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演技と驚き◇Wonder of Acting #5
ドラマで、映画で、アニメーションで、舞台で、人が、生のからだとこえで表現する。一つとして同じもののない<演技>、に魅せられてしまった人のための一つの場所。(May/2020)
01.【新連載】俳優が描くカタチ 第1回「松岡茉優の迷いなき線」 ~ マチ
最近、ツイッターで江口寿史先生のアカウントに、「これ、先生の絵ですか?」と質問しているツイートがあって、先生が引用リプで「違います」って否定しているのを見かけたんです。それも1度だけではなくて、何度か続けて。実際に添付されていたイラストを見ると色使いや、洋服のデザインなどがそっくりに描かれています。ただ、似ているんですけど何か違うなって気もして、それって多分「線」の感じが違うんです。
江口先生は特に絵の上手い漫画家ですけども、まずは「線」が上手いんです。絵の上手い漫画家ほど、人物の線入れにはあまりアシスタントを使わないと聞いたことがありますが、それは「線」がその人独自の絵の出来栄えを左右するからだと思うんです。漫画家の人は漫画家になる前にたくさんマンガを書いているはず。教科書やノートのすみっことか、チラシの裏とかに。それを何回も何回も繰り返して、今の「線」を作らせてきた。その「線」って脳と右手の伝達により発生しているんで、自分でも制御できなくなっている反面、他の人が完璧に模写するってちょっと難しいところがあるのではないでしょうか。線の走り具合などは特に。その線を素人のころから練習して手に入れて、プロになったあとも磨かれてきたのが漫画家という芸術家だと思うんです。
前置きが長くなりましたが、この「線」にあたる部分がお芝居にもあるんじゃないかと思います。抽象的にしか伝えられないのですが、絵でいうところの色彩とかデザインというのが、「役柄」「感情表出」「セリフ回し」といったところだと思うんですけど、役者が形成した人物像にも描線というものがあって、それが綺麗で、走っているように見えることがあるんです。これも演技の上手さのひとつなのかなと考えています。役柄の解釈やセリフ回しなどはさっきの絵でいうところの、マネが出来て、練習で上達できる部分でしょうが、その描線の美しさは役者独自のものです。
「勝手にふるえてろ」の松岡茉優さん演じるヨシカは本当に描線が美しくって、もちろん、絵でいうところのデザインやカラーリングの部分も物凄く上手い。役作りとか言い回しとか。ただそれだけじゃなくて、すごく線が走っているんですよ、この演技。特にラストの雨のヨシカの部屋の玄関シーン。大袈裟で自意識過剰なセリフを相手に吐き捨てながらも、少し怯えていて、少し心もとない感じで、でも同時に段々と相手を受け入れていく心の機微も表現している。そこに見られる複雑な内面を持つ人物に全く矛盾や違和感を覚えさせない。さらに複雑でありながらも態度や話し方は「これでいくしかない」と松岡さんの声が聞こえてくるくらいに迷いがない。なかなか他の人ではマネ出来ない線が描けていたと思うんです。以前、この役の演技に関するインタビューで、「こう撮られているときは、こういう目線の動きが効果的」「ここで泣くためにはここで一回ジャブ打っておこう」といった話をされているのを見たことがあり、手数の多いシステム化された演技プランを持っていることに驚きましたが、それ以上に瞬時に何を選び取り、何を省略したかの決断の早さに、より「凄み」が感じられるのです。
この原稿を書くために「蜜蜂と遠雷」を観たんですが、これも上手い。達者。ただ、物凄く上手いんですけど、個人的にヨシカの演技と比べると「蜜蜂と遠雷」の栄伝亜夜は少し人物を「模写」しているように見えます。ピアニスト役なので、演奏シーンのために、ピアノの猛練習を1か月くらいしたと記事で読みましたが、そういったところの役の纏い方は素晴らしくて、どう見てもピアニストには見えるんです。見えるんですけど、栄伝亜夜という人物を演じるにあたってはヨシカと比べると描線に迷いがあるというか、人物の対象の掴み方に鈍りがあるといえばいいのか。線が走っていない感じがするのは、決められた役をなぞっているからだと思うんですけども、なぞるようになってしまうのは、ピアノ演奏の演技を、原作の栄伝亜夜に追いつかせないといけないことなども影響していたかもしれません(ただし同じピアニストの風間塵役の鈴鹿央士さんの伸びやかな、しなやかな演技にびっくりしました)。
