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あんなに自分を削って生きてきたのに、結局最後に私の手に残ったのは、強烈な自己嫌悪だけだった

疲れ果てていた、もうどうでもいいと思った どうにでもなれと思った
学校では友達二人の間で板挟み、家に帰れば両親の板挟み
誰もが口を開けば愚痴や溜息をこぼし、殺伐とした周囲の人間関係にいい加減、限界を感じていた
どこにいても息苦しくて
張り詰めた心の糸を緩められる時間や場所がどこにもなかった
そんな大きな器など持ち合わせていないのに、受け止められる分以上のあらゆる立場の人々の感情を強引に押し込められた
相反する立場にいる者からそれぞれに共感を強いられるまま、次々と感情移入をして
けれど考えれば考えるほど、それぞれが時には受け流すことや、ほんの少しでも譲り合うことの出来ない強情さに「どうして?」という疑問が生まれ、それは次第に憤りへと変わっていく
ぶつかり合う意見や不満の間に立って、仲を取り持つ立場であるはずの私自身が当事者達に不満を募らせていく
正しいけれど間違っていること、間違っているけれど正しいことに心を掻き乱され
気付かぬうちに誰よりも感情的になって
矛盾だらけの心と、支離滅裂になってゆく思考
冷静になれ、論理的に解決策を見出さなければ、と自分を戒める
「私ならどうするか、私だったら」という自分の価値観から判断するのではなく、相手の価値観を尊重すること
自分の視点を出来るだけ捨て、相手の視点に立って問題を見つめてみる
けれどそうすることでかえって複雑さは手に負えないものになり、あれも駄目、これも駄目と解決へ向けた道筋がことごとく塞がれてしまう
他人の思いに寄り添ったり、それぞれの価値観の違いをどう尊重していくかということに誠実に向き合おうとすればするほど神経は擦り減り、やり場のない鬱屈は雪だるま式に膨らんで、私はその人間関係から逃げ出したくなった
彼女達の心は血だらけのはずなのに、もう誰も引き返せない
もつれにもつれた感情同士が、休みなく心理的摩擦を生み出してゆく
すでに本音と建て前のコントロールは効かなくなっていたのだろう
意地悪く、相手からマイナスの感情を引き出してやらなければ気が済まなくなっていて
棘のある言葉には、より辛辣な皮肉を込めて返すことでしか、きっともうお互い自分の心を守れなくて
だから、私のつまらない道徳的な言葉なんて右から左に聞き流されるだけとわかっていて
全然、誰も引き返そうとしない
私は共感を示しながらも説得し、拒絶され、違和感を抱きつつも曖昧に頷くしかなくて、八つ当たりに黙って耐える
毎日疲れ果てて、傷ついて、嫌になって、でも逃げられなくて
引き受けねばならない他人の感情に、私はどうしようもなく翻弄されるばかりだった
ひっきりなしに持ち込まれる“相談”とは名ばかりの愚痴の聞き役に徹し、自分はというと誰にも吐き出すことは出来なくて
見る見るうちに不安定になっていく自分さえも見失っていた
あの時点で、もうおかしくなっていたのに
今思い返せばわかりやすく、信じられないほど成績が落ちて、テストでは過去最低の点数と順位を取った
本来ならば相当ショックを受けるはずの出来事も、あの頃の私にはどうでもいいことのように思えていた
両親も自分たちの争いには強引に私を巻き込むものの、私自身の事には無関心だったから、成績のことも私の精神状態のことも、何も気付いていなかった
生物の先生が授業の終わりに集めたノートを運ぶのを手伝ってほしいと私を名指しで呼び止め、職員室までの廊下を歩く間、「最近どうした?何かあった?」と話を切り出し、「あなたがこんな点数を取ったのなんて初めてだし、ちょっと授業も休みがちだから心配なんだよね」と率直に告げてきた
