紫陽花【小説】
霧のような雨が、庭の紫陽花をしっとりと潤していた。
我輩の体の毛も、部屋に流れ込んでくる湿気で少々しけってしまっていて、まあ、それも季節を考えれば仕方のない事と、諦めねばならないのだろうが、やはり少々気持ちが悪い。
だというのに、じいさんは茶の間の障子を閉めようとはせず、ぼんやりと庭の紫陽花を眺め、ばあさんは、そんなじいさんに文句を言うでもなく、飲み終わった湯飲みを片付けている。
じいさんというのは、世間的に言えば我輩の飼い主であり(我輩はそのように思った事は一度もないが)、ばあさんは、じいさんのツガイの雌であるようだ。
じいさんは、かれこれ70年も生きているそうで、つい最近まで、「大工」というグループのボスだったらしい。
ボスらしいゴツゴツした体は今でも健在だが、ある日を境にあまり家から出なくなってしまったトコロを見ると、恐らく同じグループの雄との、ケンカに負けて、ボスの座を奪われてしまったのだろう。
ばあさんは、我輩にいつも飯を用意してくれる。
細身であまり喋らない。 近所の雌どもは、寄ると触るとピーチクパーチクやって、よく我輩の昼寝の邪魔をするのだが・・・。
じいさんがいない時でも、掃除をしたり、洗濯をしたり、時間になれば、じいさんと我輩の飯の用意をしたりと、一日中働いていて、じいさんがボスの座を奪われた今も、それは変わらない。
「なぁ」
じいさんは、振り返らずにばあさんに声をかけた。
「はい?」
ばあさんは、お膳を拭きながら、じいさんに応えた。
「今日は、何日だったかな?」
「二十日ですよ」
「……そうか。お前と一緒になってから、もう三十年にもなるんだなぁ」
「あら、結婚記念日、覚えててくれたんですか?」
ばあさんの問いかけには応えず、じいさんは庭を眺めたまま、また黙ってしまった。
ばあさんは、一旦止めた手を、再び動かし始める。
「なぁ」
じいさんは、ゴツゴツとした四角い背中をばあさんに向けたまま、もう一度声をかけた。
「はい?」
ばあさんは、お膳を拭き終えて、じいさんの方に目をやった。
「……ありがとうな」
じいさんが四角い背中を丸めて、ぼそりと言った。
耳の後ろが真っ赤になっている。
ばあさんは一瞬、驚いたような顔でじいさんを見つめ、少し震える声で、はい とだけ言って流しの方に消えていった。
庭の紫陽花が嬉しそうに、霧のような雨を浴びている。
我輩は、体の毛にまとわりついた湿気を舐め取るのに忙しい。
終わり
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今日は2/22(ニャンニャンニャン)の日。
何か猫っぽいものはないかと、PCのフォルダーを探ってみたら、昔書いたこの小説が出てきたのでアップしておきます。(*´∀`*)
(内容は季節外れですがw)