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【短編小説】彼女なりの生き方

今回は短いですけど物語を書いてみました。



「先生、図面の指示は現場に反映したつもりだぞ。あと、図面にないとこの収まりは俺の方で最適と思われる納めで作ってみた。気に入らなければ言ってくれ。俺と先生でいいやり方を考えよう」
大工の棟梁・長瀬はちょっと微笑んで"先生"と呼んだ女性にそう言葉を発した。"先生"とは建築の世界では設計者を指す。"先生"は濃い目の茶褐色の髪を少し揺らして振り返った。アジア人ではない白い肌に、一欠の感情もないような整った目鼻立ちのくっきりした顔立ち。無表情で甘さの欠片もないその顔に慣れた者しか判別出来ない程の少し笑みが浮かんだ。
「親方の腕は信じてるわ。まだ作ってないけど、玄関巾木の納まり、図面じゃそこまで謳ってないけど、いい納めの方法はあるかな? 意見を聞きたいな」
先生は淡々と穏やかに長瀬に話しかけた。
「棟梁の案だと玄関巾木は居室と同じレベルで廻して、玄関ドアの三方枠にぶつけて仕上げるんです。巾木より下は玄関タイルで仕上げた方が見た目も使い勝手もいいと思います。予算的にはこの現場はしっかり積算して、お客さんにも価格は納得してもらってるわけですし、多少の持ち出しには耐えられますよ」とまだ若い現場監督・三枝はおどけたような笑顔を見せると、棟梁の長瀬に「いい家、作りましょ?」と目を細める。
長瀬は鼻に手をやると「へへ、そうだな」とごちて照れくさそうに鼻を搔いた。
「監督から予算は気にしなくていいとのお達しだ、どうする先生」と長瀬が通る低い声で問いかける。
「現場がきれいに納まる案を提示してくれてるのに逆らうような真似はしないわ。その方向で行きましょう」
先生は容姿に似つかわしくない流暢な日本語で言った。感情がこもらないように聞こえるのは彼女の癖だった。
「よしよし、エマ先生の許可が出た。玄関は現場流の納まりのいい方法で仕上げるとしましょう」と三枝が両手を広げると棟梁の長瀬は「よしきた」と資材の置いてある広い空間・未来のリビングに踵を返した。
その動きを見ていたエマと呼ばれた設計者は、
「この坂井邸もいい仕上がりになりそうね。仕上がりが楽しみ」と整った顔の隅に僅かな笑みを浮かべた。世間では無表情と言われても仕方ない程度の変化だったが、三枝も長瀬も意に介した様子は見せない。平生から彼女はこんな感じなのだ。
ワトソン建築設計事務所代表のエマ・ワトソンは手にした図面を両手で丸めて建物の奥へと足を向けた。

エマが生まれた国を出て、留学で訪れて以来お気に入りの遠縁の縁者の祖国である日本で独立して建築事務所を構えて、もう4年になる。
外国籍を持つ者の大多数が苦戦する言葉の壁は、大学留学時代のうちに何とかクリアした。
大学卒業後、建築の世界は彼女の師匠である高名な建築設計士の事務所「白河潔建築設計事務所」のオープンデスクと言う名のタダ働き同然のポジションを数年こなすうち、ネイティブに近い身のこなしは自然と身についた。
最初は現場の意見と設計者の意見の対立とかでやり合う事も多かったが、それも数をこなしていくうち消えていった。今では「いいもの」を作るために力や知恵を出し合う間柄へと変わっていた。大工や施工会社とのパイプもその事務所で生活は苦しいながらも活躍するうち幾つか出来たのだ。
棟梁長瀬、監督三枝でいま手掛けている住宅の信頼のおける施工ラインもその中で醸成されたものだ。エマにとっては安心して現場を任せられる稀有な存在だった。かくいく現場だって話の分かってくれる設計者は稀有な存在なのだ。設計と施工の息がぴったり合えばこそ施主も安心して我が家の建築を任せられるというものだ。

おかげで白河潔事務所から独立して4年になるが、エマの仕事は順調だった。顧客の満足度が高い証拠でもある紹介案件が仕事の半数を占めていた。独立して事務所を構えてから、エマの暮らしぶりもだいぶ良くなった。まあ、白河潔事務所時代が薄給過ぎただけ、と言えばそれまで。エマはすっかり貧しいのには慣れてしまっていた。
事務所代表になってからも、アクセサリーの類はほとんど付けず、服も動きやすくシンプルでフェミニンぽくない安上がりな出で立ちがほとんど。それでも安っぽく見えないのはエマの選ぶのが自分に似合ったスレンダーな体型に似合った服ばかりなせいだろう。安物を着ても他者からはそうは見えないのだから、そこは彼女の役得と言えばそうなる。

