事故照会
京都生まれ大阪仕込みの在日韓国人三世(46ぐらいで帰化。ルーキー日本人)。男尊女卑の一族から逃れる為、19で家を飛び出し、京都の山奥(北山)でバブル時代の恩恵を一切受けずデザイナーとして修行する事6年。社長のパワハラに耐えかね大阪へ逃避。大阪で3社掛け持ちで仕事を小茄子。ワーカーホリックで右中耳の神経に帯状疱疹を勃発させ、右耳が聞こえない・右顔麻痺の後遺症を持つ。
当時の彼氏と結婚できないと分かるや否や、東京に上京する話が転がり込み乗っかる。が、半年も経たない内に会社が東京撤退。自分で営業して摂ってきたお客さん達に励まされフリーを開始(当時30)。仕事や映画鑑賞、バンド活動に明け暮れた恵まれた日々を送り結婚を果たす。が、急な異変を感じ指摘されはじめ、過労と軽視していたがアルツハイマーと診断される。
もう長年培った仕事はできない。死ぬんだと自暴自棄に成った頃、登録販売者資格が施行されたのに乗っかる(子供の頃薬剤師に憧れた)。が、半年待ちの脳内科の権威に見てもらうと「アルツハイマーじゃねーよ」と言われ、じゃ何やねん!と悶々とした日々が続く中、元旦那が調べADHDの突発的な悪化と診断される。
障害を隠しながらドラッグストアや調剤薬局、クリニックの事務や受付を転々とし、漢方の世界にも足を突っ込むも「記憶障害が有るのに命に関わる仕事をするな」と、会社側にバレてクビになる。
後に、未経験可の時計修理士募集の記事が目に留まる(その時43)。研修を終えると修理とは名ばかりで、電池交換と修理受付として従事。不服を募らせ上司に食ってかかり辞めて別の時計修理店を探す傍「修理の勉強させてもらえるなら印刷物何でも作ります」と片っ端からメールを送りつけ自分を売り込む。幸運?な事にスイスのWOSTEPの先生資格を日本人で初めて摂った特異な人物に出会うも、彼と対人トラブルを起こす。後に彼のバディで有る人を師匠とし茨城で修行をするも、スキルを上げる毎に遠のく師匠との出来高の差に挫けて東京へ戻る。
時計修理士としての仕事で必要な工具に大金をつぎ込み、申し訳なくも恥知らずにも、デザイナーとして再出発をきる。が、やはり人とモメ事を起こし、勤めては辞めを繰り返す内、「キャラ的に雇えないけどフリーなら使う」という面接の返事を何社か頂き、フリーランスでやってこうと誓うも、客様相手に失言の連打。そして、やはり戦友は欲しい。
死ぬ迄働く気だが、どこかに3年は勤めてみたい。いや、定年迄(っても10年もないが)とか人生で経験してみたい。と、現在自分に足りないスキルと知識と抑止力などを強化する為、日々、生きにくい自分を反省しながら人生120歳計画を立てている。