[処女は恥ずかしい?]処女の歴史⑪日本人の恋愛と結婚・1990年代の援助交際と「やらはた」現象
こんにちは。40代で「彼氏いない歴=年齢」&「おひとりさま」の占い師(占いカウンセラー)・可憐(かれん)です。
前々回と前回は、1980年代における、恋愛や結婚のスタイルを見ることで、処女の歴史を振り返りました(→その記事はコチラ)。
今回はその続き、1990年代の処女の歴史をお送りします。
そもそもの理由、再び
前々回の記事のトップにも書きましたが、
なぜ私がこのような「処女の歴史」なんてテーマで記事を書き始めたのか?
それは、5/20(月)、NHKの朝の情報番組「あさイチ」で、「性体験がないのは恥ずかしいこと?」が特集されていたこと。
そこで、
①特に恥ずかしいと思うのは、30代後半~50代前半の世代
②歌や雑誌、ドラマなどのメディアによって、「経験がないのは恥ずかしい」という価値観が植えつけられた
と言われていたこと。
それについて記事を書いたことがきっかけです。(→その記事はコチラ)
その「あさイチ」で言われていた、
①「特に恥ずかしいと思う30代後半~50代前半の世代」とは、1970~89年頃の生まれで、若い(20歳)頃は1990~2010年くらい。
その頃に、「やらはた(やらずに[初体験をせずに]二十歳[はたち]になる)は恥ずかしい」という空気が蔓延していたようです。
今回はこの「やらはたは恥ずかしい」という空気が蔓延していた1990年代を見ていきます。
「ロマンティック・ラブ・イデオロギーと処女性」をふりかえる
その前に、ざっとこれまで書いたことをふりかえると、
昭和の高度成長期(1950~70年代)を経て、「恋愛・結婚・出産(生殖)」の3つをセットとしてとらえる「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」が結婚の常識となりました。
それは「恋愛のゴールは結婚」「結婚するまでは処女」「結婚したら初めてのセックスをして出産をして子どもを産み育てるもの」という価値観です。
さらにその頃、
男は故郷を離れ、都会でサラリーマン、企業戦士、働きバチとしてガムシャラに働き、稼いで、家族を養うもの。
女はそんな夫を支えて仕事に集中させてあげて、家庭内の家事と育児を担う、良妻賢母の専業主婦になる。
このような、男女の性別による役割分担がはっきりしてきます。
そして、60~70年代は、世界的にマイノリティが自由や解放を求めるムーブメントが起こった時代でした。性革命が起こり、女性も「妻・主婦・母親」といった女の役割からの解放や、性の自立や自由を求めました。
70年代頃は、ある意味、「処女であることに重きが置かれなくなった」ターニングポイントとなったと見る向きがあります。
そして、前々回の記事のように、80年代はそれに拍車をかけた時代といえるでしょう。
歌やドラマ、マンガや小説、雑誌などのメディアがあおるようにして、セックスに関する情報を流し続けました。
(→その記事はコチラ)
そして、「結婚するまでは処女」「性行為は結婚してから行うもの」などという、「処女神話」のような従来の価値観は古くなります。
80年代は男性も女性も、結婚にはまだ早い10代の若者たちも、性に対する興味を高めていきました。
◎大学生、高校生、中学生の性交経験率
大学生の性交経験率は、男女とも80~90年代を通して上昇し続けた。
(大学男子は1974年に23.1%だったのが、81年32.6、87年46.5、93年57.3、99年62.5、2005年63.0。
大学女子は1974年11.0、81年18.5、87年26.1、93年43.4、99年50.5、2005年62.2。)
高校生は、男女とも1970年代から80年代初頭まではほぼ横ばいだったが、
男子は1981年から2005年にかけて、女子は1987年から2005年にかけて大きく上昇。
(高校男子は1974年10.2%、81年7.9、87年11.5、93年14.4、99年26.5、2005年26.6。
高校女子は1974年5.5%、81年8.8、87年8.7、93年15.7、99年23.7、2005年30.3。)
中学生は、調査を始めたのは1987年から。調査する必要が出てきたため。
(中学男子は1987年2.2%、93年1.9、99年3.9、2005年3.6。
中学女子は1987年1.8%、93年3.0、99年3.0、2005年4.2。)
(日本性教育協会 | 研究事業について | 第8回青少年の性行動調査 (faje.or.jp))
