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今日一日をやり過ごすためのリスト

夜が終わる
夜中に何度も目が覚めて、ほとんど眠った気がしない
途切れ途切れのまどろみの中で、思考がもたついている隙をついて「死ねばよかったのに」と心がぼやく
ベッドから腕を伸ばし、分厚い遮光カーテンの裾を指先でつまんで、ほんの少しだけ引く
薄暗がりの中でアラームが目的を果たす前に解除して、ゆっくりと体を起こす
頭の中に拵えてある箇条書きリストを上から順になぞる
わざわざ確認せずとも、すべて染み込んでいる
けれど、「リストの確認」が「起床」の次の項目に入っている以上飛ばすわけにはいかない
毎朝、同じ動作で起き上がり、同じものを食べ、同じ作業をして、
リストの手順通りに一日を組み上げていく
脳内の壁に書き連ねられた規定
何を何g食べ、何ml飲むか、咀嚼する回数、奥歯や前歯、それぞれの歯をブラシで磨く回数、
曜日ごとの運動メニューと時間、どの参考書を何ページ進めるのか、鉛筆はどの向きでどの場所に何本置くのか、脳内にはとにかく厳密なルールが存在している そしてそれは際限なく増え続けている
もうすぐリストのリストが必要になるかもしれない
洗濯物の干し方やお風呂の洗い方は細かい所が気になり始めて、今では工程数が始めた頃の十倍近くになっている
退屈で、馬鹿げている 
だけど私が今日を乗り切るためには必要な手順なのだ
起床から就寝までを細かく管理して、決めたことを決めた通りに一つずつ実行していく
「起床」と「リストの確認」の項目にチェックマークが付く
すべては立てたスケジュール通りにこなされていかなければならない
今はこれをする時間です
次はそれをします
その次はあれをする時間です
余計なことを考えずに済むように、淡々と行動出来るように
迷ってはいけない、付け入る隙を与えてはいけない
だけど、私は立ち止まる
ほんの些細なことが引き金となって、頭の中に葛藤が生じる
虚無感の嵐が全部をさらっていきそうになるのを必死に堪える
時間通りに物事が進まなかったとき、誰かに邪魔をされたとき、
スケジュールが狂うと、私は立ち尽くす
その場に立ち尽くしてしまう
何もかもを放り出して、首を括りたくなる
私は私に命令する 「動け、考えるな」
罵倒して、皮肉って、力ずくで呑み込ませる
スケジュールの遅れが焦りを生んで、余計に心は揺れ動く
「迷うな、動け」
私は一度呑み込んだ感情を溢れさせてしまう
「死にたい」
なだめて、諭して、あの手この手で私が私を丸め込もうとする
「大丈夫、考えなくていい、間違ってない、動け」
騙すしかない 騙されるしかない
どんどん決まりごとは厳しくなっていくのに
それをこなす能力はないから
もがけばもがくほど自己嫌悪と罪悪感の底なし沼に沈み込んでいく
消耗につぐ消耗

