後から気づくレア体験
年に100個のエッセイを書くことが今年の目標なので、月に8〜10個のペースで書いているのですが、まあそのようにしていると、ネタが被ったり、思い出ばなしが多くなったりします。
実際のところ、自分は凡人ですし、周囲でハプニングがしょっちゅう起きるということもありません。普通に暮らしています。
メントスにコーラを入れることもなく、ニベアの風呂に入ることもなく、ツイッターが炎上することもなく、さんま御殿に呼ばれることもない。
しかし、だからといって全く珍しい体験をしていないわけでもありません。
いま思えば激レアだったな……というようなものもあります。この前に書いた、じいちゃんがくれたMDの件(シスプリ事件)がまずそうなのですが、他にもいくつか。
数年前、コンビニで缶ビールを買ったら、タブの指を引っ掛ける部分が丸々ありませんでした。
取れた形跡もなく、おそらく元からありませんでした。製造の過程でどうしてそうなったのかわかりませんが、缶のタブの一部がないという現象に遭遇することはなかなかないはず。
当時ツイッターにアップしたところ、けっこうウケました。そんなに面白いのか?とぼんやり考えつつ、缶を交換してもらいに店に戻りました。
店で買ったのですぐに交換してもらえましたが、自販機だったらどうなっていたのだろう。業者に連絡して来てもらうのでしょうか。だとしたら、どうせ100円くらいのものなので諦めていたな。
そういえば、自販機がバグってボタンが押せなかったことがあったのですが、時間がないしめんどくさいので連絡せずにスルーしてしまいました。
これもまたレアな体験だったので、業者を呼んでその動向を観察していればネタになったかもしれない。バグ自販機への対処はどうするのかというライフハックとして。需要がどのくらいあるのかは謎だが。
あともうひとつ。あれは2010年くらいだったか、ATMでお金を下ろしたら、ぜんぶ2000円札で出てきたことがあります。
当時はまだそれなりに流通していたので、たいして珍しくもなく、使いにくい2000円札ばっか出しやがって、うぜー、としか感じなかったのですが、それ以降は同じ現象が一度も起きていないので、貴重だったなあと思いますね。
2000円札は2000年から2003年までに計8億8000万枚が刷られたのだそうですが、そんなに多く存在するわりには、一瞬で姿を消しました。
もともと沖縄で行われた第26回主要国首脳会議を記念して作られたもので、沖縄県内では今でも普通に使われているようですが、とういうことは、沖縄のATMからは今でも2000円札がうにゅーっと出てくるのだろうか。沖縄には一度も訪れたことがないので、いずれ機会があれば確かめたい。
こういった瞬間というのは、意外にもその当時はなんとも思っていなかったりします。
なんでもないようなことが幸せだったと気づくのは、二度とは戻れない夜になってからだし、離れれば離れるほど愛しい人だと気づくのは、1/3の純情な感情が伝わらなくなってからです。
そういうものをすぐさまキャッチして笑いに変えられるのが芸人、言葉に変えられるのが詩人、物語にできるのが小説家、歌にできるのがシンガーソングライターなのでしょうが、なかなかそこまで到達することは凡人には難しい。
ならばどこからネタを引っ張り出すかというと、記憶の中の思い出の帳をガサゴサと捲りまくって、あやふやなメモリーを辿りながら、ああ、あの頃はまだ14歳だったなあ、まあ今も14歳だけど、などと感慨に耽りながら、ネットで当時の情報をググりながら書いていく。
正直なところ、思い出は補正されているので、実際よりも多少は盛られていたり、都合の悪いことは省略されていたりいます。でもそれで良いのです。
人は物事を少しずつ忘れていきます。それは年齢を追うごとに多くなります。それならば、キレイなことばかり覚えておいたほうがたぶん健康に良い。
やがて生を全うした時に脳裏を過ぎる走馬灯には、たくさんの世話になった人たちと、12人の妹たちと、μ'sのメンバーたちと、いつの間にか思い出補正によって捏造されていた星空凛ちゃんとの美しき日々が移されていることでしょう。
今日はハロウィンですが、明日11月1日は星空凛ちゃんの生誕日です。ちゃんと覚えていましたか?私は今でも凛ちゃん推しなので、もちろん覚えていましたよ。