南大阪国は青く見える
隣の芝生は青く見えると云いますが、自分は大抵のものはうちのものよりも良く見えてしまい、ガレージ付きの家はすべて豪邸だと思っているし、猫がいる家庭に育った子供は羨ましいし、スマホの画面に傷がない人は人生を得しているなあと思います。
これは場所に関してもそうで、京都に行けば京都に住める人は幸せだなあと思うし、松山に行けば松山に住めていいなあと思うし、東京に行けば東京っていいなあと思います。
いいなあと思うポイントはそれぞれに違い、まあ単純に、京都は景色が綺麗、松山は温泉が近い、東京はオシャレといったところですが、どこも実際に住むとそうは感じないようで。
生まれも育ちも京都の長年の友人は、幼い頃から八坂神社も平安神宮も見慣れており、もはや日常の一角でしかないので、いまさら感動はないといいます。
松山出身の後輩は、確かに道後温泉も松山城も近いけど、そのぶん行動範囲が狭いので窮屈だと告げていました。
東京は日本の首都であり、人が最も集中する場所ですが、あんまり東京のことをポジティブに説明する人に会ったことがありません。
『東京砂漠』という曲で「この都会を逃げていきたかった」と歌われているように、どちらかというと、人の心を失くした冷たい街として称されることが多い気がする。
住めば都というのは本当は逆で、憧れている間がいちばん幸せということもあるのかもしれません。
京都にも松山にも東京にも住んだことがない自分にとっては、どれも未知の世界で、良い部分ばかりが見えるのでしょう。でも、それぞれの地域にそれぞれの魅力があるのは事実で、それを日常として過ごしている人からは当たり前のことでしかない。
では、それでは長らく大阪住まいの自分は大阪に対する愛着があるのかといえば、これがまあ微妙でして。
これはあくまで自分の判断基準にもとづくのですが、大阪市から北側と南側というのはそれぞれ、もはや別の国という感覚なのです。もっと細かくいえば、難波より北側と南側、あるいは地図上で大阪城の上と下、といったところか。
よく漫画や映画のキャラクターたちが大阪旅行に訪れた際に出てくるのは、大概が南側です。道頓堀、通天閣、食い倒れ人形、アメリカ村、天王寺動物園。
一方で、北側にある万博記念公園、せんちゅうパル、ひらかたパーク、箕面滝あたりが出てくるのはあんまり見たことがない。『ジョゼと虎と魚たち』にHEP FIVEがちょっと出てきたくらいか。
なので、たとえ大阪が舞台であると謳っている作品であっても親近感が湧くということはほとんどなく、南大阪国に住んでいる人々の生活ってこんなものなのか、と、おそらく関東や九州にお住まいの方とあまり変わらない視点でみています。
じゃりン子チエもミナミの帝王も岸和田愚連隊も遠い世界の人たちだし、遠い世界の話。
いちおう岸和田にはほんのちょっとだけ住んでいたことがあるのですが、漁港の近くの工場しかない小さな田舎町でした。
有名なだんじりも近くを通るのですが、テレビでよく中継される岸和田市の中心部を走るルートではなく、ほとんど地元民しかいない春木という地区を走るマイナーなルート沿いで、小さい頃に自分が見ていたのはそっちなので、未だに岸和田だんじりといえばその印象しかない。
300軒を超える屋台が設置される岸和田地区に対して、春木地区の屋台は南海電鉄の春木駅の周辺のみ。この春木駅もさほど大きい駅ではないので、小規模なものしかできない。
なので、自分にとってはちょっと遅い地元の夏祭りくらいの感覚で、全国的に有名な祭りなのだと知ったのは結構あとになってから。
未だなお、バイオレンスだという岸和田地区のだんじり祭りは生で体感したことがなく、命懸けで行う祭りというのはいかなるものなのか、という興味があります。
ちなみに岸和田市ではだんじり保険なるものがあるので、命懸けというのはたとえではなくガチです。1日自動車保険みたいなノリで市外からの訪問者が入れるのかどうかは不明ですが、とりあえずだんじり保険に入ってみるか、無保険でバイオレンスアクションに踏み込むか……。
やっぱり春木地区のほうがいいかなあ。しかし、小さい頃にしか見たことがないわりには、法被を着せられた記憶とかがわりと明確なので、実はそれなりに愛着があるのかもしれない。せやかて工藤。