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鳥、急ぎ。


無職1日目。先ずはその感想を記してゆこう。

晴れた日だった。

うすら目でカーテンの隙間から差し込むオレンジ色の光を確認して
まだ目覚ましが鳴る前だとすぐにわかった。

ああ、無職のはじまりだ。1日目だ。

そんなことを思った。

これから先どうしてゆこうか、という不安は常にありつつも

心は安心しきっていた。

職場にゆかなくて、いいのだから。


ただ働きたくないだとかそういう理由ではなく
むしろ仕事は大好きで
これからもっと裁量ある仕事をという時だった。

この身に起きたやんごとなき事情で退職する場合に、人間社会では 自己都合により退職。という。


やんごとなきその内容が、自分自身にのみ全ての責任があるかのようなその表現が全然好きではない。

異議申し立てる気力もなくなってしまった今、なるべく当たりも障りもせずスルッとその場を逃げ出したくて

実にサラッと退職を伝え挨拶をし瞬殺で職場を片付けて出てきた。

はぁ、つらし。

でも生きている人間は進むしかなくて
おそらくいま立ち止まっているようにみえても
とぉーーーーーくから人生を眺めたら
療養という名の前進だったりして
まぁいいじゃん、と思うようになった。
そう思えるようになるまで何度も真っ暗なところに落ちたし時間もかかったけれど。

とにかく今、安心している自分がいることに気づいて、あぁ辞めてよかった。と思った。よかったよなぁ。

無職1日目になる前の日、つまり退職日の夜に
1日のタイムスケジュールとタスクをメモした。以前あんなにパソコン技能をあげたいと嘆いていたのにあらびっくり、昔ながらの手書きメモである。

わりとその計画を立てることがよかったようで、有意義な日だった。

インスタグラムに料理の写真ばかり挙げているので、おそらく知り合いからは社会の歯車から見事に外れて家で料理しかしていない人。のように思われている。

しかし実際は次の仕事につながるようにと色々を色々したり、なにかしらしてはいるのだ。

こわくて休みだ自由だとゴロゴロもできないし、
サブスクで海外ドラマ三昧なんて、もっての外なわけである。
そういったものは、働いている人がやっていいものなのだ。

かといって、せっかく人生を休憩できているのだから、ここで心身ともに復活できねば意味がない。
ということで、ミニトマトの苗をお迎えした。

そう、うちに植物がまた増えた。

しかし植物は心が本当に癒されるので、よしとする。

トマトとバジルが家で育っているので、あと乳牛を飼って小麦を育てられたら自家製ピザが作れる。なんていうのは冗談だけれど。

こんど青じそやミントをこっそり増やしておこうかと思う。すぐ同居人にばれておこられそうだ。。


話は逸れたが無職1日目、安心に包まれた日であった。よし。よし。

無職2日目も有意義にするぞ。

ごはん載せがちエッセイの名に恥じぬよう、今夜のご飯を載せておく。

祖母の家でとれた新芽の柿の葉てんぷら


えっ、柿の木も育ってるの?という事実が判明した日だった。

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