松岡さんってバラエティー番組の仕切りやコメントがとても上手なんです。で、「勝手にふるえてろ」の方がコミカルな要素がある分、劇中のフレディのくだりとか、妄想で街の人達との会話する様子なんかのノリが良い。身体の動きとしてのノリもいいし、表情の映え方、演技としての化粧のノリもいい。元々ヨシカのような資質が松岡茉優さん自身にも資質としてあるのかもしれません。栄伝亜夜のような、もしかしたら本人と距離のある役でもヨシカのような走った線を描くために、もっと自身の資質が反映する距離に一度引きつけてから、彼女の技術力をもってアジャストするほうが個人的にはいいのかなと思います。
今ももうすでに“若手トップレベルの演技力”と言われていますが、あらゆる人物を彼女のありのままのペンタッチによって描きだしたら、日本映画全体のなかでも特別な存在になっていくのではないでしょうか。本当にこの女優は怪物に近い気がするんです。今後その怪物の化け具合がどうなっていくかが楽しみで、出演作の待ち遠しい女優さんの1人です。■
02.今月の演技をめぐる言葉
Zoom東京物語 pic.twitter.com/sAIOBpBgws
— 森翔太 Shota Mori (@ShotaM0ri) April 28, 2020
これ、代替として成り立つのっておそらくコントとかテレビドラマに近い劇で、チェル以降の小劇場だと演者と観客の視線が交わされることが問題系としてあると思うので基本的に別物だと思いますね。
— アイスカハラ (@kuhonnouji) April 27, 2020
チェルフィッチュ(劇団HP) / チェルフィッチュ(Wikipedia)
『アクト・オブ・キリング』のアンワルさんは「映画の真似さ!」と嬉々として映画の中で「映画の人物を真似て人を殺した過去」を再現する。そして、演技を通して自分の過去を「別の視点」から見る事で改心(?)するのだが…初見時「あれはある物語から「別の物語」に移っただけじゃないか」とも思った
— どう即 (@madanaizo) May 2, 2020
こわれゆく女、大傑作!神経質で徐々に心のバランスを崩していく妻と、そんな彼女を愛しながらも抑圧的な態度で接する夫の物語。ジーナ・ローラの演技よ!常に落ち着きがなく、突然スイッチが入ってしまう。唯一子どもとの時間だけが平穏。罵声を浴びせあっているのにあの親密さ。夫婦って面白い。 pic.twitter.com/j3VevVW1SK
— じゅぺ (@silverlinings63) May 4, 2020
触れたかった話題は、演劇の言葉の話。現代口語演劇を巡る件と東さんから提起された現代の声優の言葉の話。すこし前に見た『波よ聞いてくれ』があまり面白く感じられなかった問題。ラジオの言葉と、それを模した活字と、それをアニメ化した時に間がずれることの意味と言うか。#ゲンロン141103
— T-kura (@tk_yu_ki) May 2, 2020
高い所という所で昭和8年(1933年)の『映画と演芸』より。
— 戦前~戦後のレトロ写真 (@oldpicture1900) May 13, 2020
イケメン俳優の杉山昌三久(1906-1992)の最も大切な趣味は「高い所でハーモニカを吹く事」だそうで、これは彼が吹いてる写真。
昔のドラマや映画は、よくこういう屋根やベランダなど高い所で歌ってるシーンがあった気がします。 pic.twitter.com/o3KMYgzRju
あかねくんの「あーあ」は、一回目と二回目の抑揚の微妙な変化と、吐き出す息の量が絶妙すぎてさ……こみ上げる嗚咽を声出すことでまぎらわせようとしてるんだよなぁ。小松未可子の名演技。
— 真塚なつき (@truetomb) September 29, 2018
