほしい。」

宮塚は君野の言葉の意味を理解しようとしているようだったが、次第に表情が固まっていった。彼は何かを言おうとしたが、言葉が出ない。

その沈黙の中、堀田が動いた。
深刻そうな顔をする宮塚の顔はもう蝉の顔ではない。
いつもの憎悪を感じる顔だ。

彼の顔がもとに戻ると、耳に何かが入っているのが見えた。

‐イヤホンだ!!‐

この瞬間まで見えなかったものだ。
これは、洗脳が解けてきているのか…?

「うわ!」

堀田はすっかり油断しきっていた宮塚に襲いかかり、押し倒した。
冷たい白い床に叩きつけられた宮塚に、堀田は馬乗りになった。

「お前、本当に君野のことが好きなのか…?」

堀田は怒りをあらわにして宮塚の胸ぐらを掴む。

冷たい床に叩きつけられた衝撃で、宮塚は一瞬息をつまらせる。

「離せ…!」

「お前!よくも君野を…!!」

堀田の拳が振り上げられる。

「やめて堀田くん!」

「君野!なんで!」

その一瞬の隙だった。
宮塚は必死に堀田の手首を掴み、
力を込めてひねり上げるようにして堀田のバランスを崩させた。

「うっ…!」

その隙に、宮塚は寝転んだままの体勢から堀田を蹴飛ばし、
なんとか立ち上がった。
すぐに君野の腕を掴んで、堀田から距離を取る。

堀田は立ち上がり、再び宮塚に襲いかかろうとするが、君野が宮塚に捕まっているため動きを止めた。

宮塚は、君野の耳元で囁く。

「君野、好きだよ。」

その言葉は、堀田に向けられたかのような低いトーンで、皮肉めいて聞こえる。

君野の顔が一瞬揺れたかと思うと、彼は困惑の表情を浮かべながらつぶやいた。

「え?堀田くん…?」

君野は目の前の“堀田”に囚われてしまったかのように、宮塚を見上げる。
彼には声だけでなく、顔もそう見えているようだ。

宮塚は、君野の視線を無理やり自分に向けたまま、不敵に微笑む。

「見てよ、堀田。吉郎はまだこんなにも僕の洗脳が隅々まで行き届いている。そうだ。僕はお前にもなれる。吉郎は僕の手の中にあるんだ。」

宮塚の冷ややかな声に、君野は戸惑った表情で宮塚を見つめた。

「くそ…。君野!騙されるな!俺が本物だ!」

着ている服をアピールするも、君野にはそんな余裕もない。それほど洗脳されているのだ。

堀田は息を切らしながら、必死に叫んだ。君野は混乱し、目の前の二人の堀田を交互に見つめる。どちらが本物なのかを見極めようとするが、その判断はどんどん揺らいでいく。

宮塚はその堀田が見ている前で君野に軽くキスした。
君野はその行為に目を見開いて驚いたが
顔を赤くして宮塚をみている。

「おいい!!ふざけんなお前!!!」

一方、本物の堀田は地団駄を踏んで激怒した。
さっきからこいつらキスばっかしやがって…!

という怒りが洗脳をすべて解いたように、蝉なんかもう目じゃないという様子だ。

「お前の顔と声があれば、吉郎は手の内だ。僕は力を増幅させまたお前を簡単に蝉だらけにすることができる。」

と、蜘蛛が糸に絡んだエサを持つように、君野に絡みつく。
この既視感は、桜谷が戻ってきた時、呪いこの言葉をかけられた時を思い出す。

どうすればどうすれば…考えろ!!考えるんだ!!
俺にだって宮塚と同じ能力を持っている…!!!!

もしここで君野が宮塚を選んでしまったら
もう本当に取り返しがつかないような気がして…。

堀田はきゅっと目を瞑った。
気持ちを落ち着かせ、まるで禅を組んでいるように瞑想し、自分と向き合った。

そして、彼の脳裏には一つの光景がうかんだ。
それは昼間、駅前で宮塚の家に行こうとしていた君野を止めた時だった。

そうだ、あの時一人のおばあちゃんが話しかけてきたんだ。
確か、それが君野の東北の方の祖父母の方言だった…
君野がそこまで耳馴染み深いってことは、それほど親交が深いに違いない!!!

なら、俺がそのおばあちゃんの時の方言を真似て今発言すれば…
あれはなんだ?
俺の能力!!頑張れ!!アレっぽく言うんだ!!!

と、英語のように流れた言葉を思い出す。

堀田は、昼間におばあちゃんが言っていた方言を思い出しながら、なんとか真似してみた。

「ダイショッペカ!アメ…クウガ!?オラ、カッテキタハーデ、ケッパテクエッテ!!」

言いながらも、自分で妙にこそばゆくて、少し頬が赤くなる。

「何だその呪文。」

宮塚が鼻で笑う。
しかし次の瞬間

「堀田くん!!!」

君野は宮塚の手の中で暴れ、
目をキラキラと輝かせて目の前の堀田に抱きついた。

「あ、あってたか!?」

本物の堀田は呪文が聞いて嬉しかったのか、
抱きついてきた君野を抱きしめたまま砲丸のように振り回した。

「変だったけど、一生懸命さが堀田くんだった!」

「そこを見るな!ああもう恥ずかしい…!」

と、顔を真っ赤にしている。

「…。」

君野と堀田が軽く笑い合っているのを、少し離れた位置から宮塚は黙って見つめていた。
彼らの笑顔が、柔らかな光に包まれ、周囲から浮き上がって見える。
宮塚には、自分だけがその光から切り離されたかのような感覚があった。

