全部が全部環境や社会のせいでないが、かといって全部が全部個人のせいでもなかった、という事なのかもしれない。 全部が全部個人のせいだ!という方向に振り切れて、色々な悲劇が生まれてしまったように思う。
「自分が見たいものを見るのではなく、 見なくてはならないものを見るのよ。」 〜色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年〜 そんな星の下に生まれついているらしい。仕方あるまいよ。
自分のために何かしてくれようとした人には感謝しかない 自分のほうのキャパが狭すぎてお別れしたりされたりだったけど
拒食症にかかって垂れ下がった乳房、垂れ下がった腹の肉 ぼくが見たのは普通の人が一生見ることはないであろう苦すぎるリアルだった
ビーチサンダルでチャリンコ乗ってプールに行ったあとサイダー味のアイス食ってた夏に戻してくんねぇか
おっ母さんは戦争、高度経済成長、バブルの崩壊、2〜30年続く低迷、東日本大震災、コロナ、、、 何を見てきたんだろ
これ以上生きてもたいしていいこともないだろうな 小さい頃に植えつけられた幸せの価値観も幻想なんだろうし かといって、自分にはそうまでしてやりたい、みたいな事もないし、ふつう以下でも等身大に生きていくしかないのだろうけど
セーフティネットの破けた穴から銃声が聞こえましたとさ めでたしめでたし
新自由主義とお布施という上納金とか 親和性があったんだろうねぇ アホらし
現実と折り合いがつかなかったり、とにかく嫌だったり、音楽や写真に逃げ込んで、借り物の幸せや充実感でやり過ごしていたけれど、普通の人が得るような幸せには最後まで手が届かなかったということなのだろう。 何度だって言う。
コンセント2つしかなく、夏場はコンセント扇風機で一個取られちゃうので、電気スタンドのを抜いて、真っ暗な中でCDウォークマンで聴いてる間に携帯の充電して今45パーセントなうだよクソったれ
ひとつの方向に偏りすぎて弊害が出てる 正しいことも捻じ曲げられる そこに疑問を持つものに議論の余地さえ与えられない 口を封じられる 圧倒的な力で 時には暴力で
フィルムのゆるゆるノスタルジィも飽きてきたからデジタルのカクカクピクセルカキ氷食べたい
今生で仲良くなった人は来世でも仲良くなるのかもしれない 仲良くなる人が始めて会ったのに懐かしい気がするのは前世で会ってたからなのかもしれない
Roseを聴くと啓さんのことを思い出す 自殺してしまった啓さんの同級生のぼくと同姓同名の少年が結びつけた縁だった 本当の話なら 啓さんはきっともう亡くなっているのだろう 啓さんなんて呼んだことないけど 来世でまた会いましょう
可哀想な我が人生よ 終わりはそう遠くないようにさえ思える昨今 自己憐憫? ポジティブになってなんかいいことあった? 俺は聞きたい