宮地さんの『風立ちぬ』論

ぷらすです。
たまたま観ていたYouTubeでこんなのを見つけました。

米粒写経 & 宮地昌幸【宮崎駿監督『風立ちぬ』をこう見た!】

ちなみに米粒写経のサンキュータツオさんは、オタク芸人として有名な人で、宮地昌幸さんは元ジブリの人で、その後フリーで活躍されてるアニメ監督の人です。(『伏 鉄砲娘の捕物帳』の監督として有名)

で、そんな元ジブリで宮崎さんをよく知る宮地さんが語る『風立ちぬ』論ということで、気になって観ていたんですね。

個人的には、今まで見た・読んだ・聴いた『風立ちぬ』論の中で、一番納得出来たというか、もちろんほかの人のそれも「なるほどー」と思ってたんですが、こう、なんか腑に落ちない部分が少し残っていたんですね。
ですが、宮地さんの話で今までモヤモヤしていた部分が腑に落ちたというか。

本当はリンク先を見てもらうのが一番いいんですけど、さすがに50分オーバーの動画を見てくださいとは言いにくいので、ざっくり要約します。

① 『風立ちぬ』は『いい話』でも『昭和を懐かしむ映画』でもない。

② 今まで『間接話法』で語ってきた宮崎さんが、初めて『直接話法』で自身の過去作の総決算(語り直し)をしている。

・紅の豚
・となりのトトロ
・風の谷のナウシカ
・千と千尋の神隠し
・天空の城ラピュタ

③ 堀越二郎は異形のモノ側(死の象徴)・菜穂子は人間側(生の象徴)。
その二人が交わり、生と死が逆転していく。

④ 今まで悪役・異形として描いてきたキャラクターが主人公(二郎)。

⑤ 山場は、結核の菜穂子の隣でタバコを吸いながら仕事する二郎のシーン。

⑥ 本作はナウシカ(菜穂子)に恋をした巨神兵(二郎)の物語。

⑦ 二郎(ファンタジー)が菜穂子(現実)の人生が交わることで、菜穂子(現実)が死んで二郎(ファンタジー)が生き残ってしまう悪夢。

⑧ 二郎に自らを重ねた自伝映画。
・零戦(アニメ)を作り続けたことで、子供たちを死地(ファンタジー世界)に送り込んだ事への贖罪。
・それでもアニメを止められなかった『業』の告白と肯定。

ちゃんと要約出来てるか自信がないんですが、大体こんな感じだったと思います。

宮地さんが言ってることが、どこまで合ってるのかは分かりませんが、クリエイター(というかアニメ監督)視点で見ると『風立ちぬ』はこう見えるんだなーと思ったし、話を聞いていると「ああ、なるほどー」と納得できる部分も多いなーと。

もちろんこれは、一方向から見た『風立ちぬ』論なので、それ以外の要素も沢山入ってるとは思いますけど、宮崎さん自身が各所で語ってる事とも符号する部分が多いなーと思いました。

宮崎駿さんっていう人は、色んな「素敵フィルター」で包まれてて見えにくいですけど、元祖中二病でもあり、セカイ系でもあり、抱えてる矛盾や闇の大きさは他の追随を許さない魔王級で、そこに可憐な乙女も同居してますからねw

特にジブリ以降、(僕も含め)いろんな人に持ち上げられて、イメージに縛られて、どんどん膨らむプレッシャーや誤解に苦しみながら『消費され続けた人』でもあると思うので、最後の作品で卓袱台をひっくり返して、溜まった毒を吐き出すことが出来たのは、良かったのかもしれないですねー。

まぁ、世間にはあんまり伝わってないんですけど。
それもまた、宮崎さん『らしさ』なのかもしれません。

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