堀田が笑いながら、君野の肩に軽く手を置く。
その手を君野は嫌がることもなく、少し照れたように肩をすくめた。
その仕草が、宮塚にはなぜだか堪えがたいものに思えた。

彼の胸に渦巻くものが、言葉にできない痛みとなって体の中を突き刺すようだ。

君野はもう、僕を見ていない……

宮塚は自分の耳からイヤホンを外した。
もう自分にはこの場に介入する余地はない。

自分を洗脳してまで吉郎を手に入れようとしていたあの気持はなんだったのか…。

健忘症の彼に忘れられて、初めて洗脳しきれない人間がいるということを
思い知らされた。
その興味が、次第におかしくなっていったんだ。

そのうち僕は、彼に忘れられる方の存在であって
堀田は忘れたくない相手だとわかった。

だから、残酷な僕が自分をより残酷に洗脳しなければいけなかった。

能力は手に入った。
ただ、洗脳で手に入れた愛は
愛ではなかったのかもしれない。

「ただ、僕は吉郎に忘れてほしくなかったんだ。」

宮塚はそう放心状態で呟いた。

9月

ある日の午後
秋の快晴の日、宮塚は、駅前で健忘症の君野と出会った。
手には惣菜屋の袋を持っている。

宮塚もまた、周りの歩行者と同じそこを通り過ぎようとしていた。

カチャン

君野はワイヤレスイヤホンを耳から落としてしまう。
そのまま行こうとするので思わずそれを拾い、
声をかけてしまった。

「これ落としたよ。」

「はっ!」

宮塚の手の中のイヤホンをみると、君野は意識を取り戻したようだ。
眼の前のイヤホンをつまむと、君野はニコッと笑った。

「ありがとうございます!最近スマホ変更したんですけど、新しいのだとワイヤレス接続しかないんですよね…。」

と、人懐っこく話しかけてくる。
相変わらず、短パンと半袖にサンダル。
肌寒いはずだ。

宮塚はおもむろに自分の着ていた上着を彼に着させる。

「え?」

君野はあまりの親切心に驚いた。

「僕、健忘症で人の顔を覚えられないんです!これ、返せる保証ないですよ…?」

「いいんだ。別に。もう飽きたから。」

「そ、そうですか…。ありがとうございます!本当はすごく寒かった。」

鼻を赤くし、その鼻の下を人差し指でふいて、相変わらず可愛く笑いかけてくる。そんな君野に、宮塚は優しく穏やかに笑いかける。

「どこへいくの?」

「えっと…堀田くんっていう友達がいるんです。よくわかんないで和山駅に来たならいつでも俺を呼べって。」

「僕知ってるよ。マンションの前まで連れて行ってあげるよ。」

「本当ですか!?ありがとうございます!」

と、君野はクシャッと笑った。

その後、宮塚は君野から学校での話や、堀田や自分の彼女の話を嬉しそうにする彼の話を聞いていた。
その話の中にもちろん自分の話題などない。
トラウマが残りそうなことだったのに、彼は自分にそんな事をしでかした相手に意気揚々と話しているのだ。

それが滑稽で、宮塚はクスクスと笑ってしまう。

「なにか面白いって思いました?」

「ううん。ごめんね話の腰を折って。」

「あ、ここですここ!」

と、君野は堀田のマンションが見えてくると嬉しそうにその場でぴょんぴょんと跳ねた。

「これ、あげます!」

「あ…別にいいのに。」

宮塚は君野からメンチカツもらった。
なんだか懐かしい気持ちになる。
彼がいじめを受けて自分の家に遊びにきていた時、
こうやってメンチカツを何回かもらっていたんだ。

宮塚は喉をごくっと動かす。
今はもう、力を失ってしまった彼に
この君野を手に入れる術もない。
また、もうそう思わないのだ。

「やっぱりこれ返します。」

君野は上着を返してきた。

「…そう。なんか惣菜だけもらって悪いね。」

「ううん!美味しく食べて下さい!」

君野はそう言うと手を振った。

最後に、宮塚は静かに君野を見つめた。

「さようなら、吉郎。」

その言葉に君野は少し驚く。

「…ううん。じゃあ。」

彼がマンションのエントランスに入るのを見届けた後、宮塚は君野のぬくもりが残る上着を羽織った。

「あれ。イヤホン…。」

ポッケに突っ込んだ手には彼のイヤホンが入っていた。
後ろを振り返ると、堀田に中に入る許可をもらったのか姿がなかった。

そのイヤホンをもってマンションの前で立ち尽くしていると
かすかに音楽が鳴っているのが聞こえた。
まだ、ワイヤレスと彼のスマホがつながっている。

「…。」

何を聴いていたのか気になって、宮塚は耳にイヤホンをかざすと

「あ…。」

その曲に宮塚の目が大きくなった。
自分が弾いた曲だった。

その瞬間、宮塚の目から一筋の涙がこぼれる。

まるでテレビの再生を2倍速したかのように
出会った頃を思い出す。
洗脳でも、二度と手に入らないものだ。

なぜこの曲を聴いたら、
自分が残虐にしてきたことよりも
そっちを思い出すのだろう。

「僕は今、なんで泣いているんだろう…。」

宮塚はそのイヤホンを堀田の家のマンションのポストに突っ込んだ。
そして黙ってエントランスを出る。

閑静な住宅街に立つマンション。
宮塚は肌寒いと上着のポッケに手を突っ込みながら
その堀田の高いマンションを見上げた。

僕はもう、誰かを洗脳する気はない。
吉郎がそうさせているような気がする。

でも、おかしい。

「彼はもう、何も覚えていないのにね…。」

さようなら。
大好きな人…。

宮塚はまだ涙に溜まる膜を拭って
そのまま駅の方角へと戻っていった。

宮塚編END

続く。

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