「ワトソン先生は結婚とか考えないんですか?」
住宅を設計させてもらった顧客の婦人の何気ない言葉に、エマは苦笑した。
「今まで仕事仕事で結婚とかは考えた事ないんですよね。たぶんこれからも。ひとりがラクなんですよ」と軽く微笑んでエマ。顧客の婦人も婦人なりにエマに気を遣っての発言なのだ。それに対して丁寧に言葉を選んで、今は仕事だけだ、と返す。発言者こそ違えど、何度となく繰り返されてきたパターンの言葉の遣り取りだ。エマもすっかり慣れていた。
「まあ昔みたく女だからって結婚だけが道じゃないものね」と婦人が笑顔を見せる。
エマは左右の口角を気持ち上げ気味で、その婦人・坂井登紀子に向かって笑ってみせた。
「登紀子さん、そもそも相手いないですし、私。それに恋は祖国に忘れてきちゃいましたよー」
仕事一筋なエマにとって、それは本当だった。繕う事なく本音で生きても障害がないように、相手の紹介というイベントを起こさせないために、学生時代から試行錯誤をしてきた彼女なりに考えてきた波風の立たない答えだった。使いはじめて何年か経つが、我ながらいい答え方だとエマは自負している。
いや、自負というよりこの答えがあれば面倒事を避けて通れる、と思っていると言ったほうが正しい。
我ながら「可愛げのない女だ」とエマは思ってもいたが、降りかかる面倒事を回避するためならその程度のことは意にも介さなかった。

「くうー、仕事後の一杯は格別ですねえ!」
一息で空になったビールジョッキをテーブルに置くと、昼は現場監督・夜はうわばみ&美食家となる三枝が気持ちの良い声でそうのたまう。
「三枝さんはホントうまそうに酒を飲むんですね」とエマ。
かくいうエマも酒はいけるクチだ。三枝程ではないにせよ、仕事後の一杯は格別だった。
「坂井邸もいいペースとクオリティで仕上げられそうですね。いい仕事して、次の仕事に結びつけたいですね」と三枝。紹介案件の事を言っているのだ。
「白河先生のとこみたく大手の事務所と違って、ひとつひとつの案件を丁寧に進めることが出来るし、実入りも良いし、独立して正解だったわ。あなたはビールおかわりでいいの?」エマがドリンクメニューを開きながら問うた。
酒の力もあるのだろうし、男として見なくていい付き合いの長い安全牌の三枝相手だからかも知れない。エマにしては饒舌だった。
設計担当のワトソン建築事務所、施工担当の株式会社乾建設の若手ホープの監督である三枝、堅実丁寧な大工の棟梁である長瀬は、すっかりチーム・エマの現場サイドのまとめ役として機能していた。設計者と施工者の仲が良いと(癒着する程ベッタリでもなく)現場も自然と雰囲気良く廻る。施主も安心して我が家の完成プロセスを楽しめるというものだし、エマのアイデアが随所に散りばめられた新居が現実のものとしてカタチになるのは気持ち良さそうだった。
「ありがとうございます、俺はまだビールでいいです。そういうエマ先生は? グラス空ですよー」
「私はハイボールにしようかな。確かグレンリベット置いてあったわよね」
「あーまたエマ先生たら可愛げないっすねー」
「余計なお世話よ。ところで監督、何かつまみでも頼む?」
「じゃあじゃあナンコツ揚げ行きましょうよ」
「ふふ、いいわねそれ。そうしましょうか」
この遣り取りだけ見ていたら仲が良くて勘違いしそうだが、あくまでも設計者と現場監督である。その矩を決して超えない。
エマにとってはこの距離感が良かった。自分のプライベートエリアに何者も侵入させない彼女らしい選択だった。

ひとしきり飲んだ後、三枝は少し上気した顔で口を開いた。
「エマさんて、自分の世界を持ってて、人をそこに近づけないですよね」
「そうかも。人とつるむの苦手なの、昔から。あなたみたいに他人との垣根が低くないのよ」
「それだと時々辛くならないすか? 自分には無理かな」と三枝。その言葉にエマは少し息を吐いて、僅かな間をおいてから答えた。
「辛い時もあるかもだけど、それ以外の時の煩わしさを考えると別にいいや、って思うのよね」とエマ。顔は少し赤い。ハイボールが少し効いていると見える。三枝といると彼が酒に強いぶんあまりそう感じさせないが、エマもなかなかの酒飲みである。
彼女の顔立ちからは想像し辛い流暢な日本語の話言葉を三枝はふむふむと聞いている。三枝という男はいつもこうだ。対人関係の壁が低く、労せずに他者の懐にすっと寄り添う。天性の人たらしなのである。初対面こそ「うさん臭い現場監督」と彼の事を思っていたが、彼に敵はいないのでは?と思わせる人懐こさで現場の大工や職方を纏める姿は流石としか言い用がなかった。
「その人をあんまし寄せ付けない感じ、さすがエマさん。クールビューティー万歳ですね!」と彼女の不遜な態度を意に介することもなく、ごく自然に当たり前のように受け入れる力が三枝という男には備え付けられていた。その力が彼の努力による処世術の無せる業なのか、生来の性質(たち)なのかは分からないし、エマも敢えて探求する事はしなかった。
「褒めても何も出ないわよ」と無表情かつ自然に切り返した。

