かぼちゃ

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劣化してしまったのか、三条高校

本日、2022年12月19日、新潟県は大雪です。大雪の際の指示事項が三条高校から出ていますが、正直なところ力が抜けました。 何ですかこれは!「天候不順にかこつけてサボったら欠席にするぞ!」というのが、この文書の趣旨ですね。なんともはや、劣化してますね。 同様の文書が長岡高校からも出ています。 こちらは、ごく常識的な内容で、なんの違和感もありません。安全第一で行動して、連絡は不要(交通状況などは学校でも把握してる!)。 両校の格の違いがはっきりしているような文書ですね。

    • 東京工業大学の「女子枠」設置

      東京工業大学が、2022.11.10に、 「東京工業大学は、2024(令和6)年4月入学の学士課程入試から、総合型選抜および学校推薦型選抜において女性を対象とした「女子枠」を導入します。」 と発表しました。 https://www.titech.ac.jp/news/2022/065237 世上、賛否両論いろいろあるようです。 東工大のプレスリリースには「ダイバーシティ&インクルージョンの推進」というキーワードが掲げられていますが、プレスリリースでは表明されなかった東工大

      • 中学校成績の絶対評価、なんなのかね

        絶対評価のやり方である「目標に対する達成度合いで評点を付ける」というのは、まあ正しい考えであるとは思いますが、この「目標」が曲者です。 学習指導要領では、「関心・意欲・態度」「思考・判断・表現」「技能」「知識・理解」の4つの観点を評価するとしています。 ところで「関心・意欲・態度」をどうやって定量化して達成度を評価するのですか?授業中に生徒と目があったら頷いたので、その生徒は「関心あり」ですかね。ノートがカラフルで綺麗だから「意欲アリ」でしょうか。 親は子供に、「先生と目

        • 松山正男先生の英語授業

          昔話です。 大学1年の一般教養の英語の講義が松山先生でした。松山先生は、ラジオの大学受験講座で、当時の大学受験生には超有名人。 LL教室(死語でしょうか。Language Laboratory)での授業でしたが、課題に、Billy Joelの『The Stranger』とThe Beatlesの『Yellow Submarine』の聴きとり(歌詞起こし)がありました。 家で聴きとってきて、授業中に歌唱を発表すると、先着順で単位がGetできるという特典付き! 今ならググって終わ

        劣化してしまったのか、三条高校

          三条高校に理数科を作る話があるそうですね

          滝沢三条市長のnoteで知りました。 彼は三条高校-一橋法という経歴ですから、現在の三条高校で進学・合格実績が上がらない理由などは、本人の実感として十分承知なのではなかろうかと思います。 取りうる選択肢の中で、先行事例があって、実現可能性が一番高いのが「理数科設置」なのだろうと思います。 進学・合格実績を上げるには、一にどれくらい優秀な生徒を集めることが出来るかにかかっています。 高校に入ってからの教育・授業の効果ももちろんあるでしょうが、医学部や難関大学に合格するような生

          三条高校に理数科を作る話があるそうですね

          風空嚢考(3)

          作詞者の平野は、ノンキャリアながら多くの資格試験を突破して、小学校、中学校、師範学校の教諭の職を得ています。彼は単に「職を得た」というようなことではなく、高田師範で三十数年勤務し、退職後には一教諭であるにも拘らず、同窓会により銅像が建てられています。大変優れた教育者であったことが伺えます。このあたりの状況は、上越教育大学の槇田先生の資料に詳しいです。 上越教育大学リポジトリ (nii.ac.jp) 平野のキャリアでわかるように、彼は中学校-旧制高校-帝国大学といったエリート

          風空嚢考(3)

          風空嚢考(2)

          三条中学校校歌の作詞者である平野秀吉は、1873年(明治6年)生まれ。14歳小学校卒業後(もしかすると卒業前から)に「授業生」として教員生活をスタートしています。授業生というのは、当時の教員不足を背景にした無資格臨時教員(代用教員)で、平野は、教員生活を自分の母校で後輩の小学生を教えることから始めています。 14歳(の子供?)が小学校で教えるというのは、今の感覚だとすごく驚くようなことです。当時、こういったことが当たり前だったのかどうかは分かりませんが、その後の平野のキャリ

          風空嚢考(2)

          風空嚢考(1)

          旧制新潟県立三条中学校(現三条高校)は1902年(明治35年)に県立新潟中学校・三条分校として創立し、1904年に三条中学校となりました。 その後、1905年には校歌が制定され、現在も三条高校の校歌として歌い継がれています。 歌詞の1番は以下のとおりです。当時の旧制中学校の校歌は皆こんな感じかもしれませんが、漢字の多い難解な歌詞です。  風空嚢を翻し    説は愚人を驚かす  只行ふに敏なれや  守門沈黙五千尺  内に積れる徳あれば 見よ衆嶽の宗となる (平野 秀吉 作詞)

          風空嚢考(1)