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第10話「健忘症のつくりかた」



 君野とのキス事件から30分後…

 俺は桜谷と君野と別れた後電車に1人乗って帰宅している。
 席はまばらに空いてはいたが
 今はなぜか気持ち的に車窓からの外の世界を心おぎなく見たくなって、
 出入り口付近で立って、窓の外の光景を見つめている。
 夏の5時はまだ明るい。
 自然がドアの小窓から早送りで流れると今日の出来事の回想がしやすい。

 あの2人は電車がいらない距離に住んでいる。
 また俺だけ1人、あいつらに介入できない時間があるのが悔しい。

 それより…

 堀田はエナメルの白いスポーツカバンを肩にかけた方の右手で自身の唇を触る。

「俺はあいつの兄なはずだ。」

 なぜだかドキドキが止まらない。なぜあの感触が忘れられないんだ。
 その自身で触れた右の中指をじっとみて思慮深い顔をする。

 弟に感じていた気持ちと同じは同じなのだが…勿論決して身内に恋をしていたわけではない。

 いじめ問題、桜谷の登場で、君野の事を大切に思いすぎたのかも知れない。
 きっとそれだけなんだ…。

 ふとバッグについている「兄」キーホルダーをみる。
 安っぽい。あの時もっといいもの買っていればよかった。
 いや、でも君野の言う通り、これはそれ以上の価値があるんだ。

そういや、君野のリュックには「弟」キーホルダーがついていたが、これもなにか桜谷の策士ではないか?と考えた。
しかしそれをしたところで彼女のメリットがわからない。

 ただ、明日もまたあんな緊張関係が続くんだろう。

「いや、俺はブラコンだよ。ブラコン!」

 自分にそう言い聞かせるように首をぶるぶる横に振る。
 君野に自分はお兄ちゃんだといった手前、今更それ以上の気持ちがありましただなんて…
 そうなら俺が下心丸出しで近づいてきたみたいじゃないか。

 でも、明日からどんな顔をして君野に顔向けしたらいいんだろう。
 アイツの純粋なあの目をみると、どうしたらいいかわからなくなる…。
 ただ、可愛すぎる。あんな純粋な生き物、情報社会に溢れた今になかなかいないだろう。

「はあ…。」

 堀田はため息を付いた。
 平常心平常心。
 桜谷に指摘されるほどわかりやすく派手に紅潮するのをやめたい…
 堀田は電車のドア付近にもたれかかり、腕を組んで車窓を虚ろげにながめていた。

「ねえ君野くん。私の家に来てくれる?実は、ずっと前から借りたものがあってそれを返さなきゃいけないの。」

 一方、桜谷と君野は堀田とわかれた後に2人で並んで歩いていた。
桜谷がふと、君野の家を通り過ぎる前にそう伝えてきた。

「そうなの?何?」

「内緒。」

 桜谷はそうふふっと笑う。

「ねえ、君野くんはさ、マジック好き?」

「マジック?書くやつ?」

「手品の方よ。実はね私の海外の親戚がマジシャンなの。それでね、私もイリュージョンマジックができるようになったの。」

「へええ!すごい!!」

 君野は途端にそう目を輝かせた。
 これを言うと、君野くんはいつも顔を輝かせてくれる。
 もちろん、私にそんな技術はない。

 目的はベッドと言う名のタイムカプセルの中にいれるためだ。

 彼は閉所恐怖症だ。
 ベットの下の閉じ込められる恐怖は、健忘症を深刻にするには最適なようで、翌日は得に、ロッカーの下駄箱に自分の上靴がどこにあるのかと迷ったりするほどだ。

 それに、私はまだ彼を過去に戻すのを諦めていない。
 記憶が過去に戻ってくれさえすれば、私は彼以外なにもいらない。
 だから彼の健忘症を治すわけには行かない。

「ここが桜谷さんの家?おしゃれだね。」

 君野が癖でリュックの肩紐の部分をギュッと両手で掴んでいる。
 桜谷の家はおしゃれな住宅展示場にありそうな家で
 近くにある古き良き日本家屋とのマッチしなさ具合が面白い。
 近所に住んでいて果たしてこの家の人達は気が合うのだろうか?

