人間が人形になっていく
伸びきってしまったところでもなく
縮んだところでもなく
その途中に腕はあるのだと
先生が教えてくださった。
動作の終着点ではなく
途中にいるのだと
先生は教えてくださった。
途中にいると、重心のある場所が変わる。
自分が一番重たい場所なんじゃなくて
自分の前の空間が一番重たくなる。
自分から重さが抜ける。
(でもお客さんから見たら、こっちの方が存在感という重さを感じると思う)
自分から重さが抜けると、人形になっていくみたいに見える。
悪い例えで使われる、魂の抜けた操り人形じゃなくて
人間に負けない表現力を発揮している時の人形みたいに見えるんだ。
私は、人形劇は人間劇の劣化版じゃないと思っている。
人形でしか表現できない世界があると思っている。
でも、それが何なのかは まだわからない。
能の先生の動きを見ていると、
人間が人形になっていくように見えるんだ。
人形劇は、人形が人間になろうとしていくんだけど
能は、人間が人形になろうとしていく営みに見える。
能も人形劇も、人間と人形の途中のところにいるのかもしれない。
私が居たいのは ここなのかな?
私の目には人形の動きに見える能の先生の所作を
見ながら、そんなことを思った。