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なるべく早く自分で選ぶ練習中

小さい頃から優柔不断だ。 
「どこに行きたい?」「何して遊びたい?」「何が食べたい?」
パッと浮かばないし、浮かんだところで表に出すのが苦手。
なんなら全て決めてもらう方が楽。
誰かの行きたい所や、遊びたいこと、食べたいものに合わせるのはわりと得意だ。
どれも嫌というよりはどれもいいかも、と見えることが多い。

そんな細かいことでもわからないように、とにかく自分が見えなくなることが多すぎる。
自分は何が欲しくて、どうしたくて、どこへ向かっているのか。
もやもやもやもや。
きっともっとわかりやすい、自分が何が好きで何が嫌いなのかすら私はすぐにはっきりとはわからなくなる。
だから何かを決めるのに時間がかかってしまう。

そんな自分に嫌気がさしてきて、実はひそかに練習していることがある。
なるべく早く自分の求めているものを知って、選ぶということ。
大きなことに対して自分ですぐに決断するのは難しいので、まずはわかりやすい所から。
私の場合「何を食べるか」をよく自分に聞くようにした。
これが一番効いていると思う。
常に何かは食べたい人なので、食べたい物はたくさんあるのだけれど「今」何を食べるかを自分に聞く。
今は食べるものを自分にだけ聞けることの多い環境なのもあるけれど、「今何を食べたいか」を自分に聞くのは、一瞬自分の内側に入り込む感じ。
うまく言えないけれど、あれ食べたいなという欲望とは少しちがう。
具体的に浮かばなくても、今しょっぱい物が食べたいのか甘い物が食べたいのかのようにざっくりしていてもいい。
そこから買い物に行くでも、冷蔵庫の中にある物からでも何を食べるかを決める。
ある物の中から選ぶのはもう少しはやく浮かびやすいし、これは違う、と消去法から選ぶのもわかりやすい。
自分の空白にぴったりと欲しいものをはめる感じ。
どこかへ食べに行く時も、メニューを見てなるべく早く決める。
決断力のない私が、自分は何が欲しいかをなるべく早く決めるための練習。
これが色んな所で少しずつ自分の「これがいい」の判断を早めている。
物を買う時などの小さく見える決断にも応用中。
小さいことからだけど、どう思われるかと外側から考える癖もついていたことも知り、いかに自分で選ぶのが下手だったのかがわかる。

そしてここを鍛えていくと直感を磨くことにも繋がる気もする。


先日吉本ばななさんのテレビを観た。
「直感を磨くには?」という質問に対して
『直感を磨くというより違和感に気づく』方が早いと言っていた。
たしかに好きより嫌いの感覚の方がわかりやすくて、嫌いまでいかなくっても「なんかザラッとする」違和感って自分だけの感覚だ。
感覚って理由がはっきりしていないことが多いから、気のせいにして気づかないふりをしてしまったりする。
周りと比べて自分だけだった時はなおさら。
だけど最初の違和感ってけっこう当たる。
その「なんか」はきっと自分の中では大きいのだ。
「なんか違うけれどどうしてかはわからないし、もう少し近づくと好きになるかもしれないし、いい影響を受けるかもしれない」と期待してそのまま流れに乗っていってもだいたい良い方向には進まない。
違和感を持っていたものを手放した途端、いつのまにか増えていた傷にも気づいてしまって、違和感の理由がどんどん出てくる時もある。
だから先に理由を見つける必要はないんだろうな。
「何となく嫌」くらいで。
またその違和感は人それぞれで、一緒じゃないからといって合わせなくてもいいし、まして批判することもしたくない。
私はこう、あなたはそうなんだ。へぇー。
くらい遠くに置く。
その違いも楽しむくらいに。

と書くのは簡単だけど、離れられない人や物との違和感をどうしていったらいいのかはまた全然別でわかっていない。

そして大きな迷いに対する自分の答えを出すのは、ここからもっと先の話。
次元が違う。

だけれども、この一瞬自分の内側に入って自分に聞く感覚は意識するだけで私の中では何か違ってきて、その細かいことから見えてきたものもあったり。
大げさかもしれないけど。

とりあえず今は小さなところから自分の求めるもの、好きなものを感じて選ぶ。なるべく早く。
それを意識して感覚を鍛える練習中。
どう思われるかから考える癖をなくして。


そんな練習をしている時に、色んな場面で自分を知ることについて考えさせられている。
本当に色んな所からその影響を受けているので全部を紹介できませんが、しっかり受け取ってます。


この歌が流れながら


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ふぅ。
記事を読んでいただいて本当にありがとうございました。 めちゃめちゃうれしいです! もしちょっとでもいいな、と思っていただきましたらサポートぜひぜひお願いします🙏