先生はクッキーのステラおばさんにそっくりで、普段はその雰囲気の通りとても優しいけれど、課題の提出期限を守れなかった生徒には期限の延長は一切認めず、どんな理由があろうと容赦無く0点をつけるような厳しさもある人だった
当時の私は、よく授業をサボるようになっていた
朝のホームルームが終わるとそのままひとりで部室にこもり、夕方まで一度も授業に出ることなく過ごす日を頻繁に繰り返すようになっていた
クラスメイトに、「私がいないことを指摘されたら保健室に行ったと答えてくれ」と言い残しておけば、わざわざ保健室まで確かめに行く先生は一人もいなかった
数学の先生は、教員室の前を通りかかった私に中から声を掛け、椅子を引いて座るように促し、「元気?最近どう?」と問いかけた
毎日違う色の綺麗なスカーフを巻いていたおしゃれな先生で、一年生の頃はよくその小ぢんまりとした静かな教員室で個人的に勉強を教えてもらったりしていた
失礼にならない程度に短く返事を返す私にニコニコと微笑みながら、先生はとりとめのない話を続ける
何気ない会話からそれとなく私の生活の様子を窺うような気配があった
誰かが自分のことを少しでも気に掛けてくれる、その優しさをあの時の私は何より求めていたはずだった
でも、差し出されたそれを受け取ることが出来なかった
相手ではなく、私自身に原因があったことは確かで
差し出された手を信じ、握ることが出来たとして、止まらなくなり暴走してしまうであろう依存心への不安
いつまで繋いでいてくれるのか、いつか唐突にその手を振り払われてしまうのではないかという不安
寂しい予感に怖気づき「大丈夫です」の一点張りで、精一杯礼儀正しく逃げ出した
その優しさを受け取るにはきっと、心があまりにも疲れすぎていたのだと思う
すでに手遅れだったのだ
疲れ果てた心の隙間から漏れ出る自分の情けない感情や、相手からねじ込まれるあらゆる感情を恐れて、
誰かの優しさにさえも傷つくであろう自分を守るために、心の壁をより強固に築き上げていた
あの頃の私の世界は、家と教室と、テニスコート、それだけだった
そのすべてが同時に壊れ始めていく もう為す術もなく世界の崩壊を見守るしかなかった
でも本当は、崩壊していたのは私自身で
世界は、壊れたのではなく形を変えただけだった
私だけが、廃人になった
大切な人達を救うことも、守ることも出来なくて
自分が何も出来ないことの苦痛
それは頑張っても頑張っても上手くいかない虚しさであり、むしろ頑張れば頑張るほど泥沼に陥らせてしまう罪悪感
事態は深刻化していくばかりで、耐えても耐えても際限なく容赦のない苦痛が押し寄せてきた
問題が問題を引き寄せるように次々と起こり、絡まっていく
辛かった 怖かった 苦しかった 悔しかった 悲しかった 痛くてたまらなかった
誰にも助けを求められないまま、私はついに限界を超えた
もう何も見たくなかった 何も聞きたくなかった 知りたくなかった
自分の周りの人間関係が目の前で次から次へと崩壊していくことに耐え切れず、心が張り裂けてしまった
凄まじい悲しみと、怒りだった
学校に行けなくなり、親と話さなくなり、友達を遠ざけて、家から出なくなった
それから私は部屋にこもって、泣き続けた 後から後から涙が溢れ出てきた
泣き疲れて眠って、目を覚ますと、また泣き疲れて眠るまで泣いた
何日も何日も泣いていた
私はもう、誰かが誰かを傷つける言葉を一切聞きたくなかった 
私はもう、誰かの弱さや過剰な攻撃性のしわ寄せを押し付けられたくなかった
すべて
私はもう、誰の感情も受け止めたくなかった
誰かの事情を察して、自分の心を押し殺すことに疲れた
誰かと誰かの緩衝材にもなりたくなかった
争いに強制的に立ち会わされるのはもう辛すぎて
言い合いも、意地の張り合いも、張り詰めた空気も、私にはもう無理だった
苦しかった もう強くいられなかった
それまで積み上げてきた努力も、投げ出したことですべて無駄にした
その代償がこんなにも大きいなんて思わなかった
あの時諦めたこと、諦めちゃだめだったのに 踏んばらなきゃいけなかったのに