小松未可子(Wikipedia) / 若おかみは小学生(映画HP)
<いいね!光源氏くん>制作統括:管原浩による伊藤沙莉評
「お芝居の天才」。さらには「スタッフのみならず共演者の方にも信頼の厚い女優さん」
「何が天才か」「せりふをしゃべりながら細かな動きをするのは実はたやすいことではなく、慣れない役者さんはどうしてもせりふか、動きの、どちらかがぎくしゃくしてしまうのに、伊藤さんは全てスムーズに、完璧にこなせる」「間合いも抜群ですし、だから多部さんや千葉さんなど主演の方が、一緒に絡むのに安心していられる。」
<いいね!光源氏くん>伊藤沙莉は「お芝居の天才」
“ヒロイン力”も見事に証明 (Y!ニュース)
僕はずっと言っていることだけれど、小劇場演劇のメディウムの条件の一つに俳優と観客の目が合う距離であることがあるはずで、だから、キャパの問題があるし、そんなに人も入れられない。マームを観るときはなるべく前でと言っているのはそれ。
— アイスカハラ (@kuhonnouji) May 20, 2020
マームとジプシー(劇団HP) / 藤田貴大(Wikipedia)
(演じているときに)「自分自身(桜井日奈子)」が出てしまったらダメだな、と。慣れてくると、どうしても自分が出てきちゃうので、緊張感を大事にしつつ。いやー、もう、本当に頑張りますね!!
— 桜井日奈子bot (@bot54132710) May 24, 2020
(クライマックス、大泣きしたもののカメラが回っていなかったリハーサルに触れて)「でも、あの多分それは、鹿野として泣いているのか、鹿野を思って私が泣いているのかって言ったら、何かちょっとあいまいなところもあるから」
~桜井日奈子 『殺さない彼と死なない彼女』オーディオコメンタリーより
もしかすると、僕たちの日常生活における振る舞いは、あらゆることが演技なのではないかとも思う。他人の視線がない、たったひとりの状態でさえ、僕たちは広告的情報によって演技させられてはいないか。ただ、どうしても演技的になれないのが、性的欲求から起こる身体の変化かもしれない。
— 橋本浩 (@hiroshin_hsmt) May 25, 2020
テラハの"俳優陣"の"演技"は演技に思えないほどリアルに感じられるが、明らかにスタニスラフスキーシステムとは異なる。このリアルさの手触りはドキュメント系のAVに近く、インスタントで反射的な"演技"だが、長期間続けるには役柄内面化のプロセスはマストである。問題は、その"内面"の参照項だが、
— Amin -open mode- (@drchickengeorge) May 27, 2020
AVは身近でクローズドな体験を参照項とするのに対し、テラハは"誰もが知るあのテラハ"それ自体が参照項となっている。つまり役を内面化しても外側にも役がある。そこをSNSがブリッジした時、いよいよ"演技をしている私を見る私"は消失し、役柄=私となるのではないか。以上、私的メモ。
— Amin -open mode- (@drchickengeorge) May 27, 2020
引用させていただいたみなさんありがとうございました
03.今月の「Wonder of Act」(編集人の一押し)
京都に「出町座」というミニシアターがあります。こたびの休館中、noteでの発信を始められました。これがものすごい量なのですが、トークショーの記録もあって、本格的な映画雑誌のようです。
『風の電話』諏訪敦彦監督と『嵐電』鈴木卓爾監督の豪華な対談です。一部引用しようとも考えましたが、いや、ぜひ読んでください。素晴らしい記録です。
04.読者の声
先月号から開始した隔月連載「演技を散歩」にレスポンスくださった方がいらっしゃいます。
pulpoficcionさん編集『演技と驚き』第4号が配信された。pulpoficcionさんの新連載「演技と散歩」第1回「フリと演技」が抜群に面白い。ので、何か書きたくなった①。「演技」や「フリ」は素人なので、仏教の認識の話に置き換えてみたい。
— easygoa46 (@easygoa46) April 29, 2020
.......
