ママはコツコツママ
私がまだ保育園に通っていたころ、私は母のことを「コツコツママ」と呼んでいた。
「コツコツ」というのは、「物事を継続して行う」意味の「コツコツ」ではない。そうではなくて、ヒールの音である。母はヒールを「コツコツ」言わせながら私を保育園まで迎えに来て、そしてマンションの階段をヒールを「コツコツ」言わせながらふたりでのぼった。もちろん保育園児の私の靴は音をたてない。だからこそ、母のヒールの音が印象的で、「コツコツママ」なんて呼びたくなったのかもしれない。
そんな私も保育園児から大人になり、母と同じ教職に就いた。そして考えたことがある。私はヒールを履いて出勤しない。ちょっと高さのある靴すらも履かない。なぜかというと、学校というのは駅から離れているところも多く、15分から20分は歩かなければならないからだ。学校では他の靴に履き替える場合も多く、お客さんに会うわけでもなし、ヒールを履く理由があまりないと考える。だからこそ、できる限りフラットな靴を選ぶ。学校が許すのであれば、スニーカーを選ぶだろう。その方が疲労も少ない。
だが母は、ヒールを履いていた。私と同じ学校の先生のはずなのに、ヒールを履いて出勤していた。子どもが保育園で待っているのだから、フラットな靴で走って迎えに来てよ、と思うが、車で迎えに来ていたこともあり、ヒールでよかったのだろう。だけど、やはり母の迎えが遅い日もなかったわけではない。他の子たちのおむかえが来て帰っていくなかで、ずーっと母の迎えを待ちわびていた記憶もある。一定の時間になると、他にも数人おむかえ待ちの子たちが、年齢関係なくひとつの部屋に入れられておうちの人が来るのを待つ。その部屋に入れられると、子どもながらになんとも言えない気持ちになって、「今日はお母さん仕事忙しいのかなあ」とか、一方で「保育園に長くいれてうれしいな」とか、色々な気持ちがせめぎ合うなかで母の迎えを待ったものである。そうしているうちに母のヒールの音が聞こえると、「やっとお母さん来てくれた」とほっとし、車に乗ってマンションに帰り、階段を駆け上がって、家へと急いだ。
とにかく母の仕事は忙しかった。私が小学生になっても、参観には出勤した姿で訪れた。来てくれたならまだいい方で、来れないこともしょっちゅうだった。私は母が仕事をしているというのをわかっているつもりだったが、やはり子どもながらにさみしさがあった。他の友達のお母さんはおうちにいて、おうちに遊びに行ったらお母さんがいるし、参観にも来てくれるのに、うちはそうじゃない。私は誰もいない家に帰って、母の足音を待っている。
高校の三年生になったときには、私の卒業式に来てくれるの?という私の問いに対して、「高校の卒業式?なんでそんなもん行かなあかんの!」という言葉が返ってきた。母は私の高校の行事には一回も参加しなかったし、もちろん卒業式にも来なかった。
そのようにして、母の仕事によって、私は子ども時代に寂しい思いをしたことも多くあった。母の仕事に対してよくない思いを抱いたこともあった。だけどいま、母と同じ仕事をして思う。教師という激務をこなしながら、子どもを育てるというのは大変なことだ。教師じゃなくたって、仕事をしながら子育てをすることは並大抵のことではない。少なくとも、母はいつもヒールで走って迎えに来てくれていた。ヒールで学校へ出勤するというのも、自分がしないからこそ、母の仕事に対する姿勢を表しているようでかっこいいと思う。
ところで、私の高校の卒業式に来なかった母は、私にずっと嫌味を言われ続けた結果、仕事の合間をぬって、ちゃんと弟の高校の卒業式には行っていた。私の大学の卒業式にも来てくれた。
そんな母ももうすぐ定年を迎える。それまで、コツコツと、仕事を続けるのだろう。
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