あの時もそうだった 朝練に遅刻しそうだという不安に押し潰されて
登校中に死にたくなって、自転車を止めた
もう一度ペダルを漕ぎ出した時、学校へは向かっていなかった
死に場所を探して、私は死にたくてたまらなくて
目に入る建物の窓から、非常階段から、屋上から、落ちてゆく
地面に激突して、ぐちゃぐちゃに折れ曲がった私がこっちを見ていた
けたたましい急ブレーキの音と鈍い衝突音
ひび割れたフロントガラス、アスファルトの路面に広がる血液
全身血だらけで転がっている私が私を見つめていた
ゆっくりと自転車を走らせながら私は頭の中で何度も何度も自分を殺した
あてもなく彷徨う そこら中に自分の死体を捨て置きながら
橋の上で自転車を降りる
川を覗き込み、片足をかけた
欄干を乗り越え、飛び降りる姿を想像する
背中を押すように、冷たい風が背後から強く吹きつけていて
こちら側からあちら側へ 簡単に越えてゆける
食い入るように川面を見つめる 胸が高まっていく
これで終わりに出来る
下を流れていく鉛色の水はとても冷たそうで
本当に、終わりに出来るだろうか、ちゃんと死ねるだろうか
ほんの一瞬、不安がよぎった
体中に響いていた心臓の鼓動が急激に鎮まっていく
飛び降りても、確実に死ねる高さではない
そう思ってしまった
欄干を握り締めていた指から力が抜ける
失敗だけはしたくない
また、死ねないのか また、怖気づいたのか
橋の下で人目を避けるようにして膝を抱え、小さくうずくまった
そのままじっと動かずに
頭、というか、眉間の奥が痺れていて
考えることが浮かんだそばから、耳に注ぎ込まれる川の水音に紛れて消えていく
かき集めても、かき集めても、思考はさらさらと崩れて川に流されていった
死にたい 怖い 死ねない
死にたいのに 消えてなくなりたいのに
どうしたら死ねる? どうすればいい?
死ぬならどこがいい? 死ぬにはどうしたらいい?
死にたい 死ななきゃ 怖いよ でも死にたい
なんで、なんでこんなに辛いのか
死にたい 死にたい 死にたい どうして死ねないの 死にたい 死にたい 
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい
死にたい死にたい死にたい死にたい
無意味だとわかっていた
けれどやめることが出来ずに、それを延々と繰り返した
その日、人生で初めて学校を無断欠席した
怒られてしまうという不安は感じなかった 
度胸があるとかそういうことじゃなく、
むしろ自分の行動を冷静に判断出来ないくらい余裕を失い、
思考回路が乱れていた
かといって、恐ろしい縁から微笑んで飛び降りるほどの混乱に陥っていたわけでもなく
ただどうしたらいいのか分からずに、行き詰まっていただけ
日が暮れてくると、そのうち寒さに耐え切れなくなった
学校には行かずに済んだものの、家にも帰りたくなかった
けれど私には行く当てなどどこにもなくて
帰りたくない家に、私はすごすごと帰るしかなかった
ギシギシと重いペダルを漕いでなんとか自分の部屋へと帰り着いた時には、体の芯まで冷え切り、とにかく疲れ果てていたことを憶えている
次の日教室で、前日学校に来なかった理由を聞かれて
「夜にアイスを3本も食べてお腹を壊した」とクラスメイト達に笑いながら嘘をつく
また別の日、制服のリボンを忘れたことに気付いて、自転車を止める
取りに引き返せば、間に合わなくなる
そして、死にたいと思う 死にたくて死にたくて、死んでしまえたらと思って
私はペダルに足を乗せたまま動けなくなってしまう

思い返せばあの時期が決定的だったのだ
あの時、私の心は崩壊の最終段階に入っていた
死にたいという思いは何年も抱えていたから気付けなくて
いつも死にたいと思っていることが当たり前すぎて、一歩また足を踏み入れていたことに気付きもしなかった
もう理由なんてなんでもよかった
どんなつまらない事でさえ死んでしまいたいと思うには十分な理由で
あの時からずっと、そうやって振り回されては生と死の間をじたばたと転げ回っている
こうするしかないんだよ
だって、出来ないでしょ?
こうするしかないでしょ?
こうするしかないんだから
私は頷く
あらゆることを再び呑み込んでいく
私は私を説得する 思いつく限りの口実を捻り出して
悲しい納得を繰り返す 
朝ベッドから起き上がって、夜ベッドにもぐりこむまで
一日に何度も納得させるのだ 何度も何度も何度も頷くのだ
夜、目を閉じるとき 死ねるのだからと思う
毎日、これが最後の納得だと心で言い聞かせて
惨憺たる一日を今日も、昨日も一昨日も、その前の日も
虚しい納得をこなして、今日も生きた
朝の「起床」から順番に辿る毎日
立ち止まっては説得し、虚しい納得をして、心を殺して殺して殺して、生きている
頷いて、一日を終える これが最後 私は頷く
リストの一番下の項目にチェックマークが付く

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