あみだのみちのりについて
あぁしたい、こうしたい、
こうありたい、どうしたい。っていう意思や感情、
持っていたほうがいい時と、
持っていると自分を傷つける時と、あるよね。
きっとひとりでズンズンと歩みを深める人生ならば
道をわりかし正確に歩いてゆく術となるから
あったほうがいいよなとおもう。
けれどもどっこい、
まわりのどうこう、という
制約があっての環境下に来ると
それはたちまち重苦しいグレーの雲みたいに
どんよりと横たわって
もやもやと確実に息苦しさを運んでくる。
そういうときはきっと、思い切って頭の中を空にするほうが
どうにでもなっておくれと時間の流れに身を任せるのが
いいと思った。
いかのなかみ
珍しく、ごはんではなく
ごはんができるそのかたわれというかなんというか。
なにかが不安なのは、その内訳がわからないからであり。
解体していってみたらいいよね。少しずつ。
えんやこらやとあと1日。
短くて長い今年の仕事は、明日でおわり。