「君野くんおいで。」

 そして桜谷はなれたように彼を自分の家に招待し、上質なホテルにありそうなスリッパをはかせる。

「わあ!おしゃれ!桜谷さんっぽい!」

 いつもと同じ感想を述べ、首振り扇風機のように色んな角度を見渡す。
 吹き抜けやシーリングファンと、典型的な普通の2階建てに住む彼には珍しいようだ。
 キッチンには、君野がダイブしたテーブルの2台目がいる。

「うふふありがとう。」

 桜谷はまるで人間に化け、獲物をおびき寄せて自身の巣穴に招待する大蛇のよう。
 もうここまでくれば彼はもう逃げられない。

 「はあ…はあ…。」

「どうしたの?桜谷さん。」

 おしゃれ重視の2階に上る鉄板の階段を先頭であがる桜谷に、
 君野は心配そうに顔を覗き込んでいる。

「顔赤いね。もしかして体調悪い?」

「ううん。」

 久しぶりにアナタを監禁できるから、それに興奮しているだけよ。
 なんて言えない。

 廊下が続く2階には黒いドアが横の壁に左側に2つある。
 桜谷は自身の名前のついたドア看板のある方へ。

 そうよ…
 彼は私のものだから…

 桜谷は君野を先にドアの中へ入れる。
 いつもと同じだ。彼はまたあたりをキョロキョロと見渡す。
 その間に私は三つ編みの髪ゴムと眼鏡を外す。
 この時間だけは誰にも邪魔されたくない。

 パサ
 カチャン

 と音がすると、君野はそのメガネの金属音に気づいて絨毯がある方に目線がいく。

 桜谷の開放された長い髪がゆらゆらと顔の前でも揺れている。
 これが私の本来の姿。

「わ!どうしたの?」

「ねえ、君野くん。私綺麗?」

「う、うん…。」

 その返事に戸惑っている様子はない。この反応は本当に思っている。
 リセマラのデータに嘘はない。

 彼は私の容姿がタイプなのか、それとも昔恋人だったからその潜在的意識があって、好きなのかはわからない。
 でも好都合なのには代わりはない。

 桜谷はいつから持っていたのか、長いヒモを用意する。

「ねえ縛っていい?」

「え?あ、そっかマジック!」

「私が君野くんを縛りたいだけの変態に見えた?」

「そういうわけじゃないよ!ただ、可愛い女の子にそう言われたからドキッとしちゃって…。」

「今ベッドの上をどかすから、その中に入ってくれる?イリュージョンだから。」

「すごい!こんなベッドがマジック道具になってるの?僕はどこに移動するの?」

 あれよあれよと君野はベッドの中に入ってしまう。
 閉じ込められるという恐怖より、今はマジックで不思議な体験ができるという好奇心が勝っているのだ。

 そして、君野の同意のもと、桜谷が君野の手足を縛っていく。手足を逃げられないように縛り上げた後、桜谷はそんな事を言う。
 
その瞬間

「!」

 桜谷は箱の中の君野を後ろから強く抱きしめた。

「君野くん、こうしたら逃げられないわね。私を信用して、あっけなく縛られちゃって…。」

 桜谷が君野の後ろの首に顔を近づけくんくんとにおいを嗅いでいる。
 病欠でしばらく触れられなかったためなのか、堀田という強敵なライバルが
 現れたせいか、飼い主が溺愛するペットの猫を吸うように君野の1番ニオイがでていそうな首もとの部分をくんくんとまんべんなく吸う。

 汗臭いが、ミルクのようなニオイ。
 赤ちゃんみたいな今の彼を象徴するよう。

「ひゃ!くすぐったいよ…!それに汗臭いからあんま嗅がないで…この格好恥ずかしいから早く、マジックしたい…。」

「ごめんね。君野くんがあまりに久しぶりだから。どうしても心おぎなく堪能したかったの。」

 桜谷が君野の顎を掴み横を向かせる。
 強制的に長い髪の少女と目があった君野は、目を丸くして顔をもっと赤くさせる。

「私のこと好き?」

「うん…好きだよ。」

「堀田君より?」

「堀田くん…。」

 君野はそう言って目を泳がせた。
 桜谷はそれが気に食わなかった。
 
これは、ベッドに入れる時間を長くする必要がある。

 途端に顔をキッと強張らせた桜谷は、ベッドの蓋を手に取る。

「あぶない!」

 まだベッドの囲いの中で上半身を起こす君野を木板で被せようとしてきた。
 危機回避に自然とベッドに寝転ぶ形になった君野は、桜谷の途端な野蛮な行動と、カチンと蓋と板がハマった音がして不安になった。

「ちなみに、これどれくらい?僕実は閉所恐怖症であまり狭くて暗い所長くはいられないんだ。」

「…。」

 気づけばベッドメイキングは終わっていた。
 桜谷はその上にのってまた、過去にかえる瞑想をはじめた。

「桜谷さん…?あれ…?桜谷さん!?」

 ドンドン ドンドン!!!!

