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「米津玄師/死神」の話

ぷらすです。
落語の話」という僕のマガジンの中に収録されているテキスト落語という、落語を文章に書き起こしたシリーズは、アップしてからずいぶん経った今でもたまに読んで下さる方がいらっしゃるようで。その中でも「死神」という話の書き起こしはありがたいことに今だにスキを頂く事も多いです。

で、最近またちょこちょこ「死神」にスキを頂いていて、はて何だろう?と思ったら、どうやら最近、米津玄師さんがリリースした「死神」と言う曲の影響みたいで、この曲を聞いた人が検索した時に僕の書いた「死神」を発見し読んで下さっているようなのです。

この曲はそのまま落語の「死神」をモチーフにした曲なんですが、曲がカッコいいのはもちろんとして、秀逸なのはその歌詞なんじゃないかと僕は思ったんですね。
「死神」は短くても20分以上、長い人なら1時間近い落語の演目の中でも「大ネタ」とされている噺なんですが、米津さんはこの物語をたった3分の歌詞に落とし込んで、その世界観を完璧に表現・拡張しているんですね。

というわけで今回は、落語「死神」のあらすじと、米津玄師さんの歌詞の凄さについて解説できればと思います。

「死神」という噺のあらすじをざっくりご紹介すると、こんな内容です。

何をしても上手くいかない主人公の男が自殺を考えて歩いていると死神に声をかけられ、その死神から病人を治す方法を教わる。
長患いの病人には死神が憑いていて、そんな死神を祓うのが「アジャラカモクレンテケレッツのパー」と言う呪文。
これを唱えると死神はたまらず退散する。
ただし、重病人に見えても足元に死神がいれば病人は助かるが、枕元にいる場合その患者は寿命なので死神を祓う事は出来ないと。

これを聞いた男は医者を名乗り、患者の足元にいる死神を呪文で祓って病人を救い名医と評判になる。
次々依頼が舞い込み大金を得た男は医者を辞め、遊女をはべらせ関西へ旅行に行き豪遊するも、やがて所持金が底をつくと江戸に戻って医者を再開。しかし依頼先の死神は患者の枕元にいるので祓えない状態が続き、男はヤブ医者だ死神だと敬遠されるようになって再び貧乏のどん底に。

そんな時、江戸でも有数の大きな店から依頼があり出向くとまたもや死神は枕元に。男は諦める様に言うが、「ひと月でもいいから寿命を延ばしてくれれば大金を出す」と言われ一計を案じる。

店の若い者を布団の四隅に置いた男は明け方、死神がウトウトした一瞬の隙をついて布団を回転させ早口で呪文を唱えると死神はたまらず退散。
患者は無事回復し大金を得た男だったが、いつぞやの死神が現れ沢山の蝋燭が灯った洞穴に連れていかれる。

その蝋燭は人々の寿命であり、消えかけの一際短い蝋燭が男のものだと死神は言う。欲に目がくらんだお前は患者と寿命を交換したのだと。
焦った男は自分の寿命を戻してくれと懇願し、死神は既に消えた蝋燭を男に渡し、これに火を移せられたらお前は助かるかもしれないと言う。

今にも消えそうな蝋燭から手に持った蝋燭に火を移そうとする男だが、死神に「急げ急げ、火が消えるぞ死ぬぞ」と急かされ、焦りで手が震えて中々上手くいかず。やがて「ほら、消えた」という死神の言葉で物語は幕を閉じる。

という物語。

演者や流派によって様々なバリエーションはありますが、冒頭で男が自殺を考えたのは死神が操っていた事になっているし、死神が男の前に現れたのには両者の間に「数奇な縁」があるからと死神は説明しますが、それが何かという説明はないんですね。

米津さんの曲では、この「死神」の内容をたった3分の歌詞で表現するのも凄いんですが、ただ物語をなぞるだけではなく、原作(落語)にはない主人公のキャラ造形や二人の因縁、死神が男に近づいた目的など、独自の解釈を加えることで物語を脱構築しつつ、それでいて「死神」と言う物語の本質的な部分はしっかり掴んでいるんですね。

くだらねぇ。いつになりゃ終わる? なんか死にてえ気持ちでブラブラブラ

米津玄師/死神

落語では、男は本来お気楽者で、自殺を考えたのは死神のせいとなりますが、この歌詞では男は厭世的で死を待ち望んでいるように読み取れます。
で、この男のキャラ設定が後の展開への伏線にもなっているんですね。基本的な話の流れは原作準拠ながら、このキャラ設定によってその後の展開が強調されます。

じゃらくれたタコがやってらんねえ与太吹きブラブラブラ
悪銭抱えどこへ行く

米津玄師/死神

「じゃらくれた」は米津さんの出身である四国地方徳島県の阿波弁で「ふざけた」と言う意味だそう。

「与太」もふざけた・でたらめ話という意味で、与太吹きはホラ吹きと同義になります。
ここは、死神の言いつけを破り、男が小細工を弄して大金を得たと解釈することも出来るし、そもそも医者でもなんでもない男が、「アジャラカモクレン~」という呪文で大金を得るも調子に乗って破滅へと向かう様子と解釈も出来ると思います。

つれえ いちびりのガキが 勝手やらかしお上はブラブラブラ
怨念 これじゃ気が済まねえ

米津玄師/死神

落語の「死神」は主人公の男の一人称視点なのですが、ここの歌詞は落語にはない死神視点ですね。「お上」は死神の上位的な存在か会社の上司的な存在で、せっかく大金を稼ぐ方法を教えてやった恩を忘れ男がルールを破ったせいで、自分が怒られたか何らかのペナルティーを喰らった死神の心情を描いているんだと思います。

さあ どこからどこまでやればいい
責め苦の果てに覗けるやつがいい
飛んで滑って泣いて喚いた顔が見たい

米津玄師/死神

で、最後の洞穴のシーンに繋がるんですね。
序盤は厭世的で死にたがっていた男ですが、いざリアルな死を目の前にすると死神に無様に命乞いをする。
それは人間の本質的な姿でもあり、男に一泡食わされた復讐をする死神にとっては最高に心躍る場面でもあったのだと思います。更に、

どうせ俺らの仲間入り

米津玄師/死神

と続き、実は男にとっては序盤の死神との出会いから、全てが仕組まれていた事を示唆されている様にも解釈できます。
つまり、死神というのは主人公のようなクズ男・ダメ男が死後になる姿。ある意味であの世の刑罰のようなもので、この男の前に死神が現れたのは、いわばスカウトだったと。

だとすると、引用した歌詞の「怨念」の部分。
これは落語版での死神が言う「数奇な縁」にかかっていて、実はこの死神は、転生前に死神だった主人公によって”スカウト“され、その怨念を晴らすため男をスカウトに来た。という解釈も可能かな?なんて思ったり。
もしくは、MVでは落語家と死神?を米津さんが一人で演じているので、実は死神と男は同一人物で、死んで死神になって男の前に現れるをループしてるという解釈も。
いや、それはさすがに妄想解釈すぎかもですがw

ともあれ、一見落語の内容をなぞっているように見えて、落語にはないシーンを入れ込みつつ最低限の文字数で「死神」という物語の本質を表現しつつ、新解釈を加えて世界観を広げてみせた米津さんの「死神」は凄いなぁという事をお伝えしたいという記事でした。

ではではー(´∀`)ノシ

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