家の裏の奴
今回の話は僕の小学生の思い出エピソードである。短く終わると思っていたら意外と記憶は繋がっていて長くなってしまった。参加した合コンで負け戦が確定して暇を持て余している人に読んでもらいたい。ちなみに僕は合コンなんてものは経験したことがない。
小学校2年の時、転校生が来た。そいつは竹内(仮名)という名でひたすらに元気で愛想が良い奴だった。そいつは徳島県から僕の家の裏に引っ越してきた。僕の地元兵庫から考えたら淡路島を介して位置する近いお隣さんの徳島県なのだが、僕は当時とてつもなく遠い異国から来た転校生という認識だった。竹内とは家が真裏ということもあってすぐに仲良くなった。行き帰りも一緒に行動するし、帰り道は敢えてゆっくり歩き、一緒にいる時間を増やそうとした記憶もある。振り返ると一緒に笑い合って過ごした記憶しかない。
「公園で野良猫配ってた」と言って急に子猫を飼いだしたり、プロフィール帳(平成で流行った自己紹介帳)を女子がくれないから「もぅ自分たちで書こや」と言って男だけで公園で書いた。そのプロフ帳には自分の能力パラメーターを書くみたいなとこがあって、(現在だったら誰かが怒り出すような指標だが)そこに「イケメン度」とか「優しさ」とかのジャンルを自分たちで書いて、互いに褒め合って甘すぎる高い数値を書いた記憶がある。その後、書ききったプロフィール帳は正露丸のビンに詰めて近くの川に投げ入れた。何がしたかったのかは分からない。
ある土日の昼下がり、ウチの家に遊びに来たときに母親が弁当でも作ろうか?と提案してくれて竹内と二人で実家のガレージの押し入れの上で食べた。押し入れの上で食べる弁当は特別で、降り注ぐ日光も弁当の味付けとして一緒に食べれた気分だった。いつもは押し入れの上に登ると降りるように言う母親もその時は笑顔で僕らを眺めていた。母親が関西人らしく「お母さんとおばさん、どっちのお弁当が美味しい?」という意地悪極まりない質問をすると竹内は恥ずかしそうに「お母さん、、、」と答えていた。幸せな瞬間ではあるが、まだ低学年の僕は自分の母親が負けて少し鼻の奥がツンとした。
当時僕らの地域で「デゥエルマスターズ」というカードゲームが流行っていて、少し散歩すれば子供たちの「ドロー!」、「シールドにアタック!」という言葉が耳に入ってくるほどに流行っていた。僕らもその当事者でよく2人で戦っていた。その日は竹内の家の前のアスファルトに座り込んで地べたでカードゲームを楽しんでいた。そういや竹内家に僕は一度も入れてもらったことはない。僕らがカードゲームをしている最中、竹内が引き取った猫がその辺を歩き回っていた。猫の名前は忘れたが、バトルゾーンに猫がお座りしたときには「〇〇を召喚!」なんて言って大笑いした。その猫がそろそろ試合が決着する良いタイミングで前触れなくおしっこをし出した。
「うわぁ~!」
叫びながらカードを急いで避難させたけど、何枚かはおしっこの餌食になった。猫は悪いことした自覚もなく、てくてくとまたどこかへ歩き出した。
「めっちゃええとこやったのに!」
「おしっこかかってもたわ~」
僕らは予想だにしない中断で、さっきまで真剣に戦ってたのにアスファルトに胡坐をかいてケラケラ一緒に笑ってた。
竹内は両親が喧嘩したとかでウチを尋ねる事があった。親が喧嘩することで子供が友達の家に逃げてくるということが僕の家庭環境からはあまり考えることができず、ビックリした記憶がある。
「お父さん、お母さんなんで喧嘩したん?」
とかは聞かない方が良いのだろうなと子供ながらに感じられて喉元で質問をグッと堪えた。その日はいつももらっている愛想を返すようにより健気に接した記憶がある。それは僕が人生で初めて味わった触れられない他人の何かだった。
竹内は4年生の時に転校した。2年しか一緒に過ごすことは出来なかった。短すぎて寂しさも噛み締められない2年間だった。竹内が転校した後、竹内の家の前を通ると入ったことない家が嘘みたいに空っぽに見えた。転校の別れもちゃんとできた記憶はない。
もし僕が合コンに行ったとして誰かに「世界中の誰にでも会えるとしたら誰と会いたい?」とおもんない質問をされた時は即答で「竹内かな」と、もっとおもんない回答をしてやろうと思っている。