踏みとどまるべきだった 投げ出してはいけなかった
もう、遅いけれど もう取り返しがつかないけれど
もっと違う方法があったんだ
そっちを選んでいれば、もしかしたらすべてが上手く解決したのかもしれない
そういう道もあった きっと、あった
私が選べなかっただけで 愚かな自分
 
“もしもあの時、手遅れになる前にどうにかして助けを求められていたら”と、あれから今までに何度も考えた
あの時、私にはただ一人で対処することしか頭になかった
どんな恐怖や不安を感じても、自分でどうにかするべきだし、出来ると、そう思うしかなかった
私は強くありたかった 自分は強い人間なんだと思いたかった
こんなこと、平気だと 耐えられると
今すぐには解決できなくても、じっと耐えることならいくらでも出来るんだと
私はあのとき、誰一人も信じることが出来なかった
もう一度、「助けて」を聞かなかったことにされてしまったら、
今度こそ私は二度と誰も信じられなくなる気がした
だから私はその愚かな態度を貫き通してしまった
 
台所に小学生の私が立っている
あの人に、話している
ずっといじめを受けていると、泣きながら告白した
それまで誰にも助けてもらえずにひたすら傷つき、生きてきた
追い詰められて、追い詰められて、あの日ついに私は感情をさらけ出し、苦しみをはっきりと言葉にして、やっとの思いであの人に打ち明けたのだ
話せば、知ってくれさえすれば、あの人はきっと私のために何かしてくれると、救ってくれると思っていた
けれどそれは間違いだった
惨めな自分をさらけ出し、涙を溢れさせながら絞り出した「助けて」は
真剣に受け止めてもらえずに、聞かなかったことのようにされてしまった
あの日、私は残酷な孤独を思い知った
私の話を聞くとき、あの人は皿洗いの手も止めてはくれなかった
お前なんてどうでもいいと、見捨てられたも同然のように感じた
ひどい裏切りに遭ったような衝撃、それと同時に予想通りでもあった虚しさ
一度目の自殺未遂は、その数日後だった
死ねずに、次の日の朝を迎えて
いつものように学校へ行き、これまでのように心を虐待されて
次の日も、その次の日も、ずっと
もう、縋りつけるものは何もなかった
あると思い込んでいた最後の切り札は、最初から無かったもので
自分には本当に誰もいないのだとわかって
私は人を信じようとすることさえ出来なくなった
そうして陥った底無しの人間不信が、いかに鮮やかに私の心を破壊し、人生を蝕んだか
年々エスカレートしていったいじめは、加害者の誰ひとりも裁かれることなく野放しにされ続け、彼らの娯楽として私は毎日踏みにじられ、死にたいほど辛い日々をただ黙って耐え続けた
信じても裏切られるだけだから、言えなかった
誰も信じてはいけなかった
どんなに死にたくても、「助けて」と言えない日々
あの日々
一人では抱えきれないような問題であろうと関係ない
どんな問題が起ころうと、どんな最悪な状況だろうと、誰にも助けを求めなかった
自問自答を繰り返し、綺麗事を言い聞かせ、暗示をかけるように少しずつ自分を励まし、
なんとか持ちこたえさせた
それも難しくなると、今度は自分だけを責め続けるようになった 肉体も精神も消耗し切るまで
どれだけ一方的な悪意を受けたとしても、自分が悪いんだと、何度でも何度でも
心が痛みと疲労で何も感じられなくなるまで罰し続け、麻痺状態のままなんとかやり過ごす
一時的に心を殺さなければ、心が死んでいるうちに物事が過ぎ去ってくれるのを待つことでしか耐えられなかった
どうしようもなく理不尽なことばかり
ただもう諦めるしかなくて
最低限の自尊心を守るためには、あとのすべてを自ら踏みにじるしかなかった
中途半端なプライドこそが不必要に傷を深くする
自分を諦めさせることがどんどん上手くなっていった
元から弱かった反骨精神はさらに貧弱さを増して
