【466日目】人間なんだから当たり前のこと

こんばんは。

昨日の研修会には車椅子ユーザーの方が講師として登壇されておりました。

気持ちいいこと

その方はYouTuberとしての活動もしつつ、学校を中心にご自身の経験を子ども達に伝える活動もされているとのことです。

その意図としては子供の頃から車椅子の人に触れることで、その子が将来大きくなった時に少しでも車椅子ユーザー目線で物事を考えられるようになって欲しいとの想いから。

例えば、講演を聞いた子が将来飲食店を開くとなったときにスロープを設置したり、車椅子が通れるスペースやトイレを確保したり、そういった心配りが出来るようになってくれたら最高だと話していました。

この話に僕は非常に共感しました。

車椅子に限らず、老化や死ぬこと、認知症になること、先天性の疾患があること、精神疾患のこと、難病のこと、発達障害のこと、LGBTとかヤングケアラーとかも。

どれも蛇口を捻れば出てくる水道水のように身の回りに当たり前のように存在していないから、いざ直面すると困惑してしまいどう対応したらいいのか分からなくなっちゃう。

どれも人間なんだか当たり前のことのはずなのに。

車椅子ユーザーなど少数派の方々を暮らしにくくさせているのは、当事者の方に触れる経験や知識の乏しさから想像することができないことが一番の要因で、そういう大人が多い世の中になってしまっているから環境的なバリアフリーも心のバリアフリーもまだまだ整っていないんですよね。

それは押し付けるものでもないし、今の大人が全部悪いわけでもありませんので、批判ばかりしていてもあまり変わらないだろうし、気持ちよくありません。

一番気持ちいいのは、自然とそういうことが考えられる大人が増えること。

つまりは子供の頃から、自然とそういうものに触れられる環境があること。

社会的公正な世の中を考える意味でも、一番大切な視点だと思います。

やっぱり子供なんですね。

頑張らなくても生きられる時代

大昔は生きるためにその日の食べ物を確保することに必死だったそうな。

それから農業革命とか産業革命があって、だんだん生きることが頑張らなくても出来るようになって、情報革命によって情報が民主化されたおかげで格差が減って生活の豊かさが増したのが今の時代。

格差が減ったとはいえ上層と下層の貧困の格差は広がっていたり、今までは無縁だったストレスが増えたり、回転寿司屋さんでの悪戯のように知りたくもない情報が目や耳に勝手に入ってきてしまうこと増えておりますが。

ただ、そういった生きることに必死にならなくて済む人たちが増えた時代だから、ようやく少数派だった人達に配慮する余裕も生まれてきている時代とも言えます。

SDGsといった世界的な取り組みの後押しもあって、『障害のある人』に触れるハードルは低くなってきているんでしょうね。

こんな時代の過渡期に福祉・医療の職種に就けていることは幸せなことだと思います。

情けないのは僕個人の行動が伴っていないこと、力が至らないこと。

その辺はがんばるしかありません。

昨日の研修会での一番の気づきは社会的公正の世の中のためには、子供との関わりが欠かせないということ。

と、ついでに作業的公正の世の中のためにも、同じように子供との関わりが重要であることを再認識しました。

ヨボヨボのおじいさんになった時にジャンプする方法は、やっぱりそこにありそう。

同じようなことを車椅子ユーザーの方も考えていたこと、行動していることはとっても励みになりました。


本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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それでは、また明日。

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