寄り添うということ
2024年10月23日 東京基督教大学
卒業予定者チャペルでの講演内容(20分)
1. ヨハネの福音書第8章
(1) 「あなたがたの中で、罪の無いものが、まずこの人に石を投げなさい」
ヨハネの福音書に出てくる有名な言葉です。メッセージを通じて、このお話は、何度も聞かれたことがあるでしょう。誰もが、自分の胸に手をあて、果たして私は罪の無いものだろうか、いや、罪深い者であり、悔い改めねばならぬ、と。
(2) このシーンの登場人物を思い出してみましょう。まず、イエス様と、人々です。石を手に持って、あるいは石を投げようとしている人々です。場所は宮です。本当に大勢の人がいたことでしょう。ここに、もう一人登場人物がいます。連れてこられた女です。真ん中にいる女です。姦淫の場から連れてこられた女です。
(3) 彼女にとっては、いきなりの出来事だったのかもしれません。自分が一緒にその場にいた人とは別の人が現れ、自分だけ連れ去られました。そして、自分を連れ出したのは、律法学者であり、パリサイ人でした。律法学者は偉い人です。パリサイ人は怖い人です。どうして、どうしてどうして私だけ?と抵抗したのかもしれません。だけど、お前は悪いことをしたと言われたのでしょう。もしかしたら、黙れ、とも言われたかもしれません。
(4) そうか、私の言葉は聞いてもらえない。私の事情は考えてもらえない。頭から否定されてしまう。そして、宮に連れて行くと言われました。そうか、みなの前に、これから自分は引きずり出されるのか。そんな恥ずかしいこと耐えられない。何を言われてしまうのだろう。どんな顔をしていればいいのだろう。石打ちの刑になると言われた。どうして?どうして、私がそんな目にあうのだろう。貧しく生まれたことが私の責任なのか、他に出来る事がなく、この職業についてしまったことが私の責任なのか、じゃあ、他にどうすれば良かったのか。この間にも私の言葉は聞いてもらえない。引っ張られていく。
(5) そうか、ここが宮か。どうしてこんなに多くの人がいるのだろう。顔を上げることも出来ない。みんなが私をじろじろと見る。男達が私に向かって怒鳴っている。私はみんなの嘲笑の的だ。下卑た声が聞こえる。さっきの怖かった人が何か言っている、「石打ちにするように命じています」か。そうか、今日、ここなんだ。ここで終わりなんだ。私はどうせ、こんな存在なのだろう。石は痛いのだろうか。すぐ終わるのだろうか。みじめだ。消えてなくなりたい。もう早く終わって欲しい。
(6)
どうして。石が飛んでこない。静かになっている。でも、人は大勢いるみたいだ。丸く小さく震えている私の周りに人はいる。はあはあ、みなが息をしている声は聞こえる。だけど、石は飛んでこない。痛くない。何が起こっているのだろう。石で終わるならば、もう早くして欲しい。これ以上、いたぶられたくない。
震えて鋭くなった私の耳に、足音が一つ聞こえる。小さくなっていく足音が聞こえる。もう一つ足音が聞こえる。その足音も小さくなっていく。石を投げる指示は、さっきの怖い人達の誰が出すのだろう?なぜ、指示を出しちゃわないのだろう。ああ、もう気が狂う。
また、足音が聞こえる。遠ざかっている?石は一斉に投げられるのだろうか?どれだけ痛いのだろうか?あまり苦しみたくない。
でも、どうして、石は投げられないのだろう?また、足音が幾つか聞こえる。何だか周囲の圧迫が減っている気がする。何が起きているのだろう?何の声もしない。
すぐ側に誰かがいる。その人からは穏やかな様子が伝わってくる。
まだ、石は投げられない。この穏やかな人は誰なのだろう?
