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よーい!どん!!



「俺、国立大学をめざすわ」

小学6年生の夏休みに、彼にそう告げられた。彼とは何を隠そう、私の息子だ。

「え…」

一瞬、戸惑ったが、

「どうして国立大学を目指すの?」

と、彼に問いかけた。

「だって、私立大学の1/4で学費が済むんでしょ。テストで点取れば入れるんでしょ?」




2020年12月。
私は12年間連れ添った主人と離婚した。


元々、メンタルの病気持ちだった私を優しく受け入れてくれた主人。

付き合っている段階で、子供を授かり、
生むか生まないか悩んでいる私に向かって

「生みなよ」

躊躇なく言ってくれた。

涙が溢れて…溢れて…

こんな私でも奥さんにしてくれて、母親にまでしてくれるなんて…と、結婚するのは自然な流れだった。



けれど。

時が経つにつれて、
ワンオペ育児は当たり前。家事は全て私任せ。
目に見えない圧力と、「こうでなければならない。」が、日に日に増し、



「人間失格の烙印を押されたお前にとやかく言われたくない。」



とまで言い放たれるまで、彼は変わってしまった。

いや、それが、彼の持ち合わせた本来の姿だったのかもしれない。



離婚してから半年が過ぎた頃。私は、メンタルが崩壊して入院までしてしまった。





三週間ぶりに家に帰ると、息子も娘も大人っぽくなっていた。


息子は、私の兄のように、いや、父親かのように、

「お薬ちゃんと飲んだ?」

が、口癖になっていて、

「ママ、もう寝るよ。寝ないと駄目だよ。」


と、私の病気が眠らないと発作が起きるのを
スマホで調べて理解していた。


飲んでいる薬の検索履歴があって、もう既に、私の病名までお見通しの様だ。




入院した挙げ句、私は会社を8月末で退社した。

退社を決めたのにはちゃんと理由があった。



『介護美容業界で独立する』




ただそれは、自分ひとりで決めた事で、息子や娘、母にもちゃんとした考えやビションを説明しなかった。


「俺、国立大学を目指すわ」



そう言われた時に、

私が今考えている『介護美容業界』の話や
将来的に独立して、地域や施設での勉強会や、そこだけに拘らずに、各地で講演会をしたい。

そう、彼に告げた。


「じゃあ、お互い頑張ろうね」


と言って、ちょっとフザケた照れた笑顔に、こちらも


「だね」


って、返したけど。


内心、胸の中で涙の洪水が起きていて、ぐちゃぐちゃに嬉しくて、

「頑張ろう。」と


私はこころの中で静かに覚悟を決めたのだった。



彼は彼なりに、私の事を気遣いながらも、自分の置かれた立場で、最高のパフォーマンスが出来るようになりたいと考えている。


若干12歳。されど12歳。



私は、30歳年下の彼から励まされ、刺激され、
自分の人生の指針も固まった。


負けていられない。

どちらが先に夢を叶えるのか。



よーい!どん!


の合図が聞こえた夏の夜だった。




『一緒に夢を叶えようね。』





北千住 美穂

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