そのうちどんな残酷な仕打ちを受けても、相手に怒りを感じることもなくなっていった
最初から自罰や自虐に浸っていれば、他者から与えられる痛みを多少は紛らわせることが出来る
傷を最小限に抑えるために、差別されて当たり前、虐げられて当たり前の自分でいること
それが精一杯の最善だった
その頃はそれが余計に悪循環に陥る「最低な最善」だと気付く余裕も無いくらい、一日一日をやり過ごすことに必死だった
その日々が、取り返しのつかない後遺症を残して
自虐を繰り返すことによって「私なんかが」という思考がこびりついた
意識的にネガティブ思考を用いることを繰り返すことによって、刷り込みのように無意識の部分にも影響を及ぼし、何においてもネガティブにしか物事を捉えられないようになる
意図していなかった範囲までが蝕まれ、底のない自意識の暗い穴を無限に堕ちていく
自らあらゆる方面に張り巡らせた傷つかないための自虐的な予防線
蜘蛛の巣にかかった虫のように、もがけばもがくほど自虐の糸に絡め取られて
孤独に廃人になる道以外を選べなかった私
たった一言、「助けて」と声に出せなかった私
本当は心の中で絶叫していた
助けて お母さん 助けて
扉を固く閉ざし、誰にも開けられぬように、見られぬようにと必死に隠していた心の奥で、
本当は、誰かを信じたいと強く強く思っていた
けれど、幼い頃から培われてきた私の他人に対する不信感は悲しいほどに揺るぎなく
虚しい期待をどんなに懸命に掻き集めようとも、それを他人に差し出す前に自らの手で粉々に砕いてしまう
もう一度、「助けて」を聞かなかったことにされてしまったら
今度こそ本当に、私は二度と誰も信じられなくなる
怖かった
ずっと誰も信じられない世界で生きてきたくせに、その孤独が死ぬまで続くかもしれないということを確定されてしまうことが何よりも怖かった
いつかは誰かを信じることができるかもしれないという、なけなしの希望を奪い去られることが怖かった
あの時、逃げずに立ち向かえていればこんなことにはならなかった
逃げてしまったから、こんなにも追い詰められていて
でも、どんな言葉で私は私に語りかければよかったのだろう
どんなふうに叫べば、私は私の本当の声に従うことが出来たのだろう
もう崩れていくしかないとわかっていたのに、ついに私は最後まで、誰も信じなかった
もうすでに十分にみっともなかったのに、それ以上無様な姿を見られないようにと必死だった
助けようと手を差し伸べてくれた人達を自分で拒絶したのにもかかわらず、やっぱり自分のような人間は誰にも救ってもらえないのだと、絶望して殻に閉じこもる
そして自分は誰のことも救えはしないのだと、無力感に支配された
すべての人間関係は私を苦しめるものでしかなくなって
必死に守ろうとした何もかもが壊れていくのを目の当たりにして、ただもう本当に死にたいだけだった
とてつもなく深い虚無感の中に呑み込まれ、ゆっくり沈んでいくみたいだった
もう許してほしいと思った
頑張ったけどダメだったんだと
誰よりも優しい人になりたかったのに 頼られる人になりたかったのに
そういう人になるために頑張っていたはずなのに
もう、誰にも干渉されたくないと思うほどに、人を嫌いになっていた
間違った自己犠牲で自分を追い詰めた挙句、何も見えなくなっていた
自分の心が壊れてしまっていることにさえ気がつかなかった
頑張り方を間違えていた
心が壊れて壊れて、やっと自分の本当の姿が見えた
私は強くなんてなかった ただ強がっていただけだった
私は優しくなんてなかった ただ嫌われるのが怖かっただけだった
強さをはき違えていた 優しさをはき違えていた
私は大きな勘違いをした馬鹿者だった
かなしくて、やりきれない
あんなに自分を削って生きてきたのに、結局最後に私の手に残ったのは、強烈な自己嫌悪だけだった

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