フレナイ
家の中にお招きしていない虫が歩いている。
前住んでいた家では気にしたことがなかったけれど、この家には各所スキマが多くあるようだ。毎日誰かしらに出くわす。
そんな変なところで季節感を味わいながら毎日を過ごしている。
最近、外の世界、いわゆる“社会”で生きることに順応し始めたのか、外に出ても具合が悪くなることがなくなった。これは素直に嬉しい出来事である。
電車移動から人の多いところへの出入り、そこに長時間いても大丈夫になった。
大切なのは、順応し始めた今もきっと
身体は少なからずストレスを感じているということをいつまでも忘れないこと、のように思う。
平気だけど、だからと言って無理は厳禁。自分を無意識に追い込まないようにしよう。そう思いながら生きている。
だいぶ甘いかもしれない。だけどわたしはこのくらい。きっとそう。
自分にも周りにもやさしく生きたい。
夏の暑さに負けそうな体力はさておき、心の元気がたくさん身体に溜まってくると
日々に余裕が出てきて、わたしの生活に欠かせないアレの存在が気になってきた。
そう!うつわ!!!
ご飯を作って食べる。それが大体の趣味であり生活の営みの大部分、みたいな人間なので、そこに付随するうつわに関しても わりとこだわりがある。
旅にホイホイ出られていた頃は、気に入ったうつわがあるとよく購入して帰った。
旅の思い出とともに日々を過ごす。(ご飯を食べる。)それが日々の最高の癒しなのである。
だが元々うつわは少ない数しか持っておらず、あろうことか旅に出られないこのご時世にそれらが寿命を迎え次々に壊れ始めた。ついでに一緒に暮らす仲間も増えたので、どうせなら ふたつずつ揃っていた方が配膳も見栄えも片ずけも楽だな、いいな、、、と思い始めた。
壊れにくい、洗うのが楽、大が小を兼ねまくる、というヤマザキ春のパンまつりのお皿(上の写真のお皿がそれである。)は、少し今の自分には物足りないものだと気づいてしまったのだ。もちろんこれからもそのお皿には時折お世話になるだろうけれど、今の自分にしっくりくるうつわたちを見つけてみたくなった。
旅に出ずに、最近怖くなくなった(笑)パソコンを使って
おうちで探そう!
と思った。
実物を見て触って、現地で話をしながら長年愛せるものを手にいれる。それだけが自分にとって価値のあるものだったけど、今はそれが違うと思える。
大好きな友人のお勧めを知り、自分に馴染みそうなものを探してみる。
旅で出会った作家さんのその後の作品をインターネットから訪ねてみる。
遠く離れた知らない誰かの生活の断片からヒントをもらうのも良い。
多くの情報から選び取ることが、今は楽しい。
少しずつ、今の自分にしっくりくる生活を作り上げてゆこうと思う。
このnoteに目新しいうつわが載ったら、そういうことである。
ポチッとワンクリックでなんでも手に入ってしまうような世の中だから
じっくりと熱量を注いで探してゆこう。
ちなみに写真のご飯は、鹿肉のパテを野菜とハーブで包み焼きにしたテリーヌ。
義兄がいつも不思議な素材(今回は鹿肉パテ)をくれるので、それに合わせた料理を作っている。この一連の流れを、わたしは義兄からの課題と捉えている。
重めの鹿肉パテに負けない食べ応えの蒸しジャガイモや、彩りよく食欲をそそるほうれん草と赤黄のパプリカを使用してテリーヌの中身を作った。周りは鹿肉を邪魔しない薄切りの生ハムで包み、風味と食感の違いを食べる場所によって楽しめるようにした。そこにローズマリーとローリエを乗せてアルミホイルで包み、オーブンで焼いて肉の臭みを抑えた。最後にソース。カシューナッツを細かく引いたものにメイプルシロップと粒マスタードを加え、よく混ぜたものをテリーヌの周りに敷き、ソースを敷いた端に粗挽きの黒胡椒も少しだけ添えた。さっぱりとした酸味と甘味のあるソースと鹿肉のパテがよくあって、これは我ながら良い組み合わせだった。
と、まあ料理について一品ずつ書いていくとこんな感じにダラダラと喋りうるさいので、いつもは書かないようにしている。(笑)
文字に起こすとその鬱陶しさは明白になり、こういった話を毎日聞かされている同居人は実に忍耐強いな、と思った。
明日のご飯は
なにを作ろうか。
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