ささやかな酒宴の後、店を出て酔いざましの夜風に体を預けながらエマは三枝と帰路についた。時計の針は21時ちよい過ぎで、健全なオトナのあがり時間だった。
駅前で三枝と別れたエマは、そのまま立ち止まる事なくホームへ移動して電車に乗り込んだ。車両のドア脇に立ち、背中を座席の方へ預け、左手首に巻かれた時計を見やった。
白河潔の事務所で働いている頃はこんな時間に帰れる事は稀だった。いつも終電ギリギリまで働いていた。それが今では酒席を設けても帰りがこの時間だ。エマにとって独立してからというもの、ひとりの時間が増えた。ひとりの時間が増えたと同時に物思いに耽ることも多くなった。
誰かといるよりひとりでいた方が彼女にとっては気楽だった。他の人から見れば寂寥とか取られてもおかしくなかったが、その点においても彼女は他者にどう思われようが知ったことてはなかった。
車窓に流れる街の夜景を眺めながら、エマは我が身を顧みた。
ひとりになれる時間は日々のことを整理するにはちょうどいい贅沢な時間と思っていた。誰にも邪魔されない、ひとりだけの時間。
彼女は知っていた。ひとりでいる事は気楽だが安寧は生み出してくれない。誰かの助言がある訳でもなく、問題の全てを一身に引き受け解決しなくてはならない厳しさもあるのだと。そして、そういう生き方が性に合っている、と。おそらく今後も余程のことがなければ、ひとりで居続けることを選ぶことになるだろう、と。

翌日、設計事務所でエマはひとりPCと向き合っていた。
画面の中には建築の図面。打ち合わせ中の新しい住宅である。
施主は以前建築設計を担当し、現場監督三枝、大工の棟梁長瀬というチームエマが建築を実施し、高い満足度を得た施主さんからの紹介された人だった。
読書が趣味の紹介で知り合ったその施主は、エマの設計思想を気に入り、「先生のアイデア満載の家を設計して欲しい」との嬉しくも責任重大な要望をくれた人でもあった。
エマとしては、今までやってきた仕事の方針を認められたような気がして、「全力を尽くします」とクールに施主に返答をしたものの、実のところは嬉しかったのだ。
彼女はひとりでいる、というより他者との距離感がわからず、結果的にわかりやすいひとりを選んでいるに過ぎなかったのである。

僅かに彼女より年上の三枝にはそれがバレていた。エマは気づいていないが。
彼はそんな不器用で仕事に懸命なエマを、どこかで可愛らしく思っていたし、自分のエマ観を随分年上の棟梁の長瀬に話しており、「監督の人間観は侮れないな」と彼から同意を受けていた。三枝は必要以上にエマに近づかない。
チームエマはエマの気づいていないところで、寡黙で腕が立ち一生懸命な設計士と、彼女を遠くから理解し気づかないふりをしつつ支える現場サイドの面々という構図で成り立っていた。同時にお客を巻き込みいいものを作り上げる、結果の伴う良いモノづくりの世界が出来上がっていた。

きっと現場サイドはエマの事を公にはしないし、気づかないふりをしているほうが今は良い結果を生むと踏んでいた。
三枝もそれが「不器用でクールビューティな姫と、愉快な現場のオトナたちの絶妙な距離感」だとして崩したりするつもりはなかった。

「三枝監督? エマです。新しい家の図面、良い感じで進んでます。ここの施主さんもあなたと長瀬さんに建築をしたいって言ってるの。引き受けてもらうからね」と彼女は図面をスクロールさせながら携帯に話しかけた。
「嬉しいお申し出だ。乾建設は先生の住宅で安定した受注や満足度の高い現場やらせてもらえてるから経営は安定してるみたいですよ、社長の言葉を代弁させてもらうと。いやー、助かりますよほんと♪」と三枝の無邪気で明るい声がする。

エマは電話口の三枝と幾つか言葉を交わした後、電話を切り図面に向き直った。
彼女の理想は、確実にカタチになろうとしていた。その実感を抱きながら、ひとりでエマは突き進むのだろう。
今までも、そしてこれからも。

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