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映画化してほしかった!

『最後の医者は桜を見上げて君を想う』という本


生きていくための武器になるかもしれない一文と出会う作品


『最後の医者は桜を見上げて君を想う』二宮敦人著(TOブックス,2016年)
という本を知っているだろうか。

『最後の医者は桜を見上げて君を想う』二宮敦人著(TOブックス,2016年) 表紙

この作品は二宮敦人著による医療ドラマを描いた小説作品で、書店では
鮮やかな桜の表紙に惹かれて購入した。
著者二宮敦人氏はホラー作品『!(ビックリマーク)』でデビューしており著作の半数以上をホラー作品が占めている。未だに彼のホラー作品に触れたことがないため、年内にはきっと読みたいなと思っていたら11月を迎えてしまった。

今回取り上げる『最後の医者は桜を見上げて君を想う』は著者が人間が恐ろしいと感じ、考える“死”というものを見つめ続けたために生みだされた、対となる生の作品と言うこともできるだろう。

あらすじとして、本作品では二人の医者の対立した立場が重要となる。
一人は、病の治療において最後まで戦い続けることこそが病に対する絶対の勝利であると信じる医者、福原雅和(ふくはら かずまさ)。
もう一人は、戦う選択肢があるならば患者には死を受け入れて生きる権利もあるはずだと主張する医者、桐子修司(きりこ しゅうじ)。
三本立てで描かれるとある誰かの死という患者の生きざま、そして死にざまを通して問われる自分の人生を生きるということ。これを見つめ続ける作品である。
私は本作品を「生きるための見方を与えてくれる作品」であると評価したい。それは実際に私に生きるための、人生のある一面からの見方を与えてくれた一文がこの作品にはあるためである。その一文は未だに私の一つの指針になっている。きっと読者それぞれに、考えさせられる一場面というものがこの作品にはあるはずだ
以下では私が影響を受けたその一文を引用したい。

物語は三浪の末に医学部に合格したまりえという女子大学生の話である。
しかし、入学の直後、彼女は自分がALS(筋萎縮性側索硬化症)という原因不明の病気にかかってることを宣告される。この病気は徐々に筋肉が衰弱し体を動かすことができなくなっていき、最終的には呼吸するための筋肉も弱まり亡くなってしまう恐ろしい病である。
病が進行し起き上がることもできなくなり、確実に死が目の前に迫った状況の中、彼女は以下のように言うのだ。

私、医者になりたい。
(中略)
まりえは気づいた。いつかALSになると知っていたとしても、それでも自分は医者を目指したはずだと。医者になれなくても、医者を目指したはずだと。
(中略)
あんなに頑張ったことも。あんなに勉強したことも。悔しい思いも、嬉しい思いも、嫉妬も、満足も、犠牲にしたものも、手に入れたものも、全部全部無駄なんかじゃない。
(中略)
他の誰が無駄だって言おうと、私だけは絶対に……。
無駄だなんて認めない。

『最後の医者は桜を見上げて君を想う』二宮敦人著(TOブックス,2016年)234ページ

これは自分自身が今までに苦労してきたすべてのこと、そして夢を見て、それに向かって進み続けてきた人生のすべてに対しての言葉である。
彼女は自分の短い生涯の意味を考える中で自らを必ず肯定する感情をただ一つ、握りしめるのである。

私は今、作中の彼女と同じ大学生になった。この作品を読んだ当時は中学生の頃である。そのため振り返れば作中で綴られる浪人の苦労も、自分の未来への希望も、いまいち理解しきれてはいなかったと思う。大学生になった今ならわかる。やっと入学して自分の勉強をして、きっと夢につながる道を歩いていると信じていればそこから転落する、その恐ろしさが。
死をどうしても逃れられなかった彼女の、自分の人生を丸ごと肯定するこの一言が当時の私には衝撃的だった。
物語の前半部分を読めば、彼女をただ強いだけの人物だとは思えなかった。
平凡でどこにでもいるような、もしかしたら中学時代は今の私と同じような生活を送っていた人かもしれない、そんな人物と捉えていた。それだけにこの平凡な彼女の、死ぬと分かって苦しんできた絶望のすべてをひっくり返したこの一言が、強烈にまぶしく感じたのである。


実は3巻構成である。続編もおすすめ



読了後、私はこの作品に対して「苦しくて、悲しくて、強かった」という感想を抱いた。
病を患うということはひどく苦しいものであり誰かの死は悲しい。それでも本人とその周囲の人間はその事実を受け取らなければならない。
作中では登場する人物の誰もが紆余曲折ありながらも、必ず目の前のその事実を受け止めて生きてゆく。それを見ていると、死ぬことに少しは勝てるような気がするのだ。
本書はそうやって生きるための武器をくれる作品である。

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