また遠ざかる足音がする。もしかして、あれだけ大勢いた人は、減ったのだろうか?どうして?そして、この穏やかな人は何をしているのだろう?考えてみたら、この人はずっとここにいたのかもしれない。何か、地面に書いている。もしかしたら、石は投げられないのだろうか?なぜ?自分は、いてもいいの?でも怖くて顔は上げられない。
結局、石は投げられてこない。もう人々はいないの?気配がぱったりと無くなった。この人は誰なのだろう?ずっと私のそばに、ただいてくれた。
(7) 「女の人よ、彼らはどこにいますか?」
えっ。ここにいるんじゃないの?穏やかな声だった。顔を上げてみた。顔を上げてまわりを見ることが出来た。
誰もいない。あの怖かった人達、あの大勢いた人達が誰もいない。
あの穏やかな声が続く。「だれもあなたにさばきを下さなかったのですか?」
そうか、私は死ななかったのか。私はさばかれなかったのか。だとすると、この人が、あの主なのか。
(8) 「はい、主よ誰も」。そうか私は主にさばかれるのか。
「わたしもあなたにさばきを下さない」
さばきを下さない?そうか、私は許されるのか。もう一度、歩き出しても良いのか。この永遠に思えた時間の間、私のそばに、私の内に、いてくださった主を信じて、もう一度、歩き出しても良いのか。
2. 裁く側だった私から見えていなかったこと
(1) 少し、昔話をしましょう。私は、今、53歳です。社会人人生60年の丁度、半分少しを過ぎたところでしょうか。私の学生生活は順調そのものでした。明らかに日本最高の学校の灘で6年間を過ごし、センター試験もほぼ満点で東京大学に合格し、自治団体の長を務めたり、幾つもの勉強会を主催したり、脚本を書いたりした充実した大学生活を送りました。社会人になりボストンコンサルティンググループ、BCGというプロの集団に加えてもらえました。BCGに入ったら最高の評価が続き、3年たったら給与も3倍になっていました。色々とあったけど、BCGの当時の東京の代表達と新しいベンチャーインキュベーションを行う会社を立ち上げ、その会社は2年半で上場をして、私が出資をしたお金は30倍になりました。そして、そのお金で、自分自身の会社を立ち上げ、その会社は一年半で上場をし、私が出資をしたお金は500倍になりました。ピカピカの若手の大成功者ですね。頭はいいし、仕事は出来るし、尊敬されているし。リーマンショックが起こるまでの私は、触れるものが全て金に変わったというギリシアのミダス王のような存在でした。
(2) この、私が創業した会社は、今、皆さんが普通に使っている賃貸住宅入居時の保証という仕組みを最初に作った会社です。当時は、連帯保証人という形しか無かったのです。そこに新しい仕組みを始め、あっという間に世の中を塗り替え始めた事業でした。3-4年経過したときには、数百万件の契約を持っていたかな。賃貸住宅を通じて数百万世帯の生活に関わる、社会のインフラ、社会の一部になるということは、社会のいわゆる裏面をのぞく、ということも意味します。家賃をずっと滞納されている方々は、どこかで払える家賃のところに住み直して生活を立て直していかなければなりません。私は、毎月毎月、数十件の夜逃げ、百件以上の立ち退きの報告書を読んでいました。夜逃げの報告書を読む、残された家具などの報告書を読む。そこには生活があり、苦しみがあります。すぐに方針を変えました。もう住めないとなったら、積極的に新しい保証を与えて、より安い家賃への引っ越しを支援したのです。同じ文脈で、DVで家を逃げてきた女性の方の入居支援も行いました。どんどん行いました。路上で生活をしていた方が、もう一度、家を借りて再度、始めたいという時の保証も組織的に引き受けました。当時の私は、社会のインフラとして、そして明確に社会変革のために自分が出来る事の戦いとして、こういった住むところを得ることを積極的に支援することを行っていました。そして、DVの支援を行う団体、路上生活者の支援を行う団体への資金面の支援も大規模に行っていました。でも、この時の私は、まだ理解が浅かったのです。