 こうして、以前の彼はガラステーブルに突っ込んだのである。
 桜谷はそのけたたましい音と振動を気にもしない。

 過去の君野くんと幼少期に公園で出会った時私は黒髪ロングだった。
 私は小学生で転勤族。持ち家はこの家だが、家庭の複雑な事情というやつで転勤している父と一緒にいた。

 あの頃お茶出しをしていた母はもういない。
 公園で出会った君野くん。たった三ヶ月間だったが、君野くんとはいい思い出ができた。
 このベッドの中で遊んでいた時にキスをしてくれたから、今がある。
 私には、その三ヶ月だけがその後の人生の生きる気力だった。それは今もそう。

 ‐どうして泣いてるの?この花は笑顔の君に似合うはずだよ。‐

 なんて、初めて出会った時に人生が辛く公園で泣いていた私に彼はまた言ってくれるはず。その時差し出してくれた雑草の花束はどの花よりも美しい。

 幼い黒髪の長い少女の元の姿に戻れば
 ベッドの蓋を開ければ、彼は私への愛を取り戻す。

 桜谷はそうベッドのシーツを愛おしそうになで、
 頬とシーツを密着させて目を閉じた。

 カチャ

 数時間後、桜谷はベッドのドアを開ける。

「君野くん。」

「…」

 まるでミイラのようになって、いつものように干からびている。
 手は板をたたいて真っ赤だ。
 でも、ロープのあとは手首につかないようにハンカチで結んである。

「君野くん愛してる。」

 そう言って空っぽの彼を抱き起こす。
 私はまた君野くんの服から見える体毛が気になる。
 1週間分の腕毛や指毛が生えている。

「今度じっくり抜かなきゃね。」

 私はそういってうなだれる彼を抱きしめる。
 あとは落ち着かせたらロープを解いて帰宅させるのだ。

 君野くんは解放されてもなぜ誰にも助けを求めないのか。
 彼の母には相変わらず笑顔で出迎えられる…
 彼が記憶を失うのは夜寝る時。
 その間なぜ、黙りこくるのだろう。
 言っても誰も信じないのか、そればかりはわからない。

 きっと私を受け入れてくれている。

 勝手にそう思って、私はこの行為をエスカレートさせている。
 きっと過去の彼もこの今の君野くんの殻を破って出たがっているから?
 なんて、都合のいいことを考えている。

 次の日…

「おはようございます。」

「あらおはよう。瑠璃子ちゃん。」

 君野家のインターホンを鳴らすと、いつもの彼のお母さんが笑顔で迎えてくれた。
 ただいま朝の6時ちょうど。セーラー服のいつものメガネで三つ編みの桜谷が目の前にいた。
 部活もしていない学生が登校するのには早すぎる時間だ。

「吉郎はまだ寝てるのよ。」

「はい。ここで待ってますよ。」

「中に入って。あ、お土産ありがとうね。あのチョコ美味しかった。」

 君野母は桜谷が君野に渡した海外お土産のお菓子について上機嫌に語る。このお母さんとは仲良しで、世間話も、パートの愚痴も聞く。
 一人息子と夫という、なかなか同性同士深い話ができないために、桜谷はまさに娘のような存在になっていた。
 昨日自身の息子が目の前の地味で真面目そうな少女からひどい目にあったことなんか知らない。