20歳以上の大人も含めると、以下のようになります。
このように、80年代後半から90年代を通して、10代の未成年も含めて、全体的に性体験をする率が上昇していました。
1990年代
不安定な時代と女子高生ブーム
1989年、年号が昭和から平成へと変わりました。
そして90年代前半、バブル経済がはじけて、不景気になりました。
90年代から日本の経済成長は鈍化。「失われた30年」の始まりです。
93年、初めての「就職氷河期」到来
95年1月、阪神淡路大震災
同年3月、オウム真理教が無差別テロ事件「地下鉄サリン事件」を起こす
バブル(泡)は主に株や投資、投機などで景気がよかっただけ、実体がなかった。バブルがはじけると、つい数年前まで、バブル景気でみんな浮かれていたけれど、みんなバブルという夢から覚めたよう。
経済がふるわないと、人は元気をなくすものです。
社会的にもオウム事件という予期せぬ事件が起き、世紀末ブーム、終末思想、「2000年問題」など。人々の不安をかきたてます。
10代の性の商品化:援助交際とブルセラ
90年代の特徴は、女子高生ブームと、その「性の商品化」です。
そして90年代には、女子中高生が「自らの若さと性をカネにかえられる」と気づき、積極的に行動するようになります。
90年代に女子中高生がよく行っていた、性を商品にした行動が「援助交際」と「ブルセラ」。
「援助交際」(略して援交)は、女子中高生がテレクラや伝言ダイヤル、ポケベルなどを利用して、見ず知らずの男性と会って性を売る売春行為。食事やデートをするだけのこともありましたが、援助交際といったら、およそ未成年の女子の売春という意味合い。
「ブルセラ」は、使用済の下着や学校の制服などを売ることです。
そのように、90年代はすでに素人がカンタンに売買春したり、匿名で見知らぬ人と出会ったりするツールや下地ができていたのです。
なお、援助交際は「金銭的な援助をした見返りに、交際(一度切りのデート、食事、性行為)をする」という意味ですが、この頃、10代の未成年の女子たちが援交やブルセラを行った理由は、貧困など、生きるため、生活のためという経済的なものではありませんでした。
おこずかいをもらう、ブランド品を買うなどの「遊ぶ金欲しさ」でカンタンに性を売っていたのです。有名お嬢様高校の生徒もしていたとか。
当時の何かのテレビドラマで、女子高生が「寝転がってるだけで数万円のお金がもらえるんだよ」と、割のいいバイトに誘うように、あっけらかんと友達を援交に誘うシーンがあったように記憶しています。
(深田恭子、金城武主演の『神様、もう少しだけ』(1998年)という、エイズをテーマにしたドラマだったかも)
40代の私・可憐も90年代に女子高生だった1人です。
私が通っていた高校はわりとマジメなところだったのですが、それでもチラホラとパンツを売るとか売らないとか、下級生の誰かが繁華街で男といるところを週刊誌(フォーカスかフライデー)に写真を撮られて停学か退学に、なんて噂を耳にしました。
ただ、ヤンキーの兄がいる、ヤンキー文化にくわしい女子に、部活の雑談中に教えてもらったことには、
「ブルセラでパンツを売るっていったって、新品のパンツに黄色い辛子(からし)を塗って、使用済のパンツみたいに見せかけるんだよ」。
「うひゃあ」と思ったことを、今でも記憶しております。
売る側の女子高生もしたたかだった、ということでしょうか。
(辛子の跡がついたパンツを買ったオヤジはどうしたんですかね?・・・以下、想像は自主規制)
しかし、中学生や高校生はまだ10代の、守られるべき子どもです。
売春は、売る側だけでなく、買う側のモラルの問題もあります。
東京都は1997年、「買春(かいしゅん)等処罰規定」を設け、18歳未満の青少年を相手に買春を行った大人(18歳以上)は処罰されることになりました。
さらに99年には「児童買春・児童ポルノ禁止法」が制定。
女子中高生が援助交際・ブルセラをした理由
社会学者の宮台真司氏は、テレクラなど、女性が関わる性風俗の現場で研究・フィールドワークをしていたことがあります。
90年代に女子中高生が援助交際やブルセラをした理由を、以下のように語っています。
処女神話の崩壊:10代で非処女に
当時、テレクラや援助交際で「処女を捨てた」という女子は多かったと思われます。
こうして、70年代頃までは「結婚するまでは処女」という「処女神話」があったのに、おそらく彼女たちの母親世代は「処女神話」を信じていたのに。
