大学受験のエピソード
とまあ今日はこんなタイトルで。
もう随分昔の話だが、大学受験の話をしようかな。
僕は勉強が得意でも不得意でもない中庸な成績でした。
国語、社会や歴史、科学に生物、技術家庭、美術音楽が得意。
数学、物理、外語、体育がまるでダメでした。
高校は金が掛からない都立高校で、その入学も中学で生徒会やったり、3年間の授業中の態度とかで教師陣に媚を売りに売りまくり獲得した「とかく勉強への熱意は認める」という高い内申点により推薦入試で入れた都立高校の中では中の中なランクでした。
昔からそうでしたが、塾には行きませんでした。
通信教育と学校での勉強で全て賄っていました。
そんなこんなで迎えた高校3年生。相変わらず塾には行っていませんでした。
その頃は歴史大好きで、大学も歴史が出来たらなあ、ってな位に思っていました。
授業料を抑えるべく公立校を狙うべきかとか思っていたのです。
だが、甘かった。甘すぎた。
受験生でありながらセンター試験受けなきゃいけない事を知らなかったのです(笑)
塾に行ってれば当然そういう情報にも触れられたのでしょうが、僕にはそれがなかった。
センター試験受けてないだけで、公立校は門前払い。私立もAO入試という選択肢をみすみす逃す事に。
情弱高校生、既にピンチ。
出願したのは史学科が殆ど。1校だけ文学部日本文学科としました。それも記念受験です。
記念受験を決めたのは高校の時に仲良くなったダチの頼みです。ダチの才色兼備な彼女が指定校推薦で受かった大学に「一人で受けるのものアレだし、俺と一緒に受けてくれ!」と頼まれたからでした。
一応、同じ大学ですが、得意としていた国語が生かせる学部学科を選択しました。
当時の僕の勉強スタイルと言えば学校以外の家での勉強と言えば大学の過去問の載った赤本を相手に45分1セットで勉強し、15分休憩&違法ですけどビールタイム(350ml缶1本)として、そのセットを1日4.5時間やるわけです。
夜遅くなった時はほろ酔いでチャリを漕ぎ、ラーメン屋で小腹を満たす。そんな毎日でした。
僕は全部で4校受験しました。それも記念受験の日本文学科以外は全て史学科。高校の担任からは「センター試験も受けず、一発勝負な受験は無謀」と評される始末。滑り止めで中央大学の夜学も受けたら、と言われていたのですが受けませんでした。
そんなこんなで迎えた入試。
史学科での手応えは確かで「こりゃいける!」と思ってました。試験が終わって家に帰り、バドワイザーで祝杯を挙げていました。
記念受験の日本文学科は、酷い二日酔いで迎えました。苦手な英語なんてトイレに行きたい(途中退席は認められていない)ばかりに選択問題は2択まで絞り込み、後は鉛筆転がして答えを決める有様。
そんなこんなの入試でした。
しばらくして酷い二日酔いのまま記念受験した大学から、まさかの合格通知。慌ててダチに連絡すると「俺は落ちた」という言葉が。
慌てて僕は「史学科の受験の手応えあったから、記念受験した大学には行かないつもり」とフォローしました。
記念受験した大学に合格した旨を高校の担任に電話で伝えると信じて貰えず「何かの手違いだろうから、大学の掲示板まで見に行って確認してこい」と言われる始末。
見に行ってみると僕の受験番号が合格者にあるではないか。
二日酔いで受けたにも関わらず、だ。
そして肝心の史学科は敢え無く全滅。浪人するのも何だし、記念受験した大学に行くことに。
それが母校・成蹊大学でした。
もし、史学科に受かっていたら就職の時、もっと苦労しただろうな、ということと、ジャズと出会わない大学生活を送っていたかも知れません。
入学まではいろいろありましたけど、母校とこうして縁を結べたのは良かったです。結果論ですけどね。
時間が出来たら、どんな学生生活だったか書いてみようかな?と思ったのですが、勉強と部活と片想いしかしてないんですよ、これが。
ネタに困ったら少し触れてみようかな。
さて、1.500字近くこの話題で割いてしまった。
ではでは、今日はこのへんで(^^)