自己紹介のつづき.
管理栄養士とは
最初の職場で、調理現場の早番から遅番まで、仕込みから洗浄までの業務を学ぶことができたのは、今の自分の財産になっている。
包丁で切った傷、スチコンの火傷の傷、、すべて思い出。
さらに現場だけでなく、献立作成などにも携わることができた。
直営の調理員が、生鮮野菜を使い、調理をする。
人材の確保、財政面に苦慮し、給食委託会社に頼ることが多い業界で、最初に入った職場で当初は当たり前に思っていたが、同じ業界で転職を重ねる中で、食へのこだわりのある施設だったのだと感じている。
また、介護食作りも行うことができ、基本を学ぶことができた。
ここには、栄養士で働きながら勉強をし、管理栄養士を取得した先輩が2人もいた。衝撃(就職してからの管理栄養士取得は狭き門)だった。
そんな、優秀な先輩や現場の調理員さんと3年間働いたのち、ステップアップを臨む。
管理栄養士として働きたいと。
辞める日が決まっていたが、転職先がなかなか決まらず、焦りもあったがようやく決まった。
それと同時に車で通える距離だが、初めて親元を離れ寮生活をした。(よく帰っていたが)
次の職場では、経験豊富な先輩がいて、その方が手取り足取り教えてくれた。献立作成をしながら、初めの管理栄養士業務を模索しながら、栄養ケア計画の作成を行った。
こちらも直営給食施設で、前の職場よりは冷凍食品が多くはなったが、生鮮野菜を使うことは多かった。食数も多かったため、調理員さんもたくさんいた。
先輩は絵もとても上手で、エビの介護食を作った際の色付けのうまさ、本物のようだった。写真に残していなかったことを後悔している。私の絵心のなさは今もネタになっている。
最初の職場の経験を活かしながら、次の職場でも繋がりつつ広げていけた。
また、この時介護の知識もと、介護職員初任者研修を取得した。
そして2年弱が経ったころ。
大好きな祖父が入っていた法人の施設で新施設ができることを知る。
ずっとあの穏やかな空間の職場で働きたいと思っていた。
開所立ち上げからの施設。
応募は多かったようだが、想いが伝わり、採用通知が来た。
その時は外で仕事をしていた母に走って泣きながら報告したのが懐かしい。
施設立ち上げは忙しかった。食器選びから、マニュアルから段取りからすべて。正直最初の1年は記憶がないくらいだ。
余裕が出てきた2年目以降、入居者さんに楽しい食事、おいしい食事を提供できるよう、多職種の方の力を十二分に借りながら、喫茶や朝食のホットケーキを実施した。
入居者さんとの距離が近かったため、食事介助や移乗方法なども学ぶことができた。(初任者研修は取得して終わりになっていた。)
また、食事面では、栄養補助食品の限界、引き際、苦痛ない最期を迎えるために食事面で何ができるのか。
経験豊富な上司たちから学ぶことは多く、自分の思う栄養を考え直すことができた。
管理栄養士として、栄養計画についても、再度勉強することが多かった。
そんな時、母の病気が発覚する。
家のために自分を顧みず懸命な母が
家に帰りたいと願った。願いを叶えたいと職場に相談し、状態が悪くなった時期はリモートで仕事をさせてもらい、本当に感謝している。
ありがたかった。母のことははまた別記事でつらつらと書くとして。
開所から6年勤めた職場から異動となり、また自分の中で転機があった。
このまま、ずっとここにいるのか、自分がどうしたいか、
管理栄養士として胸を張れない自分がずっといたことを再認識する。
死ぬときに「あ~やりきった」と思って去りたい
と思い、新しい道に進むことを決めた。