90年代の娘たちは結婚などは関係なく、10代半ばでカンタンに、または「お荷物」を下ろすように、処女を「捨てる」ようになったのです。
やらはた現象:「処女は恥ずかしい」神話の誕生
もう1つ、90年代に特徴的だったのが「やらはた」の意識です。
「やらはた」は、「やらずに(性体験をせずに)二十歳(はたち)になることや、なった人」の意味で、男女ともに使われます。
「やらはた」については、以下のとおり。
(前々回の記事で書いたように)80年代から地続きで、雑誌やテレビドラマ、少女マンガなどのメディアがこぞって恋愛やセックスに関する情報や、「恋って楽しいよね」「恋ってステキでしょ」というメッセージを流す。
さらに、雑誌『anan』は「セックスでキレイになる」とまで言い切る。
洗脳装置ともいわれるメディアがそのように「恋愛+セックス」の情報を流し続けると、「恋愛はしなくてはいけない」「セックスはしなくてはいけない」という、「あおり」にもつながります。
こうして、「やらはた(やらずに二十歳)は恥ずかしい」、女性にとっての「処女は恥ずかしい」が、以前の「結婚までは処女」にかわって、新しい神話になっていった様子です。
やらはたの証言
では、90年代、「処女は恥ずかしい」の意味の「やらはた」は、女性たちにどのくらい浸透していたのでしょうか?
『大えっち for Women』(清水ちなみ)は、1994年に、平均年齢25歳の女性約4500人(既婚者含む)のOL層に、性についてさまざまな質問をしたデータ集。
これによると、
初体験の平均年齢は20歳
初体験が最も多いのは19歳、次いで20歳、18歳
21歳になるとがくっと下がる。
初体験の時の個人的感想から、「やらはた」感覚がうかがえます。
・21歳で経験した女性「重荷が下りてほっとした」
・23歳「私の年が年なんで、絶対この機会に捨ててやる、と思った」
・24歳「24歳で処女もなんだから、ここらへんでイッパツやっとくか、と思った」
・32歳「(これまで)処女じゃないフリがつらかった」
(以上は、酒井順子『処女の道程』新潮社 2021年「処女の価値、ストップ安の時代」より)
もう1冊、『だれでも一度は、処女だった。』(千木良悠子・辛酸なめ子/2009年刊)は、10~70代までの女性に「処女喪失」について聞くインタビュー集です。
(中学生も読めるという本で、私・可憐の住む市の図書館にあります)
以下は抜粋。
こうして振り返ると、「処女は恥ずかしい」というより、明らかに「みんな経験してるのに、自分だけしてないのは恥ずかしい」という、あせりや不安が見てとれます。
日本は「恥の文化」があるといわれます。
令和の今とちがって、以前の学校教育は「個性」を尊重するよりも、「平均的な良い子」を育てようとする、型にはめるような傾向がありました。
そして、「みんな同じ、みんなと一緒」が尊ばれ、「同調圧力(ピアプレッシャー)」も強い。
インタビューでは、「拍子抜けだった」「こんなものかと思った」「思い出したくない」という感想を述べる人が何人もいます。
では、90年代から2000年代の「やらはた」現象って、いったいなんだったのでしょう?
処女って、そんなに早く捨てなくてはいけないものなのでしょうか?
なんで「やらはた」は恥ずかしいのでしょうか?
最後に、同じ本にある「専門家にインタビューするコラム」より、産婦人科医の先生の話を引用して、今回は締めたいと思います。
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さて、長くなりましたので、今回はここまで。
1990年代を振り返りました。
次は、なぜ90年代に女子中高生が援助交際をしたのか? その理由を、母親との関係から見ていきます。
つづきはコチラ
●参考文献
酒井順子『処女の道程』新潮社 2021年
千木良悠子・辛酸なめ子『だれでも一度は、処女だった。』理論社 2009年
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龍泉寺可憐|40代で「彼氏いない歴=年齢」&「おひとりさま」の占い師(占いカウンセラー)
新卒で出版社に勤務
親の介護&コロナで働けなくなってから派遣で図書館に勤務
ライターとしても活動
電話占い師として1年で老若男女のべ750人鑑定
現在、占いカウンセラーとして「彼氏いない歴=年齢」・「おひとりさま」の女性のお悩み相談に乗ってます
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