「なにか食べてきた?コーヒー飲む?」

「はい。コーヒーいただきます。」

 砂糖やミルクの量も、聞かない仲だ。
 桜谷がここまで愛想よくしているのは、もちろん君野のため。

「あ、お母さんおはよう。…あれ?」

 7時になって君野が2階から稲妻のような寝癖をつけて可愛いパジャマ姿で降りてくる。
 クッキーとコーヒーを挟み、女子2人のトークが盛り上がっていた所だったが

「その子誰?」

「吉郎!また忘れちゃったの?!本当にこの子ってば…。」

 母は息子のその一言でショックをうけた。
 ちなみに君野母に家族以外は忘れやすいと吹き込んだのは桜谷だ。
 呪いのキスの作用を知られないための嘘だった。

 こうやって呪いのキスをした翌日の朝、何も知らない君野を迎えに行くのも母親が家に上げるほどの信頼のある同級生の少女という安心感を与えるためだ。

「おはよう…。」

 君野はそう桜谷に手をふる。初めてあった親戚の子供のようなきょとん顔だ。

「うふふ。可愛い。」

「ごめんね瑠璃子ちゃん。この間の検診では物忘れは少し改善されているって病院で言われたんだけど…。」

「いいんです。きっと眠くて頭が働いていないだけですよ。」

「本当優しい子ね…。吉郎!学校の準備して!10分で着替えなさい!お母さん今御飯作るから。」

「うん…。」

 と、とぼとぼと戻っていく。

 君野とこうして朝食を食べている所から仲良くすれば、桜谷の存在を知らないなんて誰も思わない。
 君野も知らない女の子なはずなのに、母親が桜谷を理想の彼女などと太鼓判をおすものだから、もう恋をしている。

「いってきます。」

「気をつけるのよ!じゃあね瑠璃子ちゃん!」

 母親はエプロン姿のまま、家の外にまで出て笑顔で2人を見送った。

「あのね、君野くん。これだけは伝えておきたいの。」

 通学路を仲よさげに2人が歩いていると、赤信号の横断歩道でとまった桜谷が君野に突然投げかける。

「どうしたの?」

「あのね、私、本当は君野くんに忘れられていたこと…傷ついてはいるの。恋人なのに…。」

「あ、そうだよね…。ごめんね。彼女忘れるなんて人として最低だよね…。」

 君野は普段からクラスメイトや印象の薄い人の名前や約束事を忘れてしまう。存在はわかるが健忘症で極端に記憶力に限界がある。
 そのために人を忘れて指摘されるのは彼にとってもトラウマだ。
 桜谷は勿論、それも把握済み。

「ううん。君野くんのせいじゃないわ。…だからね、学校に着いたら堀田くんや周囲の先生やクラスメイトには私を忘れたことを言わないでほしいの。恋人ごっこみたいに、とりあえず振る舞ってくれるだけでも嬉しい。」

 桜谷はそういって君野の手をとる。
 すべすべのやわらかな女の子の手に君野はドキッとしている。
 それを桜谷が簡単に読み取って、さらにたたみかける。

 グス…

 桜谷は目頭を押さえる。その行為に君野はことの重大さをさらに理解した。

「…ごめんね!わかったよ。僕、桜谷さんの恋人だもんね。誰にも言わないよ。傷つけてしまってごめんね。恋人ごっこじゃなくて本物の恋人のようになれるようにするね。」

「うん…。」

 その泣いているフリの顔はニヤッと笑っている。
 これで堀田対策も完璧だ。
 あの人は呪いのキスの存在を知らない。

「あのさ…」

 もうすぐ学校という所で、桜谷は思い出したように聞く。

「君野くんって堀田くんのことどう思ってる?」

「どう思ってるって?友達だよ。」

「じゃあさ、もし堀田くんが恋愛感情を持っていたら、君野くんはどう思う?」

 桜谷はそう同じ質問をした。
 しかし君野は当たり前のように、昨日に同じ質問をされたことを覚えていない。

 昨日の2人のキスが本当に偶然なのか、桜谷は知りたかったのだ。
 君野は顔を左側に傾げ、目を2回パチパチとさせた。

 そしてこう答えた

「…僕は、好きな人が男でも女でも関係ないかな。好きになった人が好きな人。」

 と、笑う。

「…。」

 桜谷は校舎の校門前で思わず足を止めてしまった。
 昨日と答えが全く違うのだ。
 しかも、その答えは確実にヤツとの恋愛成就に近づいた答えだ。

 まさかあの堀田くんとのキスが原因…?
 桜谷は危機感を覚えた。

 このままじゃ…
 堀田くんの気持ちに気づいたら…
 時間の問題だ…

 桜谷はまたそう、深く考えるハメになった。

 続く。


今、サポートしたいと思いました? 偶然ですね。私もサポートされたいと思っていました。 いや、そう思ってくれるだけでも嬉しいです。ですがサポートしてくれたら寝る前にニヤニヤします。通知きた画面にニヤニヤしながら眠りにつきたいなんて贅沢なことしてみたいなんて思ってたりしませんよ多分…