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ロケンロー書道教室 2015.4.20

似せられないから、偽物にもなれない。

かといって本物でもない。

でも、自分は自分でしかない。それでいいんじゃないの?


どこの誰だかよくわかんない人が、どこの誰だかよくわかんない人のために。イタズラされるかもしれなくても、そんな深いこと考えてなくて惰性の作業だとしても、誰かがつくってそれができあがった。できあがったら残せる。残り続けるかどうかはわからないけど、残っている間は、できるだけ大事にしておこう。気の迷いでイタズラしちゃうかもしれないけど。


奇跡みたいに便利なんだけど、たぶんびっくりするほど、すぐに飽きるのかも。でも、疲れている時は魔法がほしくなる。

魔法を習得するには、修業が必要みたいだ。アニメの世界ですらそうなんだもん。現実で魔法なんて、あと何十年、何百年かかっても、楽には使えないし。ドラえもーん・・・・あっ、ここ現実だった。


捨てても記憶にはとどまってしまう。良い意味でも悪い意味でも。

経験として咀嚼、なんて、意識的にそんなことをするには、毎日がいそがしすぎる。かといって、暇な空間で考えが浮かんだこともない。

逃げられないし弱い気持ちなら、気が合わなくても一緒に歩く。そのうち気が合うことを信じて。そしてあたらしい記憶を買いに行く。



無理でも跳ねる。跳ねる。

リズム?音程?そりゃあ、まとまっていた方がカッコイイ、けど、まずは跳ねる。跳ねる。跳ねよう。めちゃくちゃな感じで、ちょっと恥ずかしがりながら、酔っぱらいながら、余所目をわすれながら、どうせバカなら笑えるバカになる。先はどうにもならないし、案外どうでもいいことかもしれない。

無理にも跳ねる。跳ねる。


#ロケンロー書道教室

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