僕の思い出の場所 【スゴろくnote】
ぷらすです。
今回は、『西向きマイルーム』でお馴染み、漫画家でnoterの 若狭たけし先生からのお題『幼い頃の思い出の場所』にチャレンジですよー。
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僕が生まれ育ち、現在も住んでいるのは、北海道のほぼ真ん中あたりにある、旭川市という町です。
『らーめん山頭火』と『旭山動物園』のブレイクで、少しだけ有名になりましたが、昔は日本初の恒久的歩行者天国である『平和通り買物公園』以外、特に目立った売りのなかった極々普通の一地方都市でした。
僕の生家はその『買物公園』のすぐ近くでして、いわゆる「街っ子」だったんですね。
でもって、僕が子供の頃って、まだまだ海外が遠かった頃でして。
今みたいに、世界の文化も情報も正しい姿では日本に入ってませんでした。
特に食べ物は、今みたいに「〇〇(国名)料理」なんてジャンル分けはなくて、「洋食」「中華」「和食」の三種類。中でも「洋食」は一般家庭では中々作れないご馳走で、街のデパートやホテルのレストランで外食をするのは、僕ら世代の子供たちにとっては、年に数回あるかないかの一大イベントでした。
ということを踏まえて、ここからが本題。
旭川市の中心部に、ニュー北海ホテルという、旭川を代表するホテルがありまして。そこの一階に、ナナカマドという洋食レストランがありました。
カレーライスのルーが、「アラジンの魔法のランプ」みたいな器に入って出てくるような当時の高級レストランです。(カレーのルーがご飯にかかってるのは庶民的な『食堂』で、別の容器に入ってるのが高級レストランという認識だった)
で、確か僕の小学校入学のお祝いだったんじゃないかと思うんですが、家族で北海ホテルのナナカマドに食事に行くことになりました。
『レストランで食事』ですからね! それはもうテンションがあがったものです。
僕の狙いは、お子様ランチだったんですが(チキンライスの上の旗が欲しかったから)、母の「ここには『グラタン』というそれはそれは美味しいものがある』という囁きに、すぐさま軌道修正しました。
そして、しばらくすると僕らのテーブルに『グラタン』が運ばれてきたんですが、そのビジュアルにビックリです。
何が驚いたって、普通のお皿の上にグラタン皿が乗ってたんですよ。
「お皿の上にお皿が乗ってるーー!! スゴーーイ!!*(๑•⌓•๑)*」
上手く表現出来ないんですが大体こんな感じw
ほら、子供って変なトコに興奮したりするじゃないですか。
で、そのグラタン皿の中では、表面に焦げ目のついたホワイトシチュー的な何かがグツグツ煮立ってるわけです。
なのに皿の横には、スプーンじゃなくてフォーク。
もうね、まったくルールが分からないw
①ホワイトシチューなのにフォークで②容器ごとお皿の上に乗っかってて③表面が焦げてて④グラグラ煮立ってる謎の食べ物ですからね。
母からのアドバイスは「熱いから火傷しないように食べなさい」だけ。
それでも、食べ物には間違いがないのでフォークを握ると謎の食べ物に突き入れます。
すると、何かを刺した感触。
そのままフォークを持ち上げてみると、その先にはマカロニが。
「!???」
いや、マカロニ自体は知ってたんですが、マカロニはサラダで食べるものと思い込んでいたんですね。まさか他の食べ方があるとは夢にも思ってませんでした。
①ホワイトシチューなのにフォークで②容器ごとお皿の上に乗っかってて③表面が焦げてて④グラグラ煮立ってて、
⑤マカロニ入り!?(←new)
プチパニックになりつつも母のアドバイスに従い、顔を真っ赤にしながらフーフー息を吹きかけて、いざ実食です。
「熱い!! でもウマーーーーーーーーい!!! *(๑•▽•๑)*」
さらに中には、小さなエビや細切りのピーマンが入っていて、ホワイトシチューに似てるけれど、もっとドロっとしててチーズの味がする『マカロニグラタン』を僕は口の中を火傷しながら夢中で食べました。
こうして『北海ホテル』は、家族でオシャレをして生まれて初めてグラタンを食べた場所として、幼い僕の記憶に刻まれたのでした。
そんな老舗のホテルも、時の流れには抗えずに2004年の春に閉館し、その後「ドーミーイン旭川」というビジネスホテルが建ったんですが、今でもその前を通ると、『マカロニグラタン』の記憶とともに、当時の北海ホテルの姿を思い出したりします。
以上、僕の『幼い頃の思い出の場所』でした。(*´∀`*)ノシ
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次の出目は4なので、これで『AIろく』はクリアー。
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