(3) 先日、大阪市役所の生活保護に関わる部署の方と会いました。生活保護に関わる議論の中で、ある方の話をしてくださいました。その方はDVから逃げだされ、どこに相談をしたら良いかわからず大阪市役所に電話をされたそうです。何度も迷って、電話をされ、そして生活保護の説明をして、でも迷われ、電話をされ、迷われ、電話をされ、そして生活保護を受けたそうです。その過程で、市役所側の担当者が信頼を得たのでしょうか。その後も、何度も電話がかかってきたと言っていました。不安なんですよ、何度もくじけそうになるんですよ、だけど、話を出来る相手もいないから、市役所にかけてくるんですよ、と。
その話をしていて気が付きました。
ああ、自分は足りなかった。あの時、自分がしていたのは、きっかけを与える事だけだった。エリートの発想を超えれていなかった。それだけでは不十分だ。その後、そばにいる、い続ける、という事が必要なのだった。イエス様はどうされたでしょうか。
イエス様ならば、罪のないものが石を投げなさい、と言って、その場で集まった人たちを見つめ、その場で皆を立ち去らせ、それで終わりにすることも出来たはずです。だけど、イエス様がされたのは、身をかがめ、女のそばにいるという事でした。
(4) 大学の頃に、身障者の介護にかなりの時間を使っていました。石田さんという方で、ほぼ全身が動かない方でした。当時は介護保険など無かった時代です。ボランティアで介護をするしかありませんでした。そうすると、介護をする人が足りないのです。石田さんのところに行くと、まずは電話をかけ「○○君きてくれよー、死んじゃうよー」と石田さんが言って、介護の当番表を埋めていく。それが終わったら、夕ご飯を石田さんと一緒に食べて、テレビを見る。朝が来たら、朝ごはんを食べてバイバイ、と帰っていく。考えてみれば、単に石田さんが生活をする、そこにいただけでした。でも、石田さん、介護の順番が埋まって、ほっとしたら一緒にテレビを見て、良く笑っていたなあと思いだします。
イエス様が示して下さったのは、そして欠かせないのは、そばにいる、その人の内にいるという事なのです。
3. 教会と社会
(1) 私が今、書いている論文の中心命題は、「なぜ日本では1970年代に、キリスト教の信者の伸びが止まったのか」というものです。1970年頃に何があったのでしょうか。社会派、教会派という対立がありました。政治の変革を通じて教会を問い直そうとする考えと、政治的なものを拒否し、教会を保とうという考え方の対立です。東京神学大学に機動隊が入ったこともありました。この対立構造は日本基督教教団のものだと思われていますが、私から見ると、決してそうではなく、福音派もこの対立構造から逃れられていない、ということも論文には書こうとしています。
(2) そして、この対立概念を乗り越えるものとして、四セクター論というものを発展させて提示をしようとしています。根本にある考えは、教会が社会を変えるのではなく、教会が社会から離れるのでもなく、社会の他の方々と関わりながら、協力しあいながら、公共の場でイエス様を証していく、という考え方です。
(3) 社会の様々な方々と関わり合いながら、教会共同体がイエス様を証し、そして結果として福音に関心を持つ人々が増えていくならば、それは何と素晴らしいことでしょうか。そして、その寄り添っていく、それは神の国の広がりに繋がっていくのではないでしょうか。
4. 大概念、中概念、小概念
(1) 一方で、現実には今の殆どの教会は小さく、苦しんでいます。新しいこと、他の方々との協力と言われても、一体、どうすれば良いのか悩むでしょう。どちらに踏み出せば良いのかわからないでしょう。大阪市役所の方と話をしていた時に、そういった寄り添う存在として、クリスチャンは、そして教会はあり得る、と主張をしました。そうしたら言われたのが、そういえば通勤の道で建物は見たことがある、でも誰がいるのかも知らないし、何をしているのかもしらない、という言葉です
(2) ではどうすれば良いのか。
どういった一歩を踏み出せばよいのかを示すということは、自分が最初に寄り添う事が出来る隣人は誰なのか、という事を考えるという事だと考えます。
去年、出版をさせて頂いた本の中で、この四セクター論に基づく緒論と事例を数個、書かせていただきました。人は、何かしら参考になるものがあれば、最初の第一歩を踏み出しやすくなります。
(3) 博士号をとったら、福音伝道に100%の時間を使おうと思って、2年前から自分がやっていた事業を売却してきました。そして、今の世の中で何が起きているのかを現場で把握をしたいと思い、大企業向けのコンサルティングを再開しました。そういった中で、そうか、「隣人」はこんなところにいるのだ、と気づいた事例を紹介させてください。
日本を代表する通信会社の海外でのM&Aの案件を手掛けました。その会社は人事改革で日本の先頭を走っており、ホワイト企業の代表格です。でも、海外M&Aといった難易度の高い仕事を手掛けると、年齢が上の人よりも今どきの若い人の方が仕事が出来たりします。そして、ホワイト企業では、そのままの評価を360度評価、若手抜擢という形で、皆の目に見えるようになってしまいます。あるマネジャーは、ストレスに悩まれ、産業医に足しげく通うようになりました。50代になり、まだ10年、15年、働かなければならない中で、この打ちのめされた中年に誰が寄り添えるでしょうか。5―6年ぐらい前に、「表彰台の降り方」というサイトを作ったことがあります。オリンピックでメダルをとったアスリートが、表彰台でのメダル授与を頂点として、その後のセカンドキャリアをどう過ごしたのかという取材を、100人連載する、というものでした。誰しもが、若いころに夢見ていたようなキャリアを描けるわけではありません。頂点の後、頂点を降りたからこそ豊かなその後の生活がある、その歩みに寄り添う事が出来れば素晴らしいですね。
がん領域で圧倒的な競争力を持つ日本の製薬会社の新規事業の構築を行っています。昔に比べたら、この会社の薬などの登場もあり、がんは治る病になり始めています。でも、がんの告知を受けるのは怖いです。告知を受けたら今度は治療方法の選択に悩まなければいけません。治療が始まったら、それまでの日常は無くなります。抗ガン剤の治療が始まったら、投薬と投薬の間は、本当はがんの事を忘れて日常に戻りたい。この会社の新規事業は、がんの告知を受けたところから、治療をして、日常生活に戻っていくところまでを、アプリ上で支援を行い、がんになっても尊厳をもって生活を送っていく支えになることを目指している事業です。でもアプリで出来る事には限界もあります。本当に不安な時に、そばにいてくれて祈ってくれる人をアプリから紹介してもらえる事は出来ないでしょうか?
ある電力会社のインフラ提供の拡大戦略を議論しました。田舎部に行くと、もう電車は廃止されていたりします。公共バスも赤字で廃止になっています。でも高齢者ばかり。自分の足ではスーパーまで、とてもじゃないけどいけません。何か移動手段が無いと生きていけません。国土交通省も、地方の交通がなくなっていく課題を何とかしようとおもっているけど、乗り合いタクシーでも採算があわないエリアが増えています。こういったエリアにある教会で車が出せないでしょうか?みんなを載せて、往復の間で、お話を聞いてあげるという事が出来ないでしょうか?
(4) 他にも色々と、教会が踏み出せる一歩目の方向性はあるでしょう。このような一般論過ぎず、かといって、How to でもない、複数の考え方で進む道を提示するのを、中概念でまとめるといいます。
私は学者でもなく、投資家でもなく、商売人でもありません。神様から頂いたタレントは、明確にストラテジスト、戦略家としてのタレントです。それも戦略家としては明らかに特別に優れたタレントを頂きました。コンサルティングのクライアントを見ていても、そうか自分のストラテジストとしての能力はここまで他と隔絶して恵まれているのだと実感します。
教会が共同体として、この世において神の国の拡大を進めていく、その中でストラテジストとして働きたいと考えています。
5. 歩んで欲しいこと
(1) イエス様、あなたは、ただ、そばにいてくださりました。もう一度、顔をあげる事が出来るまでそばにいてくださいました。震え、もう消えたい、もう嫌だと思っていた私が顔を再び上げることが出来るまで、そばにいてくださいました。そして仰ってくださいました。わたしもあなたにさばきを下さない、と。
(2) 我々は、再び社会の他の人と協力をしあいながら、そばにいて、そして伝えたい。イエスさまは私のそばにいてくださった、そして、あなたのそばにもイエスさまはいてくださり、だれもあなたをさばかないと。
(3) アーメン