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失ったものを嘆くより 得られたものに目を向けて誇ろう

昨日、僕の住んでいるグループホームにお医者さんが来た。
2週間に一度のペースで来てくれて、身体の事をいろいろ相談出来るのだ。僕だけでなく世話になっている障害者仲間の住人は複数名いるんだけどね。

最近の体調のことをあれこれ伝えて、それに合った薬を用意してもくれる。僕はいま、精神を落ち着かせる薬とその副作用に効く下剤を飲んでいるが、その薬のチョイスが変わりそうだ。
具体的にどう変わるのかと言えば、

「下剤の他に便を少し柔らかくする薬を入れる」
「精神を落ち着かせる薬はもういらないかも知れない」
ということだった。

今はそんな感じはまるでないが、かつて僕は一時は離婚のショックから酒に溺れて自殺しようとしていた人間なのだ。入院生活をする前には精神の医者から「うつ病」と診断されていた。
入院生活をしている時には何度も死んだふりをして病院スタッフを困らせたり、精神の薬を処方されても当然と思われるまで精神的に疲弊していたのだ。
だが、最近の様子を見ているともう精神の薬はなくしてもいいのでは?とジャッジされる程に回復した。確かに今はもう過去など一切気に掛けてはおらず、ただ前だけ見て日々進んでいる。同一人物とは思えない良い方向への変わりようだ、とはいま世話になっているお医者さんとコメントだ。

先生いわく、
「大変良い傾向です。このまま薬はなくす方向で行きましょうね」との事。
そしたら、このホームで初の全く薬を必要としない入居者になれる。そうなって来ると、僕がここにいる理由もまたひとつなくなってしまう。
メンタル面で手が掛からなくなると、足に残った慢性的な痺れくらいしか症状はなくなるのです。

1年ちょい前までは毎食後と寝る前の薬があった。
それが減りに減り続け、今は寝る前の薬だけだ。その薬すら量が減ってきている。
まあ、医療関係者からすれば僕は手のかからない存在だろう。金の観点から言えば「診てもちっとも金にならない患者」であろう。

離婚を機に、僕は本当に多くのものを失った。元嫁は自分の勝手(まあ本人はそうはちっとも思っちゃいないんだろうけどね)な決断がどれだけ元夫のその後の人生を目茶苦茶にしたかなんて気にも掛けちゃいないだろう。棄てたモノには目くれない、そういう女だ。
だが、そうした経験があるから僕は前より他者に対して優しくなれたと思う。失ったものを列挙してあれこれ嘆くより、そのおかげで得たものを見つけて大切にする方が余程建設的だ。
それに、棄てたパートナーが逆境をバネにして以前より魅力的になるっていう筋書きの方が物語の筋書きとしては愉快痛快だしねえ。

人生狂わされた40代だが、周囲の他者にはとことん優しく、自分には自罰的じゃないくらいに適度に厳しく、しなやかにしぶとく強く生き抜いてやる。
魅力的に生きることこそが、誰にも迷惑かけない最大の復讐だと信じて。
そんな事を思いながら生きてます(^^)失ったものを嘆くより 得られたものに目を向けて誇ろう

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