⑦仏教の認識論では、対象を「縁」と呼び、対象を認識することによって、はじめて心(認識)が生じると考える。役者の場合この「縁」は「役」と言い換えられるだろう。日本語の用法で「ご縁に恵まれる」と表現し、役者も「役に恵まれる」と表現する。つまり仏教的に言えば「役」は「縁」の一種となる
— easygoa46 (@easygoa46) April 29, 2020
⑧(着地点がまだみえない笑)。美辞的に表現すれば「役」=「縁」は「恵み」であるけど、認識論的にはこれらは「対象」といえる。そして、仏教の認識論では、心は対象を一刹那(一瞬)だけ認識し、それは過去に過ぎってしまう。心がずっと働き、対象を認識しているように見えるのは、
— easygoa46 (@easygoa46) April 29, 2020
以下、全文を読まれたい方は次のリンクをどうぞ! ■
easygoa46さんは第3号に投稿も頂いています。よろしければ、そちらもお読みください。[演技と驚き 第3号]
05.こういう基準で選んでいます
対象は、舞台、アニメーション、映画、テレビドラマ、そのほか、人が<演技>を感じるもの全てについてです。肯定性・批評性・記録性・分析性を感じる。鮮やかな気持ちが伝わってくる。そんな言葉を探しています。
対象媒体は現在Twitterが主ですが、ほっておくと流れて消えてしまう言葉をとどめておきたいというのが本心です。チラシの一節とか、看板の一言とか。逆に言うとブログなどまとめて書いてあるものは、「今月の「Wonder of Act」」で紹介することはあっても「今月の演技をめぐる言葉」には引用しないというのが大まかな方針です。
私が観ている/観ていない、共感できる/共感できないは判断基準にしません。私が観たこともない演技について、100人のうち99人(私も含む)が賛成できないような言葉が載っているかも知れません。それも含めて<驚き>、という理解をしていただけるとありがたいです。
同じ対象(作品・俳優)、同じ言葉の出どころ(書き手)の重複はあまり気にしません。基本、その月に見つけた言葉を集めようと考えていますので、かぶることを気にかけすぎるのは変だろうという判断です。
是非、みなさんが感じた<演技の驚き>をお寄せ下さい。下記フォームからも投稿できます。
06.執筆者紹介
マチ 「中学生の時に偶然エドワードヤンの「カップルズ」をレンタルビデオで借りて映画鑑賞にハマる。高校卒業後に俳優養成学校に進むが、理解できることと表現できることの差に大きな開きがあることに気づき挫折。きっぱり諦めて卒業後は一般企業に就職。好きな映画監督エドワードヤン。好きな女優安藤サクラ。二児の母」
→マチさんの Twitterアカウント
マチさんのnote記事 【映画感想】旅のおわり世界のはじまり
マチさんの新連載「俳優が描くカタチ」は隔月刊、次は7月号に掲載です。
07.予告、連絡先、その他
第6号は6月28日発行予定です。
本誌への連絡はコメント欄のほか、以下もお使いください。
Twitter: @m_homma 、@WonderofA (このマガジン専用)
Mail: pulpoficcion.jp@gmail.com
ツイッターのDMは開放しています。
投稿用のgoogleフォームも作成しました → 投稿フォーム
【引用の許諾について】
ツイートの事前使用許諾はいただいておりません。<演技と驚き>を公開後、それぞれのツイートに「引用したが問題あれば連絡ください」旨リプライしています(画像についても同様です)。
この方式に違和感のある方もいらっしゃるかと思います。そのあたりも忌憚のないご意見いただけますと幸いです。
マガジン、および、記事タイトルの画像は、乏しい私の画像フォルダから選んでいますが、かっこいい画像(撮影・作成問わず)をご提供いただけますとありがたいです。公表して良いお名前(アカウント名)もお知らせ
いただけますと、明記いたします(それくらいしかお礼できませんが)。
08.編集後記
映画館が開きだした。夏も盛り上がってきた。そして少しずつこのマガジンも開きだしてきた。本当にうれしい。マチさん、唐突な依頼を引く受けて下さって本当にありがとう。徐々にです。徐々にですけど観客の立ち位置を見失わずに、開いていきたい。投稿お待ちしています。