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「机の上の缶」を考える
仕事が山積みのデスクの上に、開けたばかりのレッドブルがあります。プルタブを引く瞬間、これで乗り切れると思います。ですが、一口飲んで机に置いた瞬間、妙な緊張感が生まれます。
こぼしたら終わる。キーボード、マウス、書類、すべてが悲劇に巻き込まれる。だからこそ、慎重に置いたはずなのに、それでも気になってしまう。視界の端で缶が揺らめいて見える気がする。平らな机の上に置いてあるだけなのに、なぜか倒れそうな気がする。落ち着かない。まるで、この缶が集中力を試しているようですね。
仕事に集中しようとしても、ふとした瞬間に缶の存在が気になります。手を伸ばすたび、うっかり肘をぶつけそうな予感がして、妙な緊張感が走ります。結局、缶を持ち上げてはまた慎重に置く。その動作が繰り返されます。滑稽ですね。まったく、何をやっているのでしょうか。
缶を倒したくない。だから飲むのか。飲みたいから飲むのか。その境界線が曖昧になってきました。机の上に置いておくのはリスクです。いつ倒れるかわかりません。ならば、飲んでしまったほうが安全でしょう。だが、本当にそうなのでしょうか。これは単なる言い訳では。飲みたくて飲んでいるのではなく、倒したくないから飲んでいるだけなのでは。飲み干せば、この不安から解放される。でも、それは本当に望んでいることなのか、疑問が残ります。
そして、気づけば缶の中身が減っていきます。
それにしても、この缶の存在感は異様です。ただ机の上に置かれているだけなのに、どうしてこうも気になるのでしょうか。パソコンの画面を見つめていても、視界の端でじっとこちらを見ているような気がする。気にしなければいいのに、気にしてしまう。何度も置き直してみるものの、どうにも落ち着かない。倒れたら最悪だから、慎重に置いているはずなのに、それでもまだ不安が残ります。
缶が静かにそこにあるだけで、気が散るのです。なぜでしょうか。飲み口をこちらに向けると、余計に意識してしまう気がします。逆に向けても気になる。手元に近づけると圧迫感があるし、遠ざけると取りにくい。どこに置くのが正解なのか、考えているうちに仕事のことは完全にどうでもよくなってきます。
誰かが机を揺らしたら、終わるかもしれません。その不安があるからこそ、絶妙なバランスで缶を配置しようとするのですが、その微調整自体がどこか不毛です。もっと適当に置けばいいのに、なぜか許せない。この缶のせいで、妙なこだわりが生まれてしまいました。
仕事をしながらも、無意識のうちに口をつけ、また一口。そんなに飲むつもりはなかったのに、いつの間にか減っていきます。まだ飲み干すつもりではなかった。もう少し残しておきたかった。あとで飲むつもりだった。そう言い聞かせながら、手は勝手に缶を持ち上げています。
気づけば最後の一口を飲んでいました。缶を置いたとき、そこに残っていたはずのものがもうない。倒れる心配はなくなりましたが、同時にもう飲むものもありません。仕事はまだ終わらないのに、レッドブルだけが終わってしまいました。最後の一口を意識することなく飲み干してしまったことに、なぜか少しだけ後悔します。でも、これが人生の縮図のような気がします。大事にとっておいたものは、いつも気づかないうちになくなっているのです。
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