いのちの使い途
とまあ、今日はこんなタイトルでひとつ書こうかな。
僕はかつて離婚のショックから酒浸りになり、アルコール性ニューロパチーという大病を患いました。瀕死の状態から足掛け3年にわたる入院生活も経験しました。
もう数年間、酒から距離を置いた生活をしていましたが、それでも酒を飲みたい衝動は残っている。
酒の味は日々の夢の中でも頻繁に出てくる。
消毒用アルコールの匂いを嗅ぐ度に、どうしようもない飲酒欲求が首をもたげてくる。
コンビニの酒コーナーでは、行足が止まってしまう。目に映るのはワインやウイスキーの瓶。
病気にさいなまれてた頃ならいざ知らず、この身体に今現在はアルコールはどう影響するのだろうか?…と、そんな事をずっと思っていました。
酒から身を遠ざけていましたが、先日ウイスキーのミニボトルを手に入れてしまいました。こっそり内緒で。
そうして舐めるように飲んでみたのですが、これがまた美味い。控えめに言って感動しました。
手に入れたのはウイスキーの安酒「ブラックニッカ」でしたが、久々の酒に心が震えました。たぶん病気的には過去に戻りかねないNG行為なんですが、んなもん知ったことか。
僕にはもはや守るべきものも皆無、そんな気楽な身分だ。ここで僕がどうなっても、周囲への影響などほとんどない。
それより、酒を味わいつつ聴くジャズの何と贅沢なことか。心に染みてくる。舌先のかすかな痺れを楽しみながら座るピアノの椅子と、向き合った鍵盤の上を踊る指先と、湧き上がるオリジナルの新曲のメロディー。うん、なんて満足度高いんだろう。
ああもう、この命の使い途は自分で決めたい。
心からそう強く思いました。
自分らしさを思い出しながら、目一杯やれる範囲で自由に。それが誰かの親になる未来を選ばなかった、孤独を生涯の友とした僕なりの切なる願い。
「悔いなく生ききった」とニヤけて最期の瞬間を満足して迎えるために選ぶ人生の選択肢なんだと思う。
誰かのために生きるんじゃない。あくまでも自分自身のために命は使い切る。それくらい割り切った選択のほうが僕らしい。
偉そうなコトを書いたが、先の金曜日に購入したミニボトルはもう空になりつつある。
近所のコンビニで750mlボトルのプライベートブランドのウイスキーが1.000円くらいで買えると知り、いつ仕入れに行こうか画策しているところ。
人生は後から太くすることは出来ない。
今この瞬間を出来る限り太く生きよう。
その積み重ねが充実した人生を生きる事に繋がると信じて。
長く細く生きるなんて、自分らしくない(^^)
太く生きよう、どこまでも。人生の長さなんてものは気にするな。長さなんぞ後からついてくるだろうし、気にするな(笑)