失踪したことがある⑭

節分が終わった。2月は某団体のセミナーやら祝い事やら仲間内での飲み会やら、イベント続きでこんな生活してていいの?ってぐらい多忙になってしまっている。こういう時に限って仕事も次々にやって来る。スケジュール帳は真っ黒だ。自分が誰かに必要とされていると思えて幸せでもあり、色々抱えすぎてあの時失踪してしまった事も思い出してしまう。

各々の本当の幸いとは何なのか。宮沢賢治は世のため人のためになる事が本当の幸いであり、そのためなら自分のちっぽけな体なんか燃え尽きてしまっても構わない、という物語を残している。僕にとっての、本当の幸いを終わりの時までに見つけることが出来るだろうか、自信はないが、希望は持ちたい。

先日は某青年部の事業で、親子でお菓子作り講座を行った。こんな僕でも責任者だったので、当日を迎えるまでは段取りをするのに不安だった。

事前の細々とした準備から、当日の講師までを務めてくれたOくんのおかげで、多少のトラブルはあったが無事に講座は終わった。皆さん素敵なガトーショコラ(チョコレートケーキ)を完成させた。

終わった後にアンケートを取る準備をしていなかったので、参加者の皆さんの満足度は分からないが、参加してくれた友人の家族からは概ね好評だった。反省するところは多々あったが、僕の次にこの手の事業の責任者になる人の為になるべく多くの情報を残していきたい。

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膝をついて顔を上げられない僕を引っ張り起こしながら、みんなが言う。

「そんな事すんな!さあ、帰ろうや!」

グズグズと立ち上がり、警察署を後にする。迎えの車に嫁さんと乗り込む。

「本当に心配したで!いや~、良かった良かった!」

みんなが言う。何を言われても言葉が出ない。喜怒哀楽の全ての感情をミックスジュースにして飲み込むだけで精一杯だ。僕が消えてからの一部始終をみんなが興奮しながら説明してくれる。

何が起きていたかというと、僕が失踪したらしいと判断した嫁さんが隣家のOさんに慌てて相談に行く。その場にいたOさんとMさんから、まずは某青年部のみんなに連絡がいく。同時に地元消防団にも連絡がいく。更に地元で常日頃からお世話になっているS先生に情報が届く。S先生が動く。ツールが発達した現代ならではの情報パンデミックである。僕が想定していた中で最悪の事態となっていた。

僕は性格上、人に弱みを見せることが大変嫌いだ。だから今回の失踪も、まず初日は家族内で話し合って警察に相談に行く程度を想定していたのに、地元は僕の失踪から数時間でオオスズメバチ級の蜂の巣をつついた状況になっていた。

何故こんなに早く僕が保護されたのか、その謎も分かった。S先生を本気にさせたら怖い。世の中には政治力でごり押し出来る事が多々あるんだと初めて知った。

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