ボスニア・ヘルツェゴヴィナで見た傷

クロアチアを旅したことがあります。夢みたいな旅。レンタカーを借りて、ブゥー、と。今から4年ぐらい前か。

最初はスロベニアのブレッド湖にいって、湖に浮かんでいる素晴らしい小さなお城。私がぼぉーとしている隣で、妻と子が、絵を書いていました。幸せな時間です。

それから、リエカの海沿いの素晴らしいホテルに泊まったり、ローマ皇帝ディオクレティアヌスの作ったスプリトの旧市街内に泊まったり。

幾つかの小さなビーチ沿いの街を見ながら、海岸で遊んだりしながら、ゆっくりと南下しました。ドゥブロブニクまで。

ドゥブロブニクは本当に美しかったです。紅の豚の舞台になりましたね。アドリア海の素晴らしい気候と美しさを堪能しました。ドゥブロブニクの旧市街のホテルに連泊して、地元の教会の礼拝に出たりもしました。旧ユーゴの何度もの紛争で、ドゥブロブニクも被害を受けたけど、それをどのようにして、修復し復活したかの解説板が幾つも誇らしげに立っていました。

そして、一日かけて、ドゥブロブニクから近くの街へ行った。クロアチアを出て、ボスニア・ヘルツェゴビナの街、モスタールへと。モスタールは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で18ヶ月の包囲戦を戦った街である。ムスリムが多かった街である。豊かなクロアチア側から、ボスニア・ヘルツェゴビナとの国境までは車ですぐ。ボスニア・ヘルツェゴビナに入ると、クリスチャンの村、ムスリムの村が交互に出てくる。どちらの村なのかを示す標識があり、はっきり分かるぐらいあっという間に寂れ始める。貧しい。

モスタール郊外も、まだ貧しい。そして、街に入るとクリスチャンかムスリムかを示す標識は無くなる。一緒に住んでいたのだろう。そして、街の中心部を取り巻く5階建てぐらいの、幾つもの集合住宅には、銃痕がそのまま残っていた。崩れかけて放棄されている建物もあった。

小さな川と綺麗な短い橋のある中心部は、ただ、そこだけは観光地になっていて、EUの色々な国からの観光客で賑わっていた。土産物屋も多くあった。奇妙な光景だった。

ドゥブロブニクへの戻りは少し遠回りをした。出てくる村々には、貧しいという表現では足りない。荒廃している、という表現の方がふさわしい。あれは自然豊かな光景ではない。力の無い雑木。ニワトリもいないとしか思えない納屋。放置されている建物。疲れ切った人。紛争が終わってから20年経過しているのに。薄暗いではない。薄汚い。

車の中での私と妻の会話も無くなった。

目の前に小さな山?尾根?が出てきた。それを登ったら、向こうに海が見えた。キラキラと輝く明るいアドリア海。そして、赤い可愛い屋根が並ぶアドリア海の真珠ドゥブロブニク。周囲に停泊をしている豪華なヨット達。私達が享受している豊かな先進国の日々が、そこにあった。

後ろを振り返る勇気は無かった。車は坂を下っていった。

お隣同士で、境界線を引くこともなく、混じり合って生きてきたのに。

そこまで大きな違いではなく、みんなで生きてきたのに。

占領でも、国土を取り戻すでもない解決策は無いのか。ウクライナとロシアのために、どのように祈ればいいのか。紛争を、戦争を終わらせて、国境線を引く、という事だけではない解決策は無いのか。

幾つもの街が壊滅をしてしまった。もう、戦争を終わらせるだけでは、